会社の昼休みに、ぼんやりスマホを見ていた。
特に何を探していたわけでもなく、ただ親指を上にスライドさせていただけ。そしたら、ある図形が目に飛び込んできた。
丸が10個くらい並んでいて、それが線で繋がっている。上から下に向かって広がっていくような、なんとも不思議な図。
なんだろう、これ。
RPGの魔法陣みたいだなと思った。中二病全開のデザインというか、「最上級の魔法っぽいやつ」というか。
でも調べてみたら、これがとんでもなく古い時代から人類が語り継いできた「宇宙の構造図」らしい。
宇宙の、構造図。
いや、スケールがデカすぎないですか。昼休みのコンビニ弁当を食べながら見るものじゃない気がする。でも気になってしまったものは仕方ない。
その日の夜、僕はまた布団の中でスマホを握りしめていた。
世界の始まりは「無」だったらしい
その図形について調べていくうちに、まず「世界の始まり」の話にぶつかった。
宇宙が生まれる前、そこには何もなかった。無。
科学的にもそうだし、世界中のいろんな古い教えでも、最初は「無」だったと語られているらしい。
で、その「無」の中から、まず光が生まれた。
光だけじゃ世界にならない。光があるから影ができる。その二つが揃って、初めて「世界」というものが動き始める。
この「光と影の両方が必要」っていう考え方が、僕はすごく引っかかった。
だって、僕らって普段「光=良いもの」「影=悪いもの」って考えがちじゃないですか。明るい人がいい、ポジティブがいい、前向きがいい。暗いのは良くない、ネガティブは排除すべき。
でも、世界の成り立ちそのものが「両方あって初めて成立する」んだとしたら、影を排除しようとすること自体が、なんか根本的にズレてるのかもしれない。
……いや、急に哲学っぽくなってすみません。昼休みに中二病な図形を見たおじさん(20代後半)の思索に、そんな深みはないです。
10個の丸と22本の線
話を図形に戻す。
あの不思議な図形は、10個の丸と、それを繋ぐ22本の線でできていた。
10個の丸にはそれぞれ意味があって、上から下に向かって「神の領域」から「人間の世界」へと段階的に降りていく構造になっているらしい。
一番上が「すべての源」で、一番下が「僕らの住む物質世界」。
つまり、上から流れてきた目に見えないエネルギーが、何段階も変化しながら降りてきて、最終的に僕らが「現実」と呼んでいるこの世界になる、という考え方だ。
これを聞いたとき、最初はピンとこなかった。
でも、ちょっと考えてみたら、ある比喩が浮かんだ。
木。
この図形って、上が根っこで下が葉っぱの、逆さまに生えた木なんだ。
天から根を張り、そこから流れてきたエネルギーが枝分かれして、最終的に葉っぱとして具現化する。その葉っぱが、僕らの現実。
人類って昔から木に特別な意味を感じてきたらしい。世界中のいろんな文化で、聖なる木とか、世界を支える巨大な木とか、悟りの木とか、木にまつわる伝説がたくさんある。
木は「見える世界と見えない世界を繋ぐもの」だと考えられてきた。
根っこは地面の下で見えない。でも確かにそこにあって、木全体を支えている。僕らが見ているのは地上に出た部分だけ。つまり、見えてる部分は全体のほんの一部ってこと。
これ、前に書いた「僕らが認識できてる宇宙は全体の4%くらい」っていう話とも、なんか繋がる気がする。
僕らの世界は「一番端っこ」
この図形の構造で一番衝撃だったのは、僕らの世界が「一番下」に位置しているということだ。
一番下。最下層。エンドポイント。
上から流れてきたエネルギーが、何段階も変化を経て、最終的にたどり着く場所。それが僕らの物質世界。
言い換えると、僕らが「現実」だと思っているこの世界は、膨大なエネルギーで満たされた宇宙のうち、物質として固まった一番端っこの部分にすぎないということになる。
えっ、端っこ?
満員電車に揺られて、コンビニ弁当食べて、上司に怒られて、布団の中でスマホいじってる僕の日常は、宇宙の端っこなの?
