日本の謎5選|教科書が語らない不穏な考察録

鳥居 考察都市伝説

夜の日本は、思っているより謎に満ちている

こんばんは、駄貧知です。

最近、夜中に日本の古い事件や古い土地の話ばかり追いかけています。 最初はただの気分転換のつもりだったんです。会社帰りの電車の中でスマホを開いて、なんとなく検索窓に「日本 未解明」と打ち込んで、出てきた話をぽちぽち読む。そのくらいの軽い気持ちでした。

ところが、読めば読むほど手が止まらなくなってしまって、気がつけば深夜2時を過ぎているということが何度もありました。

派手な都市伝説ではなく、ちゃんと記録が残っているのに、誰も説明しきれていない話。 それがこの国には、思っているよりずっと多く転がっているんです。

今日はそのとき僕が夜中に追いかけていた、日本にまつわる5つの謎について書いていきます。 答えは、いつもどおり持ち合わせていません。ただ、読んだあとに少しだけ、足元がひんやりするような話ばかりです。

謎1:北海道の山で見つかった、SOSと、遅れてきた声の主

最初に書くのは、正直、文章にするのが少しためらわれた話です。

1989年7月、北海道の大雪山系で登山者が遭難したという通報が入り、ヘリが捜索に向かったところ、地面に一辺5メートルほどの巨大な「SOS」の文字が、白樺の木で作られているのが発見されました。

無事でよかった、という話になるはずでした。 ところが、救助された登山者ふたりに確認したところ、「自分たちはあんなSOSは作っていない」 と答えたんです。

つまり、あの文字を作ったのは別の誰かで、その誰かはまだ山のどこかにいるかもしれない。 翌日から捜索が再開され、SOSの文字の近くで、人骨の破片が見つかります。

その近くからは、カセットテープ、テープレコーダー、ザック、お守りなどが出てきました。 担当者が後日、回収されたカセットテープの1本を再生したところ、ラジオ番組の録音の途中から、若い男性の、叫ぶような声が入っていたそうです。

「SOS 助けてくれ。崖の上で身動きが取れず。ここから釣り上げてくれ」。

この話を夜中に読んだとき、僕はスマホを伏せて、しばらく天井を見ていました。 正直に書きます。怖いというより、「切ない」という感情のほうが強かったです。声の主はたぶん、誰かが自分の声を聞いてくれると信じて、テープのボタンを押したんだと思うんです。その録音が流れるのが、何年も後の、誰も自分を助けられない時間だったというのが、うまく呑み込めませんでした。

不思議な点はいくつもあります。 発見された現場には、そもそも「崖」がないとされていること。 別に見つかった人骨は当初「女性のもの」と鑑定され、のちに訂正されたこと。 男性のSOSを作るには相当な体力と時間が必要で、それだけ力が残っていたならなぜ下山できなかったのか、という疑問。

どれにも、たぶん合理的な説明はあるんだと思います。 でも、全部を合理の側に寄せて片づけてしまうのは、夜中に読む話としては、ちょっと行儀が悪い気がしたんです。亡くなった方に対して、という意味で。

分からないまま、次の話に移ります。

謎2:剣岳の山頂で、千年前の先客に出会った話

次の話は、初めて読んだとき、思わず声が出ました。

剣岳という、富山県にある険しい山があります。 明治時代、日本全体の地図をきちんと作ろうという国家事業の流れの中で、最後まで地図上の空白として残っていたのがこの剣岳でした。地形が険しすぎるのに加えて、古くから「登ってはいけない山」という信仰上の位置づけもあって、誰もまともに頂上まで行こうとしなかったんです。

そこに、若い陸軍の測量技師が、命がけで踏み込んでいきます。 依頼者、命令、予算、チーム。すべてが「史上初」を達成するための準備として整えられていました。現地の案内人ですら、お金を積まれても引き受けたがらなかったほどの山です。

彼らは苦労の末、ついに剣岳の山頂に到達します。 歴史に残る、日本人初の剣岳登頂の瞬間です。拍手喝采、ご苦労さまでした、という場面のはずでした。

ところが、山頂に着いた彼らが見つけたのは、錫杖(しゃくじょう)の頭と、一振りの鉄剣だったんです。 人類未踏のはずの山頂に、すでに「誰か」が置いていったものが、静かに残されていた。

