パラレルワールド|実在を匂わせる5つの痕跡考察

パラレルワールド 考察都市伝説

夜中にふと「パラレルワールド」のことを考えていた

こんばんは、駄貧知です。

その夜は、仕事帰りに買ったコンビニの釣り銭をぼんやり財布にしまっているときに、ふと思ったんです。 「この硬貨、もし存在しない年号が刻まれていたら、僕は気づくだろうか」 と。

たぶん気づきません。 レジで受け取った小銭をわざわざ確認する人なんて、ほぼいない。僕も500円玉ならうっすら見ますけど、10円玉なんてもう「重いか軽いか」くらいの情報しか入ってこない。

もしパラレルワールドというものが本当に存在するとしたら、その「ほころび」は、たぶんこういう日常のすきまに紛れ込んでくるんじゃないか、と思いました。 派手な異世界転生ではなくて、お釣りの中に、地名の一文字に、昔住んでいた街の交差点の名前に。

今夜は、そんなふうに思いながら僕が追いかけた、パラレルワールドの実在を匂わせる5つの痕跡について書いていきます。 いつもどおり、答えは持っていません。

証拠1:存在しないはずの「昭和65年」の硬貨

最初に驚いたのが、この話でした。

「昭和65年」の硬貨が、実在する。

昭和は1989年1月で終わっているので、本来「昭和65年」という年号は存在しません。1990年以降は平成で、これは僕の世代ならほぼ全員が知っている常識です。 ところが、この「あり得ないはずの」昭和65年と刻まれた硬貨が、日本国内で実際に使われた事例がいくつもあるそうなんです。

ある報告では、北海道のコンビニで1万円札として使われた。 別の報告では、複数の県で、10円玉や100円玉、500円玉の「昭和65年」が出回ったと言われている。

この話を読んだときの僕の最初のリアクションは、めちゃくちゃ正常だったと思います。

「いや、ジョークグッズでしょ?」

子供銀行のお金みたいな、おもちゃのたぐいだと思ったんです。 でも、調べていくとちょっと雲行きがあやしくて、これらの硬貨には現代の鋳造技術に近い精度で金属音まできれいに鳴るものがあった、という話が残っている。

ここで僕は布団の中でゆっくり起き上がりました。 おもちゃにしては、気合が入りすぎている。

もちろん、ジョークグッズ説がいちばん筋が通っていると思います。実際、世の中にはびっくりするほど凝ったイタズラをする人がいますから。僕が何年か前にメルカリで買ったスマホケースも、届いてみたらケースの中に見知らぬ他人の写真が入っていて怖かったんですが、あれも含めて世の中は油断なりません(関係ない話でした)。

ただ、「ジョークグッズで全部説明できるとしても、それで完全に納得できるかどうかは、別の話」なんですよね。 存在しないはずのものが、たしかに日常の流通に混じっていた。 この事実の不気味さは、合理的な説明の軽さでは上書きされない気がするんです。

証拠2:1954年、羽田空港に降り立った「ありえない国」のビジネスマン

次の話は、知ったときに背中がぞわっとしました。

1954年7月、羽田空港に、日本語もフランス語も話せるひとりのビジネスマンが降り立ちました。 彼は商談のために来日した、そこそこできる会社員です。 過去にも日本には2回来ていて、パスポートには日本の入国スタンプがきちんと押されていた。 見た目も普通、会話も普通、所作も普通。

ただ一点だけ、普通じゃないところがあったそうなんです。 彼が提示したパスポートの発行国が、**「トレド公国」**という、この世界には存在しない国だったんです。

彼の説明によると、トレド公国はフランスとスペインの国境あたりにある、建国から千年を超える歴史ある豊かな国なのだそうです。 でも、僕たちの知っている世界地図では、その場所にあるのはアンドラ公国という、まったく別の名前の小さな国です。

僕はここで地図をスマホで開いてみました。 フランスとスペインの間、ピレネー山脈のあたりに、たしかにちょこんとアンドラ公国があります。人口は数万人、公用語はカタルーニャ語。 彼が「トレド公国」と主張した場所と、完全に重なっている。

しかも面白いのは、この男性がフランス語なまりの日本語を話していたという点です。 アンドラ公国では、フランス語もスペイン語も使われています。つまり「もしアンドラの住人が日本語を覚えたとしたら、こういう発音になるだろうな」という条件に、ほぼぴったり一致している。