……まあ、言われてみればそんな気もする。宇宙規模で見たら、僕の日常なんて端っこも端っこ、付箋の先っぽくらいの存在だ。
でもね、面白いのは、この図形の考え方では「端っこだからダメ」とは言ってないんです。
エネルギーが上から流れてきて、最終的に「形になった」のが僕らの世界。つまり、僕らの世界は何かが「完成した姿」でもあるんです。
見えないエネルギーが巡り巡って、最後に物質として安定した。それが現実。
端っこだけど、ゴールでもある。
これ、なんかちょっと救われる考え方だなと思った。
肉体の「すぐ外側」にある何か
この図形をもう少し詳しく見ていくと、一番下の「物質世界」のすぐ上に、生命力の基盤みたいな層がある。
肉体があって、そのすぐ外側に、肉体を支えている見えないエネルギーの層がある、という考え方。
これ、前のブログで書いた「生き物の体の外側にエネルギーが存在する」っていう研究の話と、めちゃくちゃリンクする。
幼い段階の生き物でも、大人サイズのエネルギーが先に測定されたっていうあの話。体の外側に「型」みたいなものが先に存在していて、それに沿って肉体が作られていく。
この図形で言えば、その「型」を司っている層が、物質世界のすぐ上にある。肉体と見えない世界を結びつける基盤のような存在。
昔の人が「気」とか「生命力」とか呼んでいたものも、もしかしたらこの層のことなのかもしれない。ツボ押しとか、ああいう経験的に効果が認められてきたけど「なぜ効くのか分からない」っていうものの正体が、この見えないエネルギーの層に関係しているとしたら?
「病は気から」っていうことわざがあるけど、あれって意外と物理的な意味だったりするのかもしれない。見えない層が乱れるから、肉体にも影響が出る。
まあ、これも「かもしれない」止まりの話なんですけどね。僕に確認する手段はない。布団の中でスマホを見てるだけなので。
感情、精神、そしてその先
図形の構造をさらに上に登っていくと、もっと抽象的な領域に入る。
物質世界のすぐ上が生命力の層だとすると、その上には感情や欲望を司る層がある。人間が喜んだり悲しんだり怒ったりする、あのエネルギーの源。
さらにその上には、もっと冷静な精神や知性の層がある。何かを考えたり、判断したり、ひらめいたりする力の源。
そしてさらに上に登ると、もう人間の個人的な意識を超えた領域に入っていく。
面白いのは、この図形が左右でも分かれていること。
左側と右側にそれぞれ丸が配置されていて、左が「理解・正義・制約」、右が「知恵・慈悲・拡大」みたいな属性を持ってる。
つまり、厳しさと優しさ、制限と自由、分析と直感が、対になって存在しているということ。
で、真ん中の縦のラインが、その両方のバランスを取っている。
これ、すごく「そうだよな」って思った。
世の中って、どっちか一方だけじゃ成り立たない。優しさだけだと甘やかしになるし、厳しさだけだと人が壊れる。自由だけだと混乱するし、制限だけだと息が詰まる。
大事なのは、両方あることを認めた上で、バランスを取ること。
これ、宇宙の構造図が言ってるんですよ。何千年も前に作られた図が。
僕が30年近く生きてやっと「なんとなくそうかも」と思い始めたことを、古代の人たちはとっくに図にしていた。ちょっと悔しい。
隠された「知識の貯蔵庫」
この図形には、表向きには10個の丸があるんだけど、実は隠された11個目が存在するらしい。
図をよく見ると、上の方に一箇所だけ不自然に空いたスペースがある。そこに、目に見えない形で存在しているのが、その隠された丸。
その丸が表しているのは、**「経験によって蓄積された知識」**だという。
ただし、これは一人の人間が生涯で学んだ知識のことじゃない。
命から命へ、世代から世代へと受け継がれていく、種としての記憶のようなもの。
僕はこれを読んだとき、ふと思った。
人間って、なぜか「知らないはずのこと」を知っている瞬間がある。
初めて行った場所なのに懐かしい感じがしたり、会ったことのない人なのにどこかで会った気がしたり。デジャヴってやつ。あれって普通は「脳のバグ」で片づけられるけど、もし本当に「どこかに蓄積された記憶」にアクセスしてるんだとしたら?
