「科学で説明できない」という言葉を、僕はずっと疑っている
こんばんは、駄貧知です。
その夜は、少しだけ真面目な気分で書き始めています。
「科学で説明できない超常現象」という言葉が、僕は昔からあまり好きではありませんでした。 理由はふたつあります。
ひとつは、この言葉が、「科学」と「超常現象」の境界線を、やたらときれいに引きすぎているように感じるからです。実際には、科学の内側にもまだ説明のつかない話は山ほど転がっているし、昔は超常現象と呼ばれていたものが、後から科学の担当に回されていく例もいくつも見てきました。 もうひとつは、この言葉を使うと、「説明できないからすごい」という方向に話が引っ張られやすいからです。すごいのは現象そのものであって、説明の有無ではない、と僕は思っています。
それでも、その夜はなぜか、こういう話が読みたくて仕方がありませんでした。 スマホを開いて、「世界 不思議 未解明」みたいな、我ながら雑な検索をして、気がついたら深夜1時半。そこで出会った6つの話が、どれもそれぞれ違った手触りで面白かったので、今夜はそれを順番に書いていきます。
いつもどおり、僕が正解を持っているわけではありません。 ただ、それぞれの話を読みながら、僕の頭の中で転がしていたあれこれを、なるべく正直に書いてみるつもりです。
謎1:体の大きな動物ほど、なぜかガンになりにくい ― ピートのパラドックス
最初の話は、不思議な話なのに、登場人物がすごく地味です。 派手な霊とも謎の国ともUFOとも関係がなく、主役は動物の細胞とサイズです。
ざっくり言うと、こういう話です。 人間の体は、たしか60兆個くらいの細胞でできている。細胞は日々入れ替わっていて、コピーされるたびに一定の確率で小さなミスが起こる。ミスの積み重ねが、いわゆるガン細胞の出発点になる。 ここまでは、なんとなく理屈が分かります。
であれば、「細胞の数がとんでもなく多い動物ほど、ガンになる確率もとんでもなく高くなる」 はずなんです。数学的には、それ以外の結論が出しようがない。
ところが、現実はそうなっていない。 人間よりはるかに細胞数の多い大型の哺乳類 ― ゾウとか、クジラとか ― が、人間とだいたい同じか、むしろ低いくらいの確率でしかガンにならない。シロナガスクジラに至っては、ガンの症例そのものがほとんど報告されていないそうです。 この「理屈に合わないずれ」が、ピートのパラドックスと呼ばれる有名な逆説らしいんです。
僕はこの話を読みながら、ちょっとだけ笑ってしまいました。 シロナガスクジラが、たぶん何も知らずに、ものすごい反則技で僕たちの常識を裏切っている姿が目に浮かんだからです。「いやぁ、体デカいんですよ」と困り顔で言っているシロナガスクジラを想像して、夜中の布団で一人で笑うのは、かなり変な絵面だったと思います。
そのあと、少しだけ真面目に考えていました。
僕たちは普段、「リスクは数が増えるほど増える」と思い込んで生活しています。 挑戦の数が増えれば失敗の数も増える。人と関わる数が増えれば嫌われる数も増える。選択肢が増えれば後悔の数も増える。全部、量と確率の掛け算でしか物事を見ていない。
でも、シロナガスクジラの体内で起きていることは、それとはまったく違う論理です。 細胞の数が増えると、それに合わせて**「細胞の暴走を止める仕組み」そのものも強化されている**らしく、サイズが大きくなったぶんだけ、防御のレイヤーも分厚くなっているそうなんです。 たとえば、ある遺伝子は、人間には1つしかコピーがないのに、ゾウには20以上あるという話もあるらしい。体がでかくなるのに比例して、「おい、止めろ」と言える担当者が勝手に増員されている、というイメージでしょうか。
この話を読んでいて、僕はなぜか、組織で働いている人間としての自分のことを考えていました。 仕事量が増えても、止める仕組みが増えないまま突っ込んでいく人間は壊れる。でも、仕事量が増えるぶんだけ、ブレーキを踏める誰かが自然と増えていけば、壊れずに済む。 生き物の体は、僕たちが組織運営で失敗するあらゆることを、何億年もかけて先に解決しているんだな、と思いました。
この話の何が好きかというと、「不思議だけど、ちゃんと不思議の側に筋がある」というところです。 調べれば調べるほど、謎の輪郭がはっきりしていく。でも、答えにはまだ届かない。科学が胸を張って「分かりません」と言っている瞬間というのが、僕にはすごくかっこよく見えるんです。
謎2:メキシコの砂漠に、電波の届かない静かな一画がある
次は、一気に話のスケールが変わります。
メキシコの北部に、チワワ砂漠と呼ばれる広大な砂漠があります。 その中のある区画に、「サイレントゾーン」 と呼ばれる一帯があるそうなんです。