当然、その場では誰も判断がつきませんでした。 監視付きのホテルに一泊してもらうことになり、そして翌朝。 24時間体制の警備の中で、彼の部屋はもぬけの殻になっていたそうなんです。

この話の気持ち悪さは、「嘘がつきやすいところに嘘がない」という点だと僕は思いました。 パスポートの偽造なんて、バレたら一発でアウトです。わざわざ「存在しない国」の名前を使う理由がない。普通の犯罪者なら、フランスとかスペインとか、ふつうの国のふつうの偽造パスポートを持つはずなんです。

彼にとっては、トレド公国こそが「普通」だった。 そう考えると、消えた朝の静けさが、急に怖くなります。

証拠3:朝起きたら、世界がほんの少しだけ違っていた人たち

ここから、ちょっと違うタイプの話に入ります。

ネット上には、「ある朝目が覚めたら、世界が少しだけ変わっていた」 と証言している人たちの書き込みが、国内外にそこそこの数あるそうなんです。

例えばある女性は、朝目覚めたら家具が見覚えのないものに変わっていた。最初は引っ越し前の家に戻った気がしたそうなのですが、職場に行ったら、20年働いているはずの自分の部署が消えていた。社内名簿に自分の名前はある。上司も同じ。部署の名前も同じ。でも、「自分の席だけがない」

さらにつらいのが、彼女には恋人がいたそうなんですが、こちらの世界では「別れる前の、前の恋人」と付き合ったままになっていて、当の恋人が世界のどこにも存在していなかった、という話です。

この話を読みながら、僕は夜中にぼんやり思いました。 もし、僕が明日の朝目を覚ましたときに、何かひとつだけ世界の細部が変わっていたとして、僕はそれに気づけるだろうか。

たぶん、気づけません。 冷蔵庫の中の牛乳の銘柄が変わっていても、スーパーの店員さんの顔が少しだけ違っても、会社のエレベーターの番号がひとつずれていても、僕は「いつもどおり」と処理して通り過ぎる気がする。

人間って、自分の記憶より、目の前の世界の方を信じるようにできているんですよね。 記憶のほうが間違っていると思い込んだほうが、生活が楽だから。

もうひとつ、別の人の話も印象に残りました。 ある男性は、昔住んでいた国の公園に、以前はなかったはずの木が立っているのに気づきます。最初は見落としかと自分を疑ったそうなのですが、似たような違和感が積み重なっていき、最後に決定的に引っかかったのが、「地球の大きさそのもの」 だったそうなんです。 学校で習った山の高さが、現実と合わない。国と国の位置関係が、記憶の中の地図とわずかにずれている。

もちろん、本人の記憶違いで説明がつく話です。 でも、同じような「地図の違和感」を抱えている人が、世界中に点在しているとなると、ちょっと話が変わってきます。

デジャヴの反対、みたいな感覚です。 見たことがあるはずの景色が、ほんの少しだけ「初めまして」の顔をしている。 僕はこれを夜中に読みながら、自分の通勤路のことを考えていました。毎日歩いているはずのあの道に、明日もし電柱が1本増えていたとして、僕はそれに気づけるんでしょうか。気づけない気しかしません。

分からないまま、次に進みます。

証拠4:12世紀のイギリスに現れた、緑色の兄妹

これはパラレルワールド界(そんな界隈があるのか分かりませんが)では、かなり有名な話のようです。

12世紀のイギリス、サフォーク州のウルピットという村の畑に、ある日突然、全身が緑色の男の子と女の子のきょうだいが現れたそうなんです。

肌の色以外は普通の人間で、空も飛べないしビームも出ない。 ただ、言葉はまったく通じない。 パンは食べられず、さやに入った豆だけは食べられた

いったん冷静になるとかなりシュールな光景ですよね。 畑のど真ん中に緑色の子供がふたりで立っていて、大人たちが恐るおそる差し出したパンは拒否、なぜかさやえんどうだけはもしゃもしゃ食べる。ここだけ切り取るとファンタジーなのか戦隊ヒーローなのか分からなくなります。

この話が面白いのは、ちゃんと当時の修道士が書き残しているという点です。 作り話の類にしては、記録の形式が妙に真面目。

男の子は衰弱して亡くなってしまったそうですが、女の子の方はイギリスの生活に慣れていき、肌の緑色は薄れ、英語もしゃべれるようになりました。 彼女が語った故郷の話が、これまた不思議なんです。