しかもこの錫杖と鉄剣は、調べてみると、奈良時代の終わりから平安時代の初め頃のものだったと推定されているそうです。

つまり、彼らよりざっと千年以上も前に、誰かがこの山頂に立っていた。 装備も、地図も、近代的な登山靴もない時代に、おそらく信仰上の修行の一環として、ひとりの人間が命がけで登ってきていた。 そして、その痕跡だけを残して、静かに消えていた。

僕はこの話を読んで、なんとも言えない気持ちになりました。 「初登頂の栄誉」を目指して命を削ってきた若い技師の心情を想像すると、息が詰まるような悔しさがあるんです。でも同時に、千年前に誰にも知られずに山頂に立っていた誰かの静けさのほうが、なんだかずっと格好よく思えてしまう。

記録に残されるために登った人と、記録に残らないまま登った人。 勝ち負けがあるとしたら、たぶん後者のほうが勝っている、と僕は夜中に思いました。

謎3:出雲大社は、なぜ二重に閉じ込められているのか

次は、少しだけ有名な話です。有名ですが、ちゃんと向き合うとけっこう怖い話でもあります。

出雲大社は、島根県にある、日本でも屈指の由緒ある神社です。 大国主神(おおくにぬしのかみ)という神様が祀られていて、修学旅行や観光で行ったことのある人もそこそこ多いと思います。

僕がこの神社の話を夜中に読み返して、あらためてゾッとしたのは、お参りの作法そのものが「普通」ではないという点でした。

全国のほとんどの神社では、二拝二拍手一拝、つまり二回お辞儀して、二回手を叩いて、最後にもう一回お辞儀をします。 ところが出雲大社では、二拝「四」拍手一拝が正式な作法です。 拍手の回数が、なぜか一般の倍なんです。

理由にはいくつかの説があるようですが、個人的に背筋がひんやりしたのは、「あれは神様を祀る拍手ではなくて、神様を外に出さないように封じ込めるための拍手だったのではないか」という解釈に出会ったときです。

しかも出雲大社には、他にもいくつか不穏な特徴があります。

  • 本殿はまわりを二重の壁でぐるりと囲われている
  • 本殿の中の大国主神は、参拝者の方を向いていない(西を向いている)
  • 古い伝承によると、かつての本殿は高さ48メートルもあったと言われていた

最後の「48メートルの本殿」は、長らく「誇張された伝説でしょ」と扱われていたらしいのですが、近年の発掘で、直径が3メートルにもなる巨大な柱の跡が見つかり、実際に巨大神殿が存在した可能性が一気に現実味を帯びたそうなんです。

夜中にこの話を読み返していて、僕はひとつのことを考えていました。 それは、なぜ、わざわざ「封じ込めなければいけない」神様が、この国の中心的な神社のひとつに祀られているのか ということです。

歴史の表では、日本は和の国で、争いよりも調和を重んじる国、ということになっています。 でも、その表の物語の裏側で、誰かを押し込めて、出てこないようにお願いする仕草が、千年以上にわたって繰り返されてきた場所がある。 そう考えると、拍手の音の響き方が、急にさみしく聞こえてきました。

分からないまま、また次の話に行きます。

謎4:法隆寺の塑像に、こっそり紛れ込んでいる「変な顔」の話

ここで少し空気を抜きます。連続でしんみりさせると、僕の方が眠れなくなってしまうので。

奈良県の法隆寺は、世界最古級の木造建築として知られるお寺です。 その五重塔の中には、お釈迦さまが亡くなろうとしている場面を表した塑像(そぞう)群が安置されています。 お弟子さんたちが中央のお釈迦さまを囲んで、泣き崩れたり、茫然としたり、それぞれのかたちで最期を見送っている――教科書で一度は見たことがある構図です。

ところが、このお弟子さんたちの中に、よく見ると明らかにおかしな3体が紛れ込んでいるんです。

人間の身体の上に、人間ではない顔が乗っている。 資料によれば、それぞれ「馬の頭」「鳥の頭」「鼠の頭」を持つ者ということになっているそうなのですが、実物の写真を見ると、どれも馬にも鳥にも鼠にも見えない

強いて言えば、爬虫類に近い。

僕は最初にこの写真を見たとき、「うん、これは馬じゃないな」と声に出して言ってしまいました。 部屋にひとりだったのが幸いです。

この3体が何なのか、はっきりした説明は、今もないらしいんです。 十二支の一部だという説もあるそうですが、他の干支がそばにいないので筋が通らない。釈迦を守る守護者の姿だと言う人もいますが、他の同じような涅槃像の群像で、同じデザインが使われている例がない。