ここでは、携帯電話の電波が通じない。無線も通らない。ラジオも入らない。 なぜか、その場所の電磁気だけが、世界の他の場所と違う動き方をしている。 おまけに、過去にはテスト飛行中のロケットがコースを外れてこの場所に落ちたり、隕石が不自然なほど頻繁に落ちてきたりしているという話まで残っているそうです。
チワワ砂漠って名前だけ聞くと、ちょっと可愛い犬の実家みたいな響きですけど、実物は「何かが物理的に狂っている場所」らしいんです。
この話を読んでいて、僕がいちばん印象に残ったのは、不思議な現象そのものよりも、「通信が届かない場所」に人間が抱く原始的な恐怖のほうでした。
たとえば、僕が電車に乗っていて、トンネルに入って電波が一瞬途切れたとき、あの数秒の「世界から切断された感じ」って、地味に怖くないですか。 別に、ずっとそうなっていたのが当たり前だった時代もあるはずなのに、現代人にとって「電波が届かない」は、ほとんど「世界から消えかける」と同じ意味になってしまっている気がするんです。 僕の脳はたぶん、スマホのアンテナ表示を、自分の生命線の一部として認識しています。
サイレントゾーンは、そういう現代人の脳にとっては、「実在する世界の死角」 みたいな場所なんだろうと思います。 地図の上では確実にそこにあるのに、電波の上では消えている。存在しているのに、つながれない。 この「存在と接続のずれ」が、話のいちばん気持ち悪い部分だな、と僕は思いました。
理由はきっと、地質とか、岩に含まれる成分とか、地磁気の歪みとか、そういう筋で説明がつく話なんだと思います。 でも、それが全部分かったとしても、あの場所に足を踏み入れたときの、スマホの「圏外」の2文字の不気味さまでは、たぶん説明しきれない気がします。
謎3:亡くなって数十年経っても、髪と爪が伸び続けているラマ僧
この話は、書くのが少し難しいです。 信じるか信じないかではなくて、信じる/信じないというフレームそのものを、この話が少しだけはみ出してくるからです。
舞台はロシアのブリヤート共和国。チベット仏教のあるお寺に、ひとりの高名なラマ僧がいたそうなんです。 1927年、彼は弟子たちに「30年後に掘り出してほしい」と告げて、自らの意志で棺に入り、そのまま亡くなったと伝えられています。
30年弱が経った1955年、弟子たちが彼を掘り出します。 遺体は、生前に組んだ姿勢のまま、ほぼ腐敗していなかったそうです。 それだけでも十分に驚きなんですが、この話は、ここで終わりません。
2002年、もう一度掘り起こされて科学的な調査が行われたとき、こんな記録が残されたそうです。
- 体の関節がふつうに動いた
- 皮膚や髪の細胞が分裂を続けていた
- 体温が18〜34度のあいだで保たれていた
- 体重にすら変化が見られた
…いったん書くのを止めて、僕はしばらく部屋の天井を見ました。
この話、科学の側から見れば、いくらでもツッコミ方があると思います。 寒冷地で自然にミイラ化する条件が揃った、細胞分裂の観察には測定の誤差がありうる、体温のデータは環境温度と混同されている、などなど。僕も、ぜんぶ冷静に読めばそうなんだろうと思っています。
でも、その夜の僕は、データの真偽よりも、「30年後に掘り出してほしい」と言い残したその人の意志のほうに、完全に引きずられていました。
考えてもみてください。 自分の死後30年を、自分の設計図の中に含めるって、どういう感覚なんでしょうか。 僕は30年後の自分の予定なんて何も決まっていません。というか、来週の水曜日の夜ごはんすら決まっていません。ふつうの人間にとって、30年後は「たぶん生きているだろうな」くらいの遠い未来です。ましてや、自分が亡くなったあとの30年後なんて、スケジュール帳に書けるような出来事ではないはずなんです。
でも、その人はそれを書いた。 自分の死から30年後のある日を、はっきりとイメージして、それを弟子に託した。 亡くなる前から、その人にとっての「生」と「死」の境界線が、僕の知っているそれとは違う位置にあったのだろうな、と僕は思いました。
夜な夜なお堂を徘徊しているとか、ジャケット姿でビニール袋を持っていた、というオマケみたいな話は、正直に書くと、僕にはそんなに大事じゃありません。 あの話の重さは、もっと手前にあります。 「死後何十年分の未来を、自分の予定として組み込める人間が、この地球に実在した」 という事実そのもののほうが、僕には夜中に眠れないくらい不思議なんです。
謎4:人間に似すぎたものは、なぜ気持ち悪いのか ― 不気味の谷
ここで少し、話の温度を下げます。
