なんで苦しいのか分からないまま、ずっと苦しい
特に不幸じゃないのに、心がずっと重い
別に、大きな不幸があったわけじゃない。
仕事はそこそこ。給料もまあ、生きていける。健康診断の結果もギリギリ問題なし(コレステロールは見なかったことにした)。
なのに、なんだろう。
心がずっと重い。
夜、ベッドに入って目を閉じると、理由もなくモヤッとした感覚が湧いてくる。
「明日も仕事か」とか「あの人にあんなこと言われたな」とか、考えたくもないことが勝手に再生される。脳内YouTubeの自動再生、誰か止めてくれ。
で、朝になったら忘れてるかと思いきや、なんとなくの重さだけは翌日にも持ち越されてる。
この感覚、伝わりますかね。
「心が苦しい」と言うほど劇的じゃないんだけど、かといって「元気です!」とも言えない。
グレーゾーンの苦しさが、ずっと続いてる感じ。
生きてるだけで苦しい、とまでは言わない。でも、生きてるだけで「なんか重い」。
これ、僕だけなのかなと思ってたんですけど、どうやらそうでもないらしいんですよ。
「気にしすぎ」で片付けられる違和感
で、この手の悩みを誰かに話すと、だいたいこう返ってくるんです。
「気にしすぎだよ」
「考えすぎじゃない?」
「もっとポジティブに考えなよ」
……いや、それができたら相談してないんですよね。
「気にしすぎ」って言葉、便利すぎませんか。だって、相手の問題をまるごと「あなたの感じ方の問題」にすり替えられるわけですから。
でも、僕が感じてる重さは「気にしすぎ」で片付くようなものじゃなかった。
もっと根っこのところに、なにか構造的な原因がある気がしていた。
心が苦しい理由がわからない。でも確実に苦しい。
その正体を知りたくて、夜中にぐるぐる考えた時期がありました。
で、ある夜、ちょっとだけ見えたんです。「あ、これか」と。
苦しみの正体は「執着」だった
僕たちは「変わらない」と思い込んでいる
最初に気づいたのは、すごくシンプルなことでした。
僕は、ものごとが「変わらない」と思い込んでいた。
今の仕事がずっと続くと思ってた。今の人間関係がずっと同じだと思ってた。好きな人はずっと隣にいてくれると思ってた。自分の体力も、親の健康も、友達との距離感も、「今のまま」がデフォルトだと無意識に信じてた。
でも、冷静に考えると、何一つ「今のまま」じゃないんですよね。
お金は使えば減る。時間は止まらない。人は必ず老いるし、病気にもなるし、いつかは死ぬ。好きだった友人とも、気づけば疎遠になってたりする。
あらゆるものは、絶えず変化し続けている。
これ、言葉にすると「当たり前じゃん」なんですけど、心の底からそう思えてるかというと、全然思えてなかった。
「変わらないはず」と思い込んでいるから、変わった時にショックを受ける。
「ずっとあるはず」と思い込んでいるから、失った時に激しく苦しむ。
つまり、苦しみの原因は「出来事そのもの」じゃなくて、「変わらないと思い込んでいた自分の心」にあったんです。
これに気づいた夜、ちょっとだけ楽になった。
ちょっとだけね。劇的には変わりません。でも、「なぜ苦しいのか」の輪郭が見えただけで、息の仕方が変わる感覚がありました。
「自分のもの」なんて、本当はどこにもない
もう一つ、気づいたことがあります。
僕は、いろんなものを**「自分のもの」だと思い込んでいた。**
自分の仕事。自分のポジション。自分の時間。自分の評価。自分の彼女。自分の将来。
でも、よくよく考えると、「自分のもの」って言い切れるもの、この世に何かあるか?
