「本当の自分が分からない」「自分は何をしたいのか、いくら考えても答えが出ない」。そんなとき、僕たちはよく「自分探し」という言葉を使います。
この言葉には、どこかに完成済みの“本当の自分”が隠れていて、それを見つけさえすれば迷いが終わるような響きがあります。けれど心理学の研究を追っていくと、「自分探し」という一つの仕組みが発見されているわけではありません。研究で近いのは、アイデンティティの探索とコミットメント、自己像がどれくらい明確かという自己概念の明確さ、今の自分と理想の自分のずれ、そして考え続けても前へ進まない反すう的探索といった複数の概念です。
それらを並べると、自分探しは単なる未熟さとも、無条件に必要な成長とも言い切れません。選択肢が増えたり、それまでの役割が合わなくなったりしたときに、自分の方向を探り直すことには発達上の意味があります。その一方で、「完全に納得できる本当の自分が見つかるまで選べない」と考え続ける状態は、同じ“探索”でも少し性質が違います。
では、人はなぜ自分を探したくなり、どこから迷いの堂々巡りになってしまうのでしょうか。
「自分探し」は心理学で一つの現象ではない
まず押さえておきたいのは、「自分探し」が心理学上の単一の正式概念ではないことです。旅行に出ること、自己分析をすること、仕事を変えること、価値観を見直すことまで、日常語ではかなり違う行動を同じ言葉で呼べてしまいます。
心理学で長く研究されてきた近いテーマの一つが、アイデンティティ形成です。James E. Marciaは1966年の研究で、青年期のアイデンティティを「危機(crisis)」と「コミットメント(commitment)」の有無から4つの状態に分けました。ここでいう危機は、ただ苦しんでいるという意味より、職業や価値観について選択肢を検討する時期を指す概念で、後の研究ではより広く「探索」として扱われていきます。
ただし、Marciaの1966年の研究は男子大学生86人を対象とした古典的研究です。現代のあらゆる年代・文化・性別の人へ、そのまま当てはめられるものではありません。それでも、「自分とは何者か」を固定された答えとして測るのではなく、選択肢を探ることと、何かを選び引き受けることの組み合わせとして捉えた点は、その後のアイデンティティ研究の重要な土台になりました。
もう一つ、自分が分からない感覚に近いのが**自己概念の明確さ(self-concept clarity)**です。Jennifer D. Campbellらの1996年の研究では、自分についての信念がどれくらい明確で、自信をもって定義され、内部的に一貫し、時間的に安定しているかを表す概念として整理されています。
さらに、今の自分となりたい自分のずれを扱う自己不一致、将来自分がなり得る姿を扱うpossible selves、考えても考えても決められない反すう的探索などもあります。
こうして分けてみると、「なぜ自分探しをしてしまうのか」という問いには、一つの原因を答えるより、自分の何が揺らいでいるのかを分解したほうが見えやすくなります。自分の役割を選び直しているのか。今の自己像がぼやけているのか。理想との距離が気になっているのか。それとも、答えを探すこと自体から抜けにくくなっているのか。同じ「自分が分からない」でも、中身はかなり違います。
人は「自分を見つける」より、選びながら自分を作っていく
自分探しという言葉からは、「本来の自分」を発見する場面を想像しやすいのですが、アイデンティティ研究で中心になるのは発掘よりも探索とコミットメントの往復です。
Marciaの枠組みでは、選択肢を十分に検討していない状態、検討している途中の状態、周囲から与えられた方向へ強くコミットしている状態、探索を経て一定の方向を選んでいる状態などが区別されました。これは「一度正解を見つけたら生涯そのまま」という話ではなく、何を選ぶか、どれくらい引き受けているかを見る考え方です。
Jeffrey Jensen Arnettは2000年、10代後半から20代、とくに18〜25歳ごろを中心にemerging adulthoodという発達期を提案しました。原論文では、この時期の特徴の一つとして恋愛、仕事、世界観などのアイデンティティ探索を挙げています。
若い時期に「何をしたいのか分からない」が起こりやすいのは、単に若者が優柔不断だからではなく、進路、仕事、住む場所、人間関係など、それまで家族や学校によってある程度決まっていた選択が本人へ移ってくる時期と重なりやすいからだ、と考える余地があります。選択肢が増えれば、選ぶ前に比較する時間も増えます。
ただ、Arnett自身が強調しているように、emerging adulthoodは普遍的に全員へ当てはまる段階ではありません。若者が長いあいだ独立した役割探索をできる社会・文化的条件があることを前提にしています。18歳になれば人間の脳に「自分探しモード」が自動で起動する、という話ではありません。
僕にはこの点が、自分探しを考えるうえでかなり大事に見えます。人は何もないところから突然「自分って何だろう」と悩み始めるのではなく、今まで自分を支えていた役割や選択が確定ではなくなったとき、自分について考え直す必要が生まれやすい。進学、就職、転職、結婚、別れ、親になること、仕事を辞めることなど、出来事は違っても「以前の答えをそのまま使えない」という点では似ています。