「不気味の谷」という言葉を聞いたことのある人は、たぶん多いと思います。 ロボットやCGのキャラクターが、ある段階までは「人間に似てるね、かわいいね」と感じられるのに、ある一線を越えた瞬間に、急に**「なんか気持ち悪い」**に変わる、あの感覚のことです。
半世紀以上前に日本のロボット工学者が提唱した概念らしいのですが、今でも完璧に科学的な説明がついたわけではないそうです。 現象があることはほぼ確実。でも、なぜそうなるのかは、まだ解像度が荒い。
この話、個人的にはかなり好きなテーマです。 というのも、僕自身、日常で何度も不気味の谷を体験しているからです。
AI画像の黎明期、初めて人間の顔をそこそこうまく描けるAIが出てきたころ、僕は夜中にその画像を見て本気でぞわっとしました。髪の流れも、目の陰影も、肌の質感も、ほぼ人間。ただ、なんとなく、「何かが致命的にズレている」 のが分かる。どこがとは言えないのに、全身がそれを嫌がる。
たぶん、あれに近い感覚を、僕たちの祖先は別の場面で使っていたんだろうな、と思います。 人間に似ているけど、ちょっと違う動きをする何か。 人間に似ているけど、表情のわずかな筋肉が動いていない何か。 人間に似ているけど、生きていない何か。 そういうものを察知する能力は、進化の途中で身につけた、すごく古い警報装置だったんじゃないか、というのが、僕のいちばん好きな仮説です。
面白いのは、この警報が、今や人間以外の相手に対しても容赦なく作動するということです。 AIが描いた絵、精巧に作られた人形、リアルに寄せすぎた3DCG。これらは別に生きていないのに、僕らの脳は昔からの癖で、ついつい警報を鳴らしてしまう。
ここで僕が最近よく考えるのは、「不気味の谷は、これから広がるのか、狭まるのか」 という問題です。 技術が進めば進むほど、AIが作る顔は「より人間っぽく」なっていきます。 その結果、不気味の谷を踏み越えて向こう側に行けるものが増えるのか、それとも、僕たちの警報装置の方がアップデートされて、これまでスルーしていた小さな違和感にまで反応するようになるのか。
たぶん後者なんじゃないか、と僕は踏んでいます。 人間の脳は、おそらく見れば見るほど目が肥えていく生き物なので、不気味の谷は埋まるどころか、むしろ少しずつ深くなっていく気がするんです。 これがもし当たっていたら、数十年後の僕たちは、今ならぜんぜん違和感なく見ている画像に対して、「なんか気持ち悪いね」と言っているはずです。その未来を想像すると、少しだけ背筋がくすぐったくなります。
謎5:20の倍数の年に選ばれたアメリカ大統領が、不自然に死んでいる
次の話は、正直に書くと、僕がいちばん「いや、それは違うでしょ」と思っている話です。 でも、違うと思いながら惹かれる、という距離感が、この話の面白さでもあります。
アメリカ大統領の中で、西暦の下一桁が0、つまり20の倍数の年に選ばれた人たちが、暗殺や急病などの不幸な形で命を落としているケースが、不自然なほど多い、と言われているそうなんです。 この「呪い」は、先住民の指導者の名前にちなんで呼ばれているらしく、かつてその土地を奪われた側の怒りが、こういう形で残っているのではないか、という解釈があるそうです。
まず言っておきたいのは、20年ごとに選ばれる大統領が不幸になる確率は、統計的には別に驚くほど高くない、ということです。 アメリカ大統領の歴史そのものが短く、サンプル数も少ない。20年刻みのグループに属する大統領は、そもそも数が限られている。何人か不幸が続けば、それが「呪い」として一気に目立つ。これは人間の脳がもともと得意な、パターン探しのバイアスだと思います。
…と、ここまで書いておいて、僕は別のことを考えていました。
もし仮に、呪いなんて現実には存在しないとしても、「この土地を奪われた人たちの怒りは、この国のどこかに残っている」 という感覚そのものは、わりと本物なんじゃないか、ということです。
歴史の中で踏みつけられた側の感情は、物理的には消えない代わりに、物語という形で生き延びることがあります。 それが後年、「呪い」というかたちで語り直されたとき、人は半分本気で、半分本気じゃない顔でそれを信じる。 呪いを信じるかどうかは本題ではなくて、呪いという物語が必要とされた、その必要の強さのほうに、僕はむしろ意味があると思っています。
どの国にも、勝った側の歴史だけでは拾いきれない感情が必ず残る。 その感情が20の倍数の年を狙い撃ちするかどうかは知りません。 でも、拾いきれなかった感情は、いつかどこかで別のかたちを借りて戻ってくる。そのこと自体は、人類史のほぼ全部に共通する話のような気がしています。
謎6:戦艦が青い光に包まれて消えた、と言われている実験