仕事は会社の都合で変わる。ポジションだって、明日リストラされたら終わり。時間は誰にも止められない。評価は他人が決める。恋人にだって自分の意志がある。
全部、自分がコントロールできないものなのに、「自分のもの」だと思い込んでる。
もっと言えば、この「自分」ですら、親がいて、育った環境があって、出会った人たちがいて、その全部の影響を受けて今ここにいるわけです。
「100%自分の力でここにいる」なんて、言えるわけがない。
なのに僕たちは、「自分」を絶対的な存在だと感じてしまうし、「自分のもの」を必死で守ろうとする。
そして、思い通りにならない現実にイライラする。
「なんで自分の人生が思い通りにいかないんだ」と。
……いやいや、そもそも「自分の」って前提が怪しいんですよ、という話です。
これ、最初に考えた時は「いや、さすがにそこまで言われると困る」と思いました。
でも、時間をかけて咀嚼していくと、不思議とこの考えは苦しみを増やすんじゃなくて、減らしてくれた。
「自分のもの」だと思い込むから、失うのが怖くなる。手放せなくなる。しがみつく。そしてしがみつくほど、苦しくなる。
「もともと自分のものじゃなかった」と思えたら、握り締めていた手が少しだけ開く。
執着を手放す方法って、たぶん「手放そう!」と気合を入れることじゃなくて、**「そもそも握り締めていたものの正体を知ること」**なんだと思います。
他人の言葉がずっと刺さっている理由
「あの人は私を傷つけた」が消えない夜
話は変わるんですけど、僕にはずっと引きずっていた言葉がありました。
数年前、職場の先輩にちょっとしたことで言われた一言。
内容は正直大したことなかった。でも言い方がきつくて、その場では笑って流したんですけど、夜になるとリピート再生されるんです。
「あの人は僕をバカにした」
「あの言い方はないだろう」
「なんで僕がこんな目に」
布団の中で、何度も何度も、同じ怒りと悲しみが再生される。
たぶん、誰にでもこういう経験あると思うんです。他人が気になるというか、他人の言葉や態度が、心に刺さったまま抜けない感覚。
で、ある時ふと思ったんです。
あの先輩は、もうあの一言のことなんて覚えてないだろうな、と。
向こうはとっくに忘れてる。なのに僕だけが、夜な夜な再生ボタンを押し続けてる。
傷つけたのは先輩だけど、傷をえぐり続けてるのは僕自身だった。
これ、気づいた時にちょっとゾッとしました。
恨みは恨みで消えない──じゃあ、どうするのか
じゃあ、この恨みとか怒りとか、どうやったら消えるのか。
最初に思いつくのは「やり返す」「言い返す」「仕返す」みたいな方向ですよね。
でもこれ、冷静に考えると恨みを恨みで消そうとしてるわけで。
火事を消すのにガソリンかけてるようなもんです。
「あの人に同じ思いをさせてやりたい」と思った瞬間、自分の心がさらに汚れていく感覚がある。恨んでる間、苦しいのは相手じゃなくて自分なんですよね。
じゃあどうすればいいのか。
正直、僕もまだ完全には分かってません。
でも、一つだけ効果があったことがあって。
「恨みを持っている自分」を、ただ眺めるようにした。
「あ、今、恨んでるな」「この怒り、まだ残ってるな」と、他人事みたいに自分の感情を観察する。
消そうとしない。否定もしない。ただ、「あるな」と認識する。
すると、不思議なことに、恨みが「消える」んじゃなくて「薄まっていく」んです。
即効性はないです。何日も何週間もかかる。でも、「消そう」と力んでた時より、ずっと自然に抜けていった。
恨みは、恨みで消すんじゃなくて、「恨みを捨てる」ことで消えていく。
……言葉にすると簡単そうに聞こえますけど、実際にはめちゃくちゃ難しいです。
でも、「方向としてはこっちだな」という感覚はあります。
少なくとも、やり返そうとしてた頃よりは、夜が静かになりました。
心を整えるのに「強さ」は要らなかった
他人の過ちより、自分のしたことを見る
心が苦しい時って、無意識に他人の粗探しを始めてしまうんですよね。
「あの人のあの対応はおかしい」
「あの上司は分かってない」
「あいつは努力が足りない」
SNSを開けば、知らない人の失言を叩いてるスレッドが山ほどある。で、なんとなくそれを読んでると、一瞬だけ自分が正しい側にいるような気分になる。
でも、その「気分」が消えた後に残るのは、さっきよりもう少し重くなった心だったりする。
ある時、ふと思ったんです。
他人のしたこと・しなかったことを見るのをやめて、自分のしたこと・しなかったことだけを見たらどうなるんだろう、と。
試してみました。
「あの対応、自分はどうだった?」「言うべきことを言えたか?」「やるべきことをちゃんとやれたか?」
……これ、結構きついです。自分に矢印を向けるのって。
でも、他人を責めてた時よりも、心は静かだった。
なんでだろう。たぶん、他人を見てる時は「変えられないもの」に怒ってるけど、自分を見てる時は「変えられるかもしれないもの」と向き合ってるから。
怒りは、無力感から生まれる。でも、自分のことなら、少しは手が届く。
