世界シミュレーション説が怖い|現実は脳のアイコン

AImatrix 401067 SL TP V 考察都市伝説

夜中の2時半、なぜかパッと目が覚めた。

別に嫌な夢を見たわけでもない。仕事のストレスで眠れないとか、そういう深刻な話でもない。ただ、目が覚めた。

で、なんとなくスマホを手に取って、ホーム画面を見たんです。

暗い部屋に、スマホの光だけがぼんやり浮かんでいる。

赤と白のYouTubeのアイコン。緑のLINE。青のX。見慣れたいつもの並び。

それをぼーっと眺めていて、ふと思ったんですよね。

**「このアイコンの中身って、本当にこの色や形をしているんだろうか」**って。

いや、急にどうした?って顔されるやつですよね。分かってます。

でもちょっとだけ付き合ってください。この夜、僕はかなりとんでもないことを考え始めてしまったので。

スマホの画面を見ていて、ふと思ったこと

YouTubeのアイコンは赤くて白い再生マークがあって、画面の右下にある。

でも、スマホの中にある実際のデータって、赤くも白くもないですよね。

ストレージの中の0と1の羅列だったり、クラウドのサーバーに置かれた情報だったりする。アイコンの色も形も位置も、実際のデータとは何の関係もない。

ここまでは「まあ、そりゃそうだよね」って話です。

でも僕がゾッとしたのは、その次に浮かんだ考えでした。

もしかして、僕が「現実」だと思って見ている世界も、これと同じなんじゃないか。

目の前のテーブル。窓の外の街灯。天井のシミ。

これらが「そこにある」と感じているのは、僕の脳が表示しているアイコンを見ているだけで、その裏にある本当の姿は、まったく別のものなのかもしれない。

……夜中にこういうことを考え始めると止まらなくなるのが、僕の悪い癖です。

「真実を見たやつは全滅する」という残酷な話

以前、進化のシミュレーション実験みたいな話を知って、かなり衝撃を受けたことがあります。

ざっくり言うとこういう実験です。

「世界をありのまま正確に見る生き物」と、「生き残るのに必要な情報だけを見る生き物」を競争させたら、どっちが生き残るか。

普通に考えたら、正確に見えている方が有利そうじゃないですか。敵の位置も食料の場所も、世界の構造も正確に把握できるわけですから。

ところが、何万回やっても結果は同じだったそうです。

真実を見た生き物は、100%の確率で絶滅した。

例外なく。全滅。

なんで?って思いますよね。

例えば目の前にライオンがいたとして。

真実を正確に見る生き物は、ライオンの体の構造とか、光の反射率とか、膨大な情報を処理しようとする。一方、必要な情報だけを見る生き物は、ただ一つ、**「逃げろ」**というシンプルな信号だけを受け取る。

真実を解析している間に、食べられちゃうわけです。

……まあ、冷静に考えればそりゃそうだよな、という話なんですけど。

つまり、今この地球上で生き残っている僕ら人類を含めた生き物って、進化の過程で真実を見る能力を完全に捨てた「世界を誤解する天才たち」の子孫だということになる。

僕ら、真実を1ミリも見ていない可能性があるんです。

これ、ちょっと怖くないですか。

会社で「君は現実を見ろ」とか言われるたびに、「いや、人間は構造的に現実を見られない生き物なんですけど」って心の中でツッコんでます。言わないけど。絶対言わないけど。言ったら多分、面談室に呼ばれる。

この世界は、デスクトップ画面みたいなものかもしれない

さっきのスマホの話に戻ります。

僕らが「現実」だと思って見ている目の前のりんご、机、月、太陽。これら全部、パソコンのデスクトップに並んでいるアイコンと同じようなものなんじゃないか、という考え方があるんです。

考えてみてください。

りんごが赤くて丸いのは、りんごの「真実の姿」じゃない。

僕らの脳というOSが、**「食べられるよ」**という情報を表示するためにデザインしたアイコンに過ぎない。

脳って本当にやり手ですよね。確かに、毒があるものって見た目がどぎつかったり、気持ち悪い色をしていたりする。あれも「食べるな」のアイコンデザインだと考えると、なんか納得してしまう。

で、ここからがちょっとゾッとするところなんですけど。

もしスマホのアイコンを顕微鏡で拡大したら、何が見えるか。ピクセルですよね。じゃあそのピクセルをもっと拡大したら、スマホ内部のプログラムコードが見えてくるか?