ここで僕は、不謹慎かもしれないと思いつつ、ちょっとワクワクしてしまいました。 奈良時代、法隆寺に像を置いた誰かが、どうしても人間の形では表現したくなかった何かを、こっそり紛れ込ませた。そんな想像ができるからです。

その「何か」が、レプティリアンなのか、異国の神話に出てくる存在なのか、あるいはただの表現上の遊びだったのか。 正解は誰にも分からないまま、像は今も五重塔の中で、涙を流すお弟子さんたちの横に、静かに座り続けているわけです。 分からないまま置かれ続けるものという言い回しが、僕はとても好きです。

謎5:中尊寺金色堂、名前と中身が食い違っていた首の話

最後は、教科書にも出てくる、あの場所の話です。

岩手県平泉の中尊寺金色堂。 金箔でびっしり覆われた、息を呑むほど豪華なお堂です。 僕も修学旅行で見た記憶があるのですが、子供心に「お金持ちすぎるでしょここ」と思った、あの場所です。

金色堂の下には、奥州藤原氏3代のご遺体が収められていて、これが長い時間を経てミイラのような状態で残っていることが、昔から知られていました。 僕が今回読んでいて衝撃を受けたのは、実はこのお堂には3代のご遺体に加えて、「首だけ」のミイラが1体収められている、という事実でした。

その首は、「忠衡(ただひら)」と書かれた木箱に収められていたそうです。 ところが昭和になって本格的な科学調査が行われた結果、箱の外の名前と、中身の人物が一致していなかったということが判明したんです。

首の持ち主は、忠衡ではなく、4代目の当主・泰衡(やすひら)だった可能性が高い、とされたそうです。

調査の決め手は、ちょっと読んでいて息が止まる内容でした。

  • 首には16箇所の切り傷や刺し傷があった
  • 頭部には直径約1.5センチ、深さ18センチの痕跡があった

この「深さ18センチの痕跡」は、古い記録に残されている、「泰衡の首には発寸(およそ24センチ)の釘が打ちつけられた」 という記述と、ぴたりと辻褄が合ってしまうんです。 鎌倉方に首を晒されるとき、眉間に釘を打ちつけられて柱にかけられた、とされているあの記録です。

ここで僕は布団の中で、眉間の同じ場所を自分で触ってしまいました。何の意味もない行動です。でも、文字で読んだ傷の深さを、自分の骨の位置と重ねずにはいられませんでした。

ではなぜ、泰衡の首が、わざわざ別人の名前の箱に入れられていたのか。 決着のついた答えは、今も存在しません。

鎌倉幕府に逆らったとされる泰衡の首を、表向きは別人ということにして、こっそり金色堂に納めた、という説。 あるいは、後の時代の人が「この首があの泰衡のものであるはずがない」と信じ込んで、別の名前で残した、という説。

どちらにしても、ひとつの首の上に、いくつもの時代の人間の思惑が積み重なっているというのが、僕にはどうしようもなく印象的でした。 歴史というのは、きれいに整えられた教科書の文章ではなく、たぶんこういう「名前と中身が合わない箱」の積み重ねでできているんだろうな、と夜中に思いました。

結局、日本の謎は、ぜんぶ「分からないまま」残っていた

5つ書いてみて、今夜も改めて思ったことがあります。

  • 山で録音された、崖のない場所からの「崖の上」の叫び
  • 千年前に、誰にも知られず山頂に立っていた誰か
  • 神様を閉じ込めるために叩かれてきた手のひらの音
  • 涅槃像に紛れ込む、馬でも鳥でも鼠でもない顔
  • 名前と中身が合わない、首を収めた箱

どれも、「これが真相です」と誰かが言い切れるものではありません。 ぜんぶ、「決着がついていない日本」の断片のように、僕には見えました。

こういう話を追いかけていて、ひとつ自分の中ではっきりしてきたことがあります。 それは、分からないまま保存されているものには、分かった気になって片づけるよりも、ずっと遠くまで人を連れていく力がある、ということです。

正解を教えてくれる動画もサイトもたくさんあります。僕もよく見ます。 でも、夜中に本当に眠れなくなるのは、いつも「答えが用意されていない話」のほうでした。

日本は、たぶん、思っているより謎の多い国です。 派手な都市伝説がない代わりに、誰にも注目されないまま、山の上にも神社の奥にも古い像の横にも、静かに答えを出さないでいるものが、そこかしこに残っている。

僕は、そういう国に住んでいるんだということが、今夜は少しだけ嬉しく思えました。 そのまま、ようやく眠れそうです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました