ある夜、布団に入ってスマホをいじっていたら、ふとタイムラインに流れてきた。
「死んだらどうなると思う?」
誰かのつぶやきだった。たぶん深夜テンションで書いたやつ。いいねは3つしかついてなくて、リプもゼロ。普段なら秒でスクロールして通り過ぎるタイプの投稿だ。
でもその夜の僕は、なぜかそのたった一行に引っかかってしまった。
仕事は今日も特別なことはなかった。残業もなく、晩ごはんはコンビニの親子丼。風呂に入って、いつも通り布団に入った。何も起きてない、普通の一日。
なのに、その一言が頭から離れない。
スマホを置いて天井を見上げる。
死んだら、どうなるんだろう。
普通に考えれば「無」だ。寝てるときみたいに意識がなくなって、そのまま永遠に目が覚めない。それが一番ありそうな答えだし、たぶん多くの人がそう思ってる。僕だってそう思ってた。
でも、その夜ちょっと考えてみたら、「死んだら無になる」って意見にも実は何の根拠もないってことに気づいてしまった。
科学的に証明されてるわけじゃない。かといって天国とか地獄とか生まれ変わりが証明されてるわけでもない。
つまり、誰も何も分かっていない。
その事実がなんだか妙にゾクッとして、そこから僕の夜は長くなった。
そもそも「自分」って、どこまでが自分なんだろう
死後の世界を考える前に、ちょっと変な方向に思考が飛んだ。
自分って、どこからどこまでが「自分」なのか。
普通は「体」が自分だと思う。この手も、この足も、この顔も自分。でもよく考えると、心臓は自分で動かしてるわけじゃない。内臓だって勝手に動いてる。じゃあ脳? 意識? それとも皮膚の表面まで?
深夜にこういうことを考え出すと止まらなくなるのが僕の悪い癖なんだけど、ふと思ったことがある。
僕らの体って、突き詰めていくと全部ものすごく小さい粒でできてるらしい。で、その粒は体の中も外も、空気も水も、全部同じ材料でできてるって話を昔どこかで見た気がする。
つまり、ミクロの世界では「自分」と「外の世界」の境目ってすごく曖昧になる。
……いや、急にどうした?って感じですよね。分かります。布団の中で一人でこんなこと考えてる20代後半の会社員、ちょっと心配になりますよね。僕もなります。
でもね、この「自分の境界線が曖昧」っていう感覚が、後々けっこう大事になってくるんです。
僕らが見えてる世界は、たった4%らしい
もう一つ、夜中の僕を混乱させた話がある。
この宇宙には、人間が認識できないエネルギーや物質がめちゃくちゃ大量に存在していて、僕らが「見えてる」「分かってる」と思ってるものは、宇宙全体のたった4%くらいしかないらしい。
残りの96%は、存在するはずなのに検出できない。
4%。
テストだったら赤点どころの騒ぎじゃない。「ほぼ白紙で提出しました」レベルだ。
そんな状態で「死んだら無です」って断言できるのか? って考えると、いや、それはさすがに早くない? と思ってしまう。
もちろん逆に「だから死後の世界はある!」と言いたいわけでもない。分からないものは分からない。ただ、「科学で証明できないから存在しない」っていう考え方は、ちょっと雑すぎるんじゃないかな、と。
96%が未知のまま残ってるのに、「全部分かってます」みたいな顔して生きてるの、冷静に考えるとけっこう面白い。僕ら人間、思ってるより何も分かってない。
あと、これも驚いたんだけど、この世界を構成してる最小の粒は、普段は「波」の状態で存在していて、人間が観測したときに初めて「粒」として確定するらしい。
つまり、見てないときは存在が確定してない。
……え、ちょっと待って。じゃあ僕が今見てない冷蔵庫の中のプリン、存在が確定してないの? それは困る。明日食べるつもりだったのに。
まあ、さすがにそんな単純な話ではないんだろうけど、要するに「この世界は僕らが思ってるほど固定的なものじゃない」ってことだと思う。見方によって変わる。観測によって変わる。
なんか、世界がちょっとだけ頼りなく感じてくる。
見えないけど、「ある」かもしれないもの
ここからさらに夜が深くなっていくんだけど、ちょっと不思議な話を一つ。
生き物の体の周りには、肉体とは別の「何か」が存在してるんじゃないか、っていう研究が昔あったらしい。
ある生き物の体から出ている電気的なエネルギーを測ったとき、大人のサイズの生き物にはその体に沿った形のエネルギーが検出された。まあ、これは当然そうだろうなって感じ。
でも驚いたのは、まだ小さい幼体の段階で測っても、なぜか大人のサイズのエネルギーが検出されたっていうこと。
しかも、もっと遡って、生まれる前の段階から測っても同じだったらしい。
つまり、肉体ができあがる前に、すでに「完成形の設計図」みたいなエネルギーが先に存在していた可能性がある。
……えっ、意識とか設計図が、体より先にあるってこと?