絶対に見えない。

どれだけアイコンを拡大しても、見えるのは細かいアイコンの構成要素だけで、本質には永遠にたどり着けない。

これ、現代の物理学がやっていることと似ていると思うんです。物質を分解して、分子、原子、素粒子……とミクロの世界を掘り下げていく。でもそれって結局、アイコンを拡大してピクセルを見ているだけなのかもしれない。

脳を解剖しても意識の正体が見つからないのも、当然なのかもしれない。

だって、脳もまたアイコンに過ぎないんだから。

……我ながら、夜中に考えることのスケールがおかしい。

時空そのものが「終わる」かもしれないという話

もう少しだけ、深いところに潜らせてください。

僕らは「時間」と「空間」の中で生きている、と当たり前のように思っていますよね。

でも最近の物理学の最前線では、時空という概念そのものが根本的なものではないという議論が出てきているらしいんです。

あの相対性理論でさえ、宇宙の表面的なルールに過ぎないんじゃないか、と。その奥には、もっととんでもない「ソースコード」が隠されている可能性がある。

時空は、もっと深いところにある何かが集まってできた副産物にすぎないのかもしれない、と。

これを聞いたとき、僕はある比喩を思いつきました。

水って、「濡れている」とか「流れる」という性質がありますよね。でも、水の分子1個だけを取り出したら、そこに「濡れている」という性質はない。分子がものすごい数集まって初めて、「流体」としての性質が現れる。

時間や空間も、もしかしたらこれと同じなのかもしれない。

何か僕らにはまだ理解できない根源的なものが大量に集まった結果、「時間が流れている」「空間が広がっている」という感覚が生まれている。

つまり時空というのは、宇宙のソースコードを僕ら人間が理解できるように変換したデータ圧縮フォーマットのようなものだと。

……ごめんなさい、さすがに自分でも何言ってるか分からなくなってきました。

でも面白くないですか?

認知の話と物理学の話が、全然違うルートからたどり着いた結論が同じだったんです。

「僕らが見ている世界は、本物じゃない」

まるで別々の山を登っていた人たちが、頂上でばったり出会って「あれ、お前もここに来たの?」って顔を見合わせているみたいな状況。

宇宙の裏側にあるかもしれない「幾何学の宝石」

じゃあ、時空の裏側には何があるのか。

最近の研究で、時間も空間も存在しない高次元の領域に、ものすごく美しい幾何学構造が存在するかもしれないということが分かってきたそうです。

その構造体を使うと、今まで何百ページもの数式が必要だった計算が、驚くほどシンプルになる。

まるで、複雑な影のもとになっている本体を見つけたみたいに。

高次元の世界に、宝石のような複雑な幾何学がただ静かに存在していて、そこに光が当たって3次元の世界に影が落ちる。その影こそが、僕らが「現実」と呼んでいるものだという話です。

これ、洞窟の壁に映る影を見てそれが全てだと思い込んでいる人の話に似ていますよね。影を作っている本物は、僕らの認識の外側にある。

そして面白いのが、古代の人々が残した模様や図形の中に、この高次元構造のパターンと重なるものがあるらしいということ。

ウイルスの構造、鉱物の結晶、DNAの断面——自然界のミクロな世界は、驚くほど幾何学的なパターンに従って形成されている。古代の人々はそういった構造を「宇宙の設計図」として崇めていたわけですが、もしかしたらそれは迷信じゃなくて、高次元の構造体が3次元世界に落とした影を直感的に感じ取っていたのかもしれない。

昔の人たちは、スーパーコンピューターなんてなかったのに、瞑想や直感を通じて宇宙の裏側にある構造を感じ取っていたのかもしれない。

科学がようやく、数千年前の直感に追いついてきた。

……まあ、僕がこれを語ると「お前はどこ目線だよ」って話なんですけど。ただの会社員が夜中に布団の中でスマホいじりながら宇宙の真理について考えてるの、冷静に見るとかなりシュールです。

もしこの世界がゲームなら、僕らはプレイヤーだ

ここまでの話をまとめると、こうなります。

僕らが見ている世界は、脳が表示するアイコン。時間も空間も、何かの副産物。真実は僕らの認識の外側にある。

じゃあ、僕らって何なんだ?