「太陽がなく、夜もなく、黄昏と朝焼けだけがずっと続く土地」。

夜がない、とだけ聞くと北欧の白夜を連想するんですが、黄昏と朝焼けだけ、というのは白夜ともちょっと違う。 故郷の島の名前は「セント・マーチンズ・ランド」だった、とも語ったそうです。

ここからが個人的にいちばん好きな部分なんですが、「セント・マーチンズ・ランド」という名前の島は、実は今の世界にも存在しているんです。 ただし、カリブ海に。 そして、その島が発見されたのは、この緑色の子供たちが現れた時代から何百年もあとのことです。

未来に命名されるはずの島の名前を、過去の子供が故郷として口にしていた。 もちろん、名前が偶然似ているだけ、という説明もできるとは思います。 でも、そう片づけてしまうのが少し惜しい話だなと僕は思いました。

世界には、説明できるけど、説明したくない話というものが、たまにあります。

証拠5:科学の側から見た、パラレルワールド

ここまでオカルトじみた話ばかり書いてきたので、最後は少しだけ真面目な話を。

実は、パラレルワールドに近い概念は、科学の中でもちゃんと議論されているそうです。 量子力学の中に「多世界解釈」と呼ばれる考え方があって、すごくざっくり言うと、「ひとつの選択のたびに、世界は分岐している」 という見方なんです。

僕がこれを読んだときに思ったのは、「じゃあ、今僕がコンビニでツナマヨおにぎりを選んだ瞬間に、梅おにぎりを選んだ世界線もどこかに存在している」ということです。 そう考えると、なんだか急に自分の行動が重くなってきます。梅のほうの僕は、今ごろどこで何をしているんでしょうか。たぶん同じくらいダラけていると思います。

多世界解釈が本当に現実を説明しているのかどうかは、今のところ誰にも断言できません。 ただ、「パラレルワールド」という言葉が、完全にオカルト専用の単語ではなくて、科学の側でも真面目に口にされる言葉になっているという事実だけで、僕には十分に興味深いんです。

夜中に見たオカルトサイトの話と、昼間に読んだ物理の解説が、どこかでひっそり握手している。 そういう瞬間が、僕はかなり好きです。

そして、ある時どこかで読んだ考え方で、今も印象に残っている言葉があります。 「パラレルワールドは、どこかに行くものではなくて、僕たちが毎日、無数の選択の中から選び取っているものなのかもしれない」。 出典ははっきり覚えていません。でも、この言葉の手触りだけは覚えています。

結局、僕が選んでいる世界が、今この世界なのかもしれない

5つの話を追いかけて、改めて思ったことがあります。

  • 存在しないはずの年号の硬貨
  • 存在しないはずの国のパスポート
  • 朝起きたら少しだけズレていた世界
  • 緑色の肌を持ったきょうだい
  • 科学がまじめに議論している多世界

どれも、「これが真相です」と断言できるものではありません。 ぜんぶ、「もしかしたら」の集まりです。

でも、夜中にこういう話を追いかけていると、不思議と怖くなくなってくるんです。 むしろ、世界にまだ「ちゃんと説明されていない余白」が残っていることに、少しホッとしている自分がいる。

最近の僕は、スマホを開くたびに誰かが正解を言っているような気がしていました。 「これが真実」「これが答え」「これを知らない人はヤバい」。 そういう言葉に囲まれすぎると、分からないままでいることが、まるで罪みたいに感じられる夜があります。

でも、今夜追いかけた5つの話は、どれも「分からないまま」ここまで残ってきたものばかりでした。 千年前の修道士が記録を残しても、21世紀の空港で物証が揃っても、誰も最終的な答えを出せていない。

分からないまま残っていいものが、世界にはちゃんとある。 それだけで、今夜はすこしだけ、眠りやすくなった気がします。

もしこの文章を読んでいるあなたが、今いる世界に少しだけ違和感を覚えているなら。 それはたぶん、気のせいです。気のせいですが、気のせいじゃない可能性も、ほんのわずかにだけ、残っている。 そのわずかを抱えたまま生きていくのも、案外悪くないことなのかもしれないと、今の僕は思っています。

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