最後の話は、冷静になって書くと、たぶん事実ではありません。 ほぼ作り話、あるいは途中から誰かの想像が膨らんでいった都市伝説の系譜だ、というのが今の一般的な見方のようです。
それでも、この話を書きたいと思ったのは、「本当じゃない話なのに、なぜこんなに本物っぽいのか」 という一点に、僕が昔からずっと惹かれているからです。
舞台は1943年のアメリカ東海岸、フィラデルフィアの軍港。 極秘実験で、電磁気を使って戦艦そのものをレーダーから消す試みが行われたところ、戦艦は青い光と腐った卵のような匂いに包まれて、文字どおり視界から消え、数百キロ離れた別の軍港に瞬間移動した、という話です。 そして戻ってきた戦艦の乗組員は、体が金属にめり込んでいたり、自然発火したり、精神に深刻な影響を受けたりしたと語られている。
…やばいですよね、この話。 真偽の前に、映像の強さが反則なんです。
僕がこの話に感じる魅力は、ふたつあります。
ひとつは、「腐った卵のような匂い」 という、やたらと生活感のあるディテールが入っていることです。 瞬間移動という壮大な現象を語るときに、よりによって腐った卵。これがあるせいで、話が一気に「自分の身に起こったかのように想像できる」サイズに縮みます。本物の幻想というのは、大きさじゃなくて手触りで人を掴んでくるんだな、と僕は思いました。
もうひとつは、アインシュタインの名前が出てきてしまうという点です。 この手の話は、権威のある名前が入った瞬間に信憑性のギアが1段上がります。実際にはアインシュタインがこの実験に本当に関与していたかどうかは相当あやしいのですが、物語の中で名前が並んだ瞬間に、話の重力が変わる。 そしてアメリカ軍が「そんな実験はなかった」と強く否定すればするほど、否定する力そのものが、逆に物語の信憑性を持ち上げてしまうという構造も、よくできている。
こういう話を読みながら、僕はよく、「人間は、真実よりも、よくできた物語の方に重心を置く生き物だ」 と思います。 フィラデルフィア実験は、たぶん物理的には起きていません。 でも、この話が長年語り継がれているという現象そのものは、間違いなく起きている。 そしてその現象のほうが、青い光よりもよほど不思議だな、と僕は思うんです。
結局、「説明できない」と「まだ説明できていない」は、だいぶ違う
6つの話を書いてみて、改めて思ったことがあります。
- ピートのパラドックスは、科学が真顔で「分かりません」と言っている不思議
- サイレントゾーンは、物理と感情のあいだで揺れている不思議
- ラマ僧の即身仏は、信仰と肉体の境界線そのものが問われる不思議
- 不気味の谷は、僕たちの脳の古い警報装置が生み出している不思議
- テカムセの呪いは、歴史から拾いきれなかった感情が、物語として戻ってくる不思議
- フィラデルフィア実験は、物理よりも、物語の強度のほうが怖い不思議
並べてみると、この6つは、全部「超常現象」というラベルで雑にひとくくりにされがちなのに、中身の質が全然違うことに気づきます。 科学が本気で解けていないものもあれば、人間の認知の癖で起きているものもあれば、たぶん物理的には存在しないけれど文化的には確実に存在しているものもある。
僕は冒頭で、「科学で説明できない」という言い方があまり好きじゃない、と書きました。 その理由が、ここまで書いてみてようやく自分でもはっきりしました。
「科学で説明できない」と、「まだ科学で説明できていない」と、「そもそも科学の管轄じゃない」の3つは、混ぜて扱うべき話ではないからです。
ピートのパラドックスは3つ目ではなく、ちゃんと科学の管轄内で「まだ説明できていない」話です。 ラマ僧の話は、科学では説明できないのではなく、科学が扱う前提が噛み合っていない話なのかもしれません。 フィラデルフィア実験は、科学で扱う以前に、そもそも物語の問題です。
それぞれの「分からなさ」には、それぞれの手触りがある。 全部を「不思議〜!」の一言で片づけてしまうと、いちばん大事な手触りの違いが消えてしまう気がします。
…と、ここまで偉そうに書いておいてなんですが、結局、僕は今夜もこの6つの話を、全部ほぼ同じ顔で面白がっていました。 分類して並べるのは楽しいんですが、読んでいる瞬間の僕は、たぶん、そんなに頭がよくありません。クジラも、ラマ僧も、青い光も、全部「うわぁ」と思いながら読んでいました。 それでいいような気もしています。
分からないまま、でも種類が違うまま、こういう話を夜中に抱えて生きていくのは、思ったより悪くありません。 今夜も、なんだかよく眠れそうな気がします。


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