一つの考え方として面白いなと思ったのが、**「僕らは生まれた瞬間にVRヘッドセットを装着したプレイヤーだ」**というものです。

ヘッドセットを外した先の世界——つまり意識そのものの世界——は、情報量が多すぎて複雑すぎて処理しきれない。だからあえて、時間とか空間とか死とか、制限やルールがあるゲームをプレイするために、この「地球」というサーバーにログインしている。

制限があるからこそ、体験に意味が生まれる。

考えてみると、ゲームってそうですよね。無限にHPがあって、死なないゲームは面白くない。制限があるから戦略が生まれるし、ドラマが生まれる。もしかしたら「生きている」ということ自体が、あえて制限を受け入れることで初めて成立する体験なのかもしれない。

逆に言うと、情報を絞ることで初めて「生命」になれた、みたいな話です。

この考え方で日常を見ると、ちょっと面白いことに気づくんですよね。

僕らの悩みとか不安って、結局スマホのアイコンの配置に悩んでいるようなものかもしれない。

「あのアプリ消したい」「このアイコンの位置が気に入らない」——でもアイコンをどう並べ替えても、スマホの中のデータは変わらない。

現実を変えたいなら、アイコンをいじるんじゃなくて、プレイヤーである自分の内側を少し変える必要がある。

……と書くと、急にスピリチュアルっぽくなるのが怖いところなんですけど。

でも僕は「内面を変えれば現実が変わる!」みたいな自己啓発的なことが言いたいわけじゃないんです。正直、そういうのにはちょっと距離を置きたい側の人間です。

ただ、「自分が見ている世界は、自分の観測方法に合わせて映し出されている」という話には、なんとなく「まあ、そうかもな」と思える部分がある。

嫌いな上司がいたとして。その人を「敵」というアイコンで見るか、「たまにウザいけどまあ害はない同じサーバーのプレイヤー」というアイコンで見るかで、自分の中の体験はだいぶ変わる。

現実は何も変わっていないのに、体験だけが変わる。それってつまり、僕らが「現実」と呼んでいるものの大部分は、自分のOSが生成したアイコンのデザインだということなのかもしれない。

世界そのものは変わらなくても、アイコンのデザインを変えることはできるのかもしれない。

で、結局どうすればいいのか——分からないまま、ゲームを遊ぶ

ここまで書いておいてアレなんですけど、僕にはこの話の「正解」は分かりません。

世界が本当にシミュレーションなのか、アイコンなのか、ゲームなのか。

正直、分からないです。

でも、夜中にこういうことを考えていると、不思議と気持ちが軽くなる瞬間がある。

だって、もし僕の悩みが「アイコンの配置」に過ぎないのだとしたら。もし時間も空間も、何かの副産物に過ぎないのだとしたら。

あんまり深刻にならなくていいのかもしれない。

別に「だから何でもOK!」みたいな雑な話がしたいわけじゃなくて。

ただ、自分が見ている世界がすべてだと思い込むと、どうしても苦しくなる瞬間ってあるじゃないですか。「もうダメだ」とか「逃げ場がない」とか。

でもそれは、アイコンしか見えていないだけかもしれない。

アイコンの裏側には、僕らの想像を超えた何かが広がっている。それが何なのかは分からない。美しい幾何学なのか、意識の海なのか、それとも僕らの言葉ではまだ表現できない何かなのか。

そう思うだけで、少しだけ息がしやすくなる。

夜中の3時半。

僕はスマホを枕元に置いて、もう一度目を閉じました。

明日も会社だし、目覚ましは6時半にセットしてある。アイコンの裏側の真実がどうであれ、寝坊したら上司に怒られるのは確実です。

この世界がゲームだとしても、遅刻のペナルティはちゃんとあるらしい。

まあ、それも含めて、もうちょっとこのゲームを遊んでみようかなと思っています。

答えは出ないけど。

分からないまま、もう少しだけ。

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