もちろん、これは特定の出来事が必ず自分探しを引き起こすという因果の証明ではありません。アイデンティティ研究から見えるのは、自己像が「見つけるだけの完成品」ではなく、選択と経験を通して形成され、場合によっては作り直される対象として扱われていることです。
今の自分と「なりたい自分」がずれると、探索は始まりやすい
自分について考え直すきっかけを、別の角度から説明する理論もあります。
E. Tory Higginsが1987年に発表した自己不一致理論では、自己についての表象を、現在の自分に当たるactual self、自分や重要な他者が望む理想像であるideal self、義務や責任としてそうあるべきだと考えるought selfなどに分けています。理論の中心は、それぞれの不一致が異なる感情的な脆弱性と関係するというものです。
ここで慎重にしたいのは、Higginsの研究が「自己不一致が自分探しを起こす」と直接検証したものではないことです。それでも、なぜ安定していたはずの自分が急にしっくりこなくなるのかを考える補助線にはなります。
たとえば、今の仕事を続けている自分と、本当は別のことをしたいと思う自分が離れていく。周囲から期待される役割と、自分が望む方向が合わなくなる。以前は満足していた生活が、今の将来像から見ると違って見えてくる。こうしたときに起きているのは、単純な「自己知識不足」だけではなく、複数の自己像が同時に存在し、その距離が気になる状態とも考えられます。
Hazel MarkusとPaula Nuriusが1986年に提示したpossible selvesも、この問題を理解しやすくしてくれます。possible selvesは、「自分がなり得る姿」「なりたい姿」「なりたくない姿」といった未来の自己像で、現在の自分を評価したり、行動の方向を考えたりする文脈になると論じられました。
この考え方に沿えば、自分探しは過去を掘って「本当はどんな人間だったのか」を調べるだけの作業ではありません。未来にあり得る自分が増えたとき、その中からどれを自分の方向として採用するかを考える作業でもあります。
選択肢が少ないとき、自分は比較的はっきりして見えるかもしれません。ところが「この会社に残る自分」「別の仕事へ行く自分」「何かを学び直す自分」「今の生活を優先する自分」が一度に見えてくると、現在の自己像は相対化されます。自分が消えたというより、自分の候補が増えたために、一つに決めにくくなったと考えたほうが近い場面もありそうです。
自分探しは若い人だけのものではない
アイデンティティ研究は青年期を中心に発展してきました。そのため、「自分探しは若者がするもの」という印象にも、まったく根拠がないわけではありません。進路や職業、恋愛、価値観を大きく選び始める時期には、探索するテーマが多いからです。
けれど、そこで「30代や40代になって自分が分からなくなるのはおかしい」とまでは言えません。
Marciaは2002年の成人期のアイデンティティに関する論文で、成人の心理社会的発達の中でも、アイデンティティが循環的に再形成され得る過程を論じています。これは成人全体を追った大規模研究で「何歳になると必ずアイデンティティ危機が来る」と示したものではなく、理論的・臨床的な議論を含む論文です。青年期の研究と同じ厚さの証拠として扱うべきではありません。
それでも、成人後に自己像が再び揺れることを発達上の異常として片づけないためには役立ちます。仕事で長く持っていた役割がなくなる、家族関係が変わる、身体や生活条件が変わる、ずっと目指してきたものを達成して次の目標が消える。こうした変化があれば、以前の自分を作っていた前提も変わります。
「昔はやりたいことがあったのに、今は分からない」という状態は、昔の自分を失ったというより、昔の選択で作られた自己像が現在の状況へ合わなくなっている可能性があります。アイデンティティを一度完成したら固定されるものではなく、人生の中で再編され得るものとして見ると、年齢を重ねてからの自分探しも不思議ではありません。
ただし、ここでも「人生の転機には自分探しが必要」とまでは言えません。変化があっても自己像をほとんど揺らさない人もいるでしょうし、成人期のアイデンティティ形成については青年期ほど研究が均一に蓄積しているわけでもありません。年齢だけで正常・異常を分けるより、「今までの役割と現在の選択がどれくらい噛み合っているか」を見るほうが、少なくとも今回の研究群には合っています。
「考えるほど分からない」は、探索の種類が変わっているかもしれない
自分探しについて厄介なのは、考えること自体が悪いわけではないのに、考えれば考えるほど苦しくなる場合があることです。
Koen Luyckxらは2008年の研究で、従来のアイデンティティ探索をさらに細かく捉え、**ruminative exploration(反すう的探索)**を区別しました。論文では、2つの後期青年期サンプル、合計703人のデータを使っています。
この研究が面白いのは、「探索」を一枚岩にしなかったところです。アイデンティティについて考えたり選択肢を広げたりすることは、好奇心や開放性と結びつく側面がある一方、不安や抑うつとの関連も報告されてきました。そこでLuyckxらは、選択肢を探索するプロセスと、答えが出ないこと自体について考え続ける反すう的なプロセスを分けました。
日常語へかなり乱暴に訳すなら、
- 「この仕事とあの仕事では、自分は何を大事にしたいか」を比べ、実際の選択へ近づいていく探索
- 「まだ本当の答えではない気がする。もっと考えれば完全な答えがあるはずだ」と、結論の出なさそのものを何度も考える探索