この図形の考え方では、その「記憶の貯蔵庫」は個人の脳の中じゃなくて、もっと大きな場所にある。宇宙全体の情報が蓄えられた場所。過去も現在も未来も、全部の経験が記録されている場所。
前のブログで触れた「宇宙の全情報が存在するフィールド」の話とも、ここで繋がってくる。
……なんか、調べれば調べるほど、いろんなジャンルの話が同じところに行き着く。科学も、古代の教えも、神秘思想も、結局「この世界の向こう側に何かある」っていう同じことを、違う言葉で言ってるだけなんじゃないか。
そう思うと、ちょっとゾクッとする。
そしてちょっと、怖い。
光の裏側には、影の構造がある
もう一つ、この図形で面白かったのが、裏の世界の存在だ。
僕らの物質世界が図形の一番下にあるという話をしたけど、実はその下にも世界があるらしい。
図形をひっくり返した、反転した構造。
光の世界の図形にはそれぞれ守護者のような存在が割り振られているのに対して、反転した闇の世界には、いわゆる「悪魔」的な存在が配置されている。
つまり、宇宙のエネルギーは使い方次第で光にも闇にもなるということ。
同じエネルギーが、正しい方向に使われれば魂を成長させるし、間違った方向に使われれば破壊的な力になる。
これ、めちゃくちゃ現実的な話だと思った。
例えば、「情熱」というエネルギー。何かを成し遂げるための原動力にもなるし、暴走すれば人を傷つける狂気にもなる。
「知識」もそう。人を救うためにも使えるし、人を支配するためにも使える。
エネルギーそのものに善悪はなくて、それをどう使うかで光にも闇にもなる。
宇宙の構造図が、そういうことを言ってるんだとしたら、これは単なる「怪しいオカルト」では片づけられない気がする。
かなり本質的なことを、図一枚で表現しようとしてる。
怪しさの中にある「本物」
ただ、正直に言わなきゃいけないことがある。
こういう神秘的な話って、めちゃくちゃ怪しいイメージがつきまとう。
実際、古代からの神秘思想が大衆に広まる過程で、人を騙したり、お金を巻き上げたりする連中が山ほど出てきた歴史がある。占いとかスピリチュアルとか、今でも「うさんくさい」と思われがちなのは、そういう悪用の歴史があるからだと思う。
僕自身、こういう話を書きながら「これ、大丈夫かな。変な方向に行ってないかな」って常に自分にツッコミを入れてる。
でも、だからといって「全部嘘」「全部オカルト」で切り捨てるのも、それはそれで思考停止だと思うんです。
本来、こういう教えは口伝えで、師匠から弟子に直接伝えられるものだったらしい。瞑想や修行を通じて、自分の内側を探求する。派手なパフォーマンスじゃなくて、ものすごく地味な作業。
その「地味な探求」の蓄積が、何千年もかけて図にまとめられたのが、あの10個の丸と22本の線なんだとしたら。
僕にはそれを「嘘だ」と断言する根拠がない。同時に「本物だ」と断言する根拠もない。
いつも通り、分からないままだ。
調和という、地味だけど大事な話
この図形を調べていて、一番心に残った言葉がある。
**「どちらか一方に寄りすぎるのは良くない。大事なのは調和である」**という考え方。
図形の構造そのものが、それを体現している。左と右、光と影、創造と破壊。どちらか一方が正しいんじゃなくて、両方が存在することで全体が成り立っている。
これって、宇宙の話であると同時に、僕らの日常の話でもあると思う。
仕事か趣味か。論理か感情か。自分の意見を主張するか、相手に合わせるか。
全部、「どっちが正解」じゃなくて、「どうバランスを取るか」の問題。
SNSを見てると、世の中はどんどん「どっちか一方」に偏っていく力が強くなってる気がする。白か黒か。敵か味方か。正義か悪か。
でも、何千年も前の人たちが作った図は、「どっちも必要だよ」って静かに言っている。
なんか、その静かさが良いなと思った。声を荒げるわけでもなく、誰かを攻撃するわけでもなく、ただ図として、そこに在る。
こういう「静かに真実を示す」みたいなものに、僕は弱い。
結局、何が言いたいのか自分でも分からない
ここまで書いて、ふと我に返った。
僕は何を書いてるんだろう。
昼休みにたまたま見た図形について、布団の中で調べて、それを長々とブログに書いている。誰に頼まれたわけでもなく。特に結論があるわけでもなく。
でも、なんとなく思ったことがある。
人間って、大昔から「この世界の向こう側」を知りたがってきた。目に見える物質の世界だけじゃ満足できなくて、「もっと何かあるはずだ」と思い続けてきた。
それは科学という形になったり、宗教という形になったり、神秘思想という形になったりした。アプローチは全然違うけど、**「見えないものを見ようとする」**という衝動は、たぶん人間の根っこに組み込まれてるんだと思う。
僕がこうやって夜中にスマホで調べ物をしてしまうのも、その衝動の末端なのかもしれない。
……末端。さっきの図形で言うと、一番下の丸。物質世界のマルクト。
僕は宇宙の設計図の一番端っこで、宇宙の設計図について調べている。
なにその入れ子構造。メタすぎる。
まあでも、分からないなりに考え続けることには、たぶん意味がある。少なくとも、「考えても無駄だ」と思って何も考えないよりは、少しだけ呼吸が深くなる気がする。
答えは出ない。たぶん、一生出ない。
でも、この図形を作った何千年前の人たちも、きっと同じように「分からないなあ」って思いながら、それでも考え続けたんじゃないかな。
そう思うと、時代も場所も全然違うのに、なんだか妙な親近感を覚える。
深夜の布団の中で宇宙の構造図を眺めてる僕と、何千年前にこの図を描いた誰か。
やってること、実はそんなに変わらないのかもしれない。
どっちも、見えないものを見ようとしている。分からないものを分かろうとしている。そして、分からないまま次の朝を迎える。
今夜も、そんな感じで眠りにつく。
明日は金曜日だ。あと一日頑張れば休みだ。宇宙の構造図とか言ってたけど、結局いちばん嬉しいのは週末が来ることだったりする。
人間って、そういうもんです。



コメント