だから、心が楽になるんだと思います。
1000回の無駄より、1回の「本当に大事なこと」
あと、苦しい時ほどやたらと**「行動量」で埋めようとする**癖が僕にはありました。
仕事を増やす。予定を詰め込む。新しい資格の勉強を始める。筋トレを始める。(3日で終わる)
忙しくしてれば考えなくて済むから。
でも、あれって**「忙しい自分」に酔ってるだけ**で、根本的には何も解決してないんですよね。
むしろ、疲れた状態で夜を迎えるから、余計にメンタルが削られる。
ある時、ふと気づいたんです。
1000回の「とりあえず何かやってる」よりも、1回の「本当に自分にとって大事なこと」の方が、ずっと心を満たしてくれる。
僕の場合、それは深夜に一人で文章を書くことだった。
誰に頼まれたわけでもない。お金にもならない。でも、自分の中のモヤモヤを言葉にする作業は、他のどんな「忙しさ」よりも心を整えてくれた。
量じゃなくて、質。いや、質ですらなくて、「本当にやりたいこと」かどうか。
心を穏やかにする方法って、瞑想とか呼吸法とか色々言われてますけど、僕にとっては「本当にやりたいことを一つだけやる」が一番効きました。
(もちろん、瞑想や呼吸法が合う人はそれでいいと思います。僕は3分で寝落ちしたので向いてなかっただけです)
勝ち負けを降りるという選択
もう一つ、心が軽くなったきっかけがあります。
勝ち負けを降りた。
これ、言うのは簡単なんですけど、実行するのはかなり難しかった。
だって、僕たちって子どもの頃からずっと**「競争」の中にいる**じゃないですか。
テストの点数、偏差値、就活、年収、フォロワー数……。
常に誰かと比べて、上か下かで自分の価値を測ってる。
で、勝てば嬉しいけど、相手の恨みを買うかもしれない。負ければ苦しいし、自分が惨めになる。
勝っても負けても、どっちにしろ心が安まらない。
あれ、このゲーム、そもそもプレイする意味ある?
と思ったのが、たぶん転機でした。
別に「努力するな」「向上心を捨てろ」って話じゃないです。
ただ、「誰かに勝つため」じゃなくて「自分がやるべきことをやるため」に動くと決めたら、不思議と心が軽くなった。
比較をやめたわけじゃない。ゼロにはできない。人間だし。
でも、「あ、今、誰かと比べてるな」と気づけるようになっただけで、だいぶ違うんです。
気づけば、降りられる。気づかなければ、ずっとゲームの中にいる。
心が苦しい原因の半分くらいは、自分が参加する必要のないゲームに参加し続けてることだったりする。
……と、今は思います。まだ完全には降りきれてないですけど。
答えは出ない。でも、苦しみの輪郭が少し見えた
全部わかる必要はない
ここまで長々と書いてきましたけど、正直に言います。
僕は、心の苦しさの原因を「完全に」理解できたわけじゃないです。
「執着が原因だ」と頭では思う。「変わらないと思い込んでるから苦しいんだ」と、理屈では分かる。
でも、夜になると結局モヤモヤするし、他人の言葉に傷つくし、比較して落ち込むこともある。
理屈で分かることと、心がついていくことは、全然別なんですよね。
でも、それでいいんだと思います。
全部分かる必要はない。全部コントロールできる必要もない。
心はそもそも、コントロールしがたいものなんです。
勝手にざわつくし、勝手に落ち込むし、考えたくないことを勝手に再生する。
それが人間の心の「仕様」なんだと思えたら、「なんで自分はこんなに弱いんだ」と責める回数が減った。
弱いんじゃない。心って、そういうものなんです。
だから、完璧にコントロールしようとしなくていい。
ただ、ちょっとだけ整える。ちょっとだけ、自分の心を眺めてみる。
弓職人が矢をまっすぐに整えるみたいに、丁寧に、ゆっくり。
それだけで十分だと、今は思っています。
同じ夜を過ごしている人へ
最後に。
もし今、夜中にスマホでこの記事を読んでくれている人がいるなら。
「なんで苦しいのか分からない」のは、あなたが弱いからじゃないです。
たぶん、考えすぎでもないし、気にしすぎでもない。
ただ、心という、ものすごく複雑で制御しがたいものと一緒に生きてるだけ。
僕がここまで書いてきたことも、正解かどうか分からない。
「こうすれば苦しくなくなりますよ」なんて、言えたらカッコいいんですけど、そんな便利な答えは持ち合わせていません。
ただ、一つだけ。
苦しみの輪郭が少しでも見えたら、それだけで呼吸のしかたが変わる。
全部解決しなくていい。原因が全部分からなくていい。
「あ、今、執着してるな」「あ、今、変わらないと思い込んでるな」──そう気づくだけで、ほんの少し、夜が静かになる。
僕もまだ、全然わかってないです。
でも、分からないまま考え続けている人間が、ここにもう一人います。
それだけ伝われば、今夜はもう十分です。
明日もたぶん、心はざわつく。
でも、それは心の「仕様」だから。
欠陥品なんじゃなくて、みんなそうなんです。
だからもう寝ましょう。
おやすみなさい。



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