は、同じ“自分について考える”でも違うということです。
これは「悩むくらいなら考えるのをやめればいい」という意味ではなく、探索には選択肢を見つける働きもあります。問題になり得るのは、探索した情報が次の選択や見直しへ使われず、探索を続けることだけが増えていく状態です。
そして、アイデンティティ発達全体と精神的不調の関係も、簡単な因果にしてはいけません。Rachel Potterton、Amelia Austin、Lauren Robinson、Hannah Webb、Karina L. Allen、Ulrike Schmidtによる2022年の系統的レビューとメタ分析は、青年期からemerging adulthoodのアイデンティティ発達と抑うつ・不安・摂食障害症状などの縦断的関係を検討した20研究、計13,787人をまとめています。
ナラティブな統合では双方向の関連を示す研究があった一方、9研究を用いたメタ分析では、identity synthesis/confusionと不安・抑うつ症状の有意な関連は確認されませんでした。しかも含まれた研究の質は55%がfair、45%がpoorで、著者ら自身が強い結論にはより質の高い研究が必要だとしています。
ですから、「自分が分からないとメンタルが悪くなる」「自分探しを続けるから病む」といった一本道にはできません。反対に、精神的なつらさが自己像の整理を難しくする方向も考えられますし、共通する別の要因が両方に関係している可能性もあります。
僕がここで分けておきたいのは、探索することと探索から出られないことです。前者には試す、比べる、選ぶ、選んだものを見直すという動きがあります。後者では「まだ確信が足りない」という理由で、選択の前に戻り続けます。自分探しが苦しくなっているとき、探している内容だけでなく、探索がどちらの動きになっているかを見る意味はありそうです。
「自分がはっきりしているほど良い」とも限らない
ここまで読むと、「だったら早く自分を明確にしたほうがいい」と思うかもしれません。けれど、自己概念の明確さをそのまま人間としての完成度に置き換えるのも危険です。
Campbellらが扱ったself-concept clarityは、自分についての信念が明確で、一貫し、時間的に安定している程度を測る概念です。低いself-concept clarityは、慢性的な自己分析や反すう的な自己注目などと関連していました。ただ、この研究には文化比較も含まれていました。
日本人参加者はカナダ人参加者よりself-concept clarityの平均が低く、self-concept clarityとself-esteemの相関も弱いという結果が報告されています。ここから「日本人は自分が分かっていない」「カナダ人のほうが健全だ」と結論づけるのは飛躍です。研究者たちが論文タイトルに“cultural boundaries”と入れたように、そもそも「一貫して明確な自己」をどれくらい重視するか、その自己像が自尊感情とどう結びつくかは、文化的な自己理解の違いから影響を受ける可能性があります。
自分というものは、場面が変わっても完全に同じでなければならないのでしょうか。家族の前の自分、仕事での自分、友人といる自分が少し違うことは、それだけで自己が壊れている証拠にはなりません。Campbellらの研究はself-concept clarityという有用な尺度を示しましたが、その高低を単純な優劣へ変換しないことも同時に教えてくれます。
この点は、自分探しの“ゴール”を考えるときにも効いてきます。自分の性格、価値観、仕事、関係、将来像を全部一本の説明にまとめ、どんな状況でも一切揺らがない自己像を作ることが必要とは限りません。むしろ「何について迷っているのか」を領域ごとに分けたほうが扱いやすい場面があります。
仕事については方向が決まっているけれど、人間関係はまだ分からない。価値観は以前より見えているけれど、将来像は変わり続けている。そういう状態もあり得ます。「自分が分からない」という一文に全部を詰め込むと、分からない範囲まで必要以上に大きく見えてしまいます。
自分探しを終わらせるのは「正解の自分」を見つけることではない
ここまでの研究を日常へ戻すと、自分探しとの付き合い方について一つ整理できます。ただし、これから書くのは「こうすれば自分探しが治る」と実証された介入法ではなく、Marcia、Luyckx、Markusらの研究モデルを僕なりに日常の問いへ翻訳したものです。
まず、「自分とは何者か」を一文で完成させようとするより、どの領域の答えを探しているのかを分けたほうがよさそうです。仕事の方向、誰とどう関わりたいか、何に時間を使いたいか、何を大切にしたいか。アイデンティティ研究自体も、職業や価値観など複数の領域を扱ってきました。
次に、「これは本当の自分か」と確定判定する代わりに、「今のところ、これを選ぶか」と仮置きしてみる考え方があります。commitmentは、永遠に変更できない契約ではありません。少なくともアイデンティティ研究の流れでは、探索とコミットメントは対立するものというより、形成過程の中で関係し合うものとして扱われています。
選んだあとに得られた経験は、次の再評価の材料になります。頭の中だけでは「向いている自分」「向いていない自分」の両方をいくらでも作れますが、何かを引き受けたあとの経験には、想像だけでは得られない情報があります。ここで選択を絶対視する必要もなく、合わなければ見直す余地を残しておけばいい。