これ、なんか順番おかしくないですか。普通は「体ができて、そこに意識が宿る」って思うじゃないですか。でもこの話だと逆で、意識のほうが先ってことになる。
僕はこの話を知ったとき、正直「うわ、ちょっとスピリチュアルっぽいな」と身構えた。でもこれ、別に怪しい団体の話じゃなくて、ちゃんとした研究機関での実験結果らしい。
信じるかどうかは別として、少なくとも「肉体がすべて」とは言い切れない何かが、この世界にはあるのかもしれない。
もう一つ、植物での実験もあったらしい。
ある植物の葉っぱを特殊な方法で撮影すると、葉っぱの周りにエネルギーが光っているのが見える。ここまでは分かる。でも面白いのは、葉っぱの一部をハサミで切り取った後にも、切り取ったはずの部分にまだエネルギーの光が残っていたっていうこと。
「それ、切り取った部分の水分とかが残ってただけじゃないの?」って反論も出たらしいんだけど、それを防ぐ条件で別の場所でもう一回やっても同じ結果だったらしい。
これ、戦争や事故で手足を失った人が「まだ手足がある感覚」に襲われる現象にも、もしかしたら関係してるのかもしれない。普通は「脳の誤作動」で片づけられるんだけど、もし体の外側に「見えない何か」が残ってるとしたら、それは誤作動じゃなくて「本当にまだそこにある」ってことになる。
正直、僕にはどっちが正しいか分からない。でも、「分からない」こと自体が面白いと思った。
もしこの世界が「ゲーム」だったら
ここで話がガラッと変わる。
最近ちょっと面白いなと思ったのが、「この世界ってシミュレーションなんじゃないか」っていう考え方だ。
ゲームの世界を思い出してほしい。昔のゲームはドットで描かれたカクカクの世界だった。それが今では、実写と見分けがつかないくらいリアルになってる。オンラインで世界中の人が同時に接続して、一つの世界を共有できる。
この技術の進歩って、たぶんこの先もっと加速していく。
もし将来、五感すべてを完璧に再現できる仮想世界が作れたら? そこに入った人間が「ここが仮想世界だ」と気づけなくなったら?
……って考えると、僕らが「現実」だと思ってるこの世界も、実は誰かが作ったシミュレーションの一つかもしれないって話になってくる。
「いやいや、さすがにそれはSFでしょ」って思う。僕も最初はそう思った。
でもね、ちょっと考えてみてほしい。もし高度な文明がシミュレーション世界を無数に作れるとしたら、「本物の現実」は一つしかないのに対して、「シミュレーション世界」は無限に作れる。確率的に言えば、僕らがたまたま「本物の」一つの世界に住んでる可能性より、無数にあるシミュレーションのどれかに住んでる可能性のほうがはるかに高い。
……なんか、確率の話をされると妙に説得力が出てくるのがズルい。
あと面白いなと思ったのが、時間の話。物理の世界では、重力が強いところでは時間がゆっくり進むって証明されてるらしい。光の速度に近づくほど時間が遅くなるとか。
これ、もしこの世界がプログラムされたものだったとしたら、単なる「処理落ち」なんじゃないか、って考えた人がいるらしい。ゲームでアクセスが集中すると重くなるみたいに、この世界も負荷がかかると時間が遅くなる。
……いや、宇宙の根本的な法則が「処理落ち」って。ちょっと笑っちゃうけど、否定できる根拠もまたない。
深夜のテンションってこういう話にどんどん引き込まれていくから怖い。冷静な自分が「おいおい、大丈夫か」って言ってるのが聞こえる。でも止まらない。
「生まれ変わり」って、ワールド移動なのかもしれない
で、ここからが僕の中で一番ゾクッときたところなんだけど。
もしこの世界がシミュレーションだとしたら、「死」っていうのは何なのか。
ゲームで死んだら? 普通は別の世界でリスタートするか、別のキャラとしてやり直す。
これ、めちゃくちゃ「生まれ変わり」の概念と似てないですか?