そして、同じ問いを何度も考えているのに、判断材料が増えるのではなく選択肢だけが増え続けているなら、「自分を探している」というより、探索そのものが反すう的になっていないかを見ることができます。Luyckxらの研究が示したのは、探索という言葉の中に性質の異なる動きがあることでした。
僕はこの研究群を並べると、自分を発見物より、更新される仮説に近いものとして扱うと分かりやすいと思っています。これは心理学が「本当の自分は存在しない」と証明したという意味ではなく、研究からそこまで哲学的な結論は出せません。ただ、「自分が完全に分かってから選ぶ」のではなく、「ある程度選び、その経験から自分について分かることもある」という見方なら、探索とコミットメントの関係を無理なく説明できます。
自分探しが長くなると、「まだ答えを見つけられていない」という感覚そのものが焦りになります。けれど今回確認した研究では、アイデンティティは“隠れている答えを一度だけ当てる問題”として扱われていませんでした。探索し、何かを引き受け、必要ならまた見直す。その動きの中で自己像が作られていく、というモデルのほうが中心です。
僕には「自分が分からない」という状態を、まだ本当の自分を発見できていない失敗と見るより、今まで使えていた答えが合わなくなり、次の選択を作り直している途中と読むほうが自然に見えました。
参考文献・出典
- Marcia, J. E. (1966). Development and validation of ego-identity status. Journal of Personality and Social Psychology, 3(5), 551–558. https://doi.org/10.1037/h0023281
- Arnett, J. J. (2000). Emerging adulthood: A theory of development from the late teens through the twenties. American Psychologist, 55(5), 469–480. https://doi.org/10.1037/0003-066X.55.5.469
- Campbell, J. D., Trapnell, P. D., Heine, S. J., Katz, I. M., Lavallee, L. F., & Lehman, D. R. (1996). Self-concept clarity: Measurement, personality correlates, and cultural boundaries. Journal of Personality and Social Psychology, 70(1), 141–156. https://doi.org/10.1037/0022-3514.70.1.141
- Higgins, E. T. (1987). Self-discrepancy: A theory relating self and affect. Psychological Review, 94(3), 319–340. https://doi.org/10.1037/0033-295X.94.3.319
- Markus, H., & Nurius, P. (1986). Possible selves. American Psychologist, 41(9), 954–969. https://doi.org/10.1037/0003-066X.41.9.954
- Luyckx, K., Schwartz, S. J., Berzonsky, M. D., Soenens, B., Vansteenkiste, M., Smits, I., & Goossens, L. (2008). Capturing ruminative exploration: Extending the four-dimensional model of identity formation in late adolescence. Journal of Research in Personality, 42(1), 58–82. https://doi.org/10.1016/j.jrp.2007.04.004
- Marcia, J. E. (2002). Identity and Psychosocial Development in Adulthood. Identity, 2(1), 7–28. https://doi.org/10.1207/S1532706XID0201_02
- Potterton, R., Austin, A., Robinson, L., Webb, H., Allen, K. L., & Schmidt, U. (2022). Identity Development and Social-Emotional Disorders During Adolescence and Emerging Adulthood: A Systematic Review and Meta-Analysis. Journal of Youth and Adolescence, 51, 16–29. https://doi.org/10.1007/s10964-021-01536-7



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