古くからいろんな文化で語られてきた「死んだら別の存在として生まれ変わる」っていう考え方。これってもし世界がシミュレーションだとしたら、単純に「一つの仮想世界から別の仮想世界に移動してるだけ」なのかもしれない。
異世界転生ってアニメやラノベでめちゃくちゃ流行ってるけど、あれがもし本当に起きてることだとしたら?
主人公が死んで別の世界に飛ばされる。その世界には独自のルールがあって、前の世界の記憶はない。
……うん、これ完全に「生まれ変わり」だ。
しかも、もし記憶を操作する技術があったとしたら(実際、動物実験では記憶の改変ってもう成功してるらしい)、仮想世界に移動した記憶自体を消すことだって可能になる。
そうなったら、その世界が「自分の唯一の現実」だと信じ込むしかなくなる。
……あれ、それって今の僕らの状態そのものじゃない?
ここまで考えて、僕はちょっと背筋がゾワッとした。
しかもね、もう一個ゾッとしたことがある。
よく「人生で深く関わる人とは、何度も生まれ変わって出会ってる」みたいな話があるじゃないですか。あれって、もしシミュレーション的に考えるなら「一緒にこのゲームをプレイしようって、上の世界で約束した仲間」ってことになる。
で、入る時に記憶を消すから、お互いのことを覚えてない。
……なにそれ、エモすぎない?
朝の満員電車で隣に立ってるおじさんが、実は前の世界で一緒に冒険した仲間かもしれない。そう思うと、なんか急に世界の見え方が変わってくる。
いや、変わらないか。おじさんの肘は普通に痛い。
でも結局、何も分からない
ここまでいろいろ書いておいてアレなんだけど、正直に言うと、僕には何も分かっていない。
シミュレーション仮説も、生まれ変わりも、意識が先か体が先かも、全部「かもしれない」止まりの話だ。証明されたものは一つもない。
そしてたぶん、これからもしばらくは証明されない。
僕がこの夜に考えたことなんて、宇宙のスケールから見たら塵みたいなものだと思う。布団の中でスマホいじりながら「死後の世界って……」とか考えてる会社員の思索に、何の権威もない。
でも、ちょっと面白いなと思ったことがある。
死後の世界について考えてると、普段の悩みがびっくりするくらいちっぽけに感じるってこと。
明日の会議のこと、月末の支払いのこと、上司に言われたあの一言。そういうのが、宇宙規模の話の前だと急にどうでもよくなる。
これは別に「悩むな」って言いたいわけじゃない。ただ、たまにはこういう壮大なスケールで物事を眺めてみると、ちょっとだけ呼吸が楽になる気がするんです。
答えが出ないまま、朝が来る
結局あの夜、僕は答えなんて出ないまま朝を迎えた。
死んだらどうなるのか。意識はどこへ行くのか。この世界は本物なのか。
全部、分からないまま。
でも、不思議と嫌な気持ちじゃなかった。
分からないことを分からないまま抱えて生きるって、案外悪くない。だって、もし全部の答えが分かってたら、たぶん人生ってものすごく退屈になると思う。
最初からレベルMAXでボスを一撃で倒せるゲームなんて、誰もやりたくない。結末が最初に分かる映画なんて面白くない。
僕らが生きてるこの世界に制限があること、分からないことだらけなこと。それ自体が、もしかしたらこの「ゲーム」を面白くしてる要素なのかもしれない。
……と、ここまで書いて気づいたんだけど、僕、完全に「この世界はゲームかもしれない」側に寄ってきてますね。危ない危ない。これも「分かったフリ」の一種だ。
分からない。本当に、何も分からない。
ただ、一つだけ確実に言えることがあるとすれば。
死んだら戻ってこれない可能性が、たぶんいちばん高い。
だとしたら、やっぱり今を生きるしかないんだろうな。
答えが出ない夜も、理由のないモヤモヤも、全部含めて「今」なんだと思う。そしてその「今」を生きてること自体が、もしかしたらけっこうすごいことなのかもしれない。
まあ、明日の朝になったらまたいつも通り満員電車に揺られて、そんなこと全部忘れてるんですけどね。
でもたまに、ふとした瞬間に思い出す。信号待ちしてるときとか、コンビニでおにぎりを選んでるときとか。「あ、この世界、もしかしたらシミュレーションかも」って。
そう思った瞬間、目の前のおにぎりの棚がなんだか少しだけ違って見える。
……見えない。普通に昆布を選ぶ。
人間って、そういうもんです。



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