自分に優しくすると甘える?セルフ・コンパッションと成長の関係を研究から考える

生き方・考え方

何か失敗したとき、「まあ仕方ない」と自分を許したら、また同じことを繰り返す気がする。だから、少しくらい自分を責めた方がいい。そう考える人は少なくないと思います。

締め切りを守れなかった。余計な一言で誰かを傷つけた。やろうと決めたことを、また先延ばしにした。最初は行動を振り返っていたはずなのに、いつの間にか「自分は本当にだめだ」と人格を裁く時間に変わっていることもあります。

では、自分に優しくすればいいのでしょうか。

先に答えると、自分に優しくすることと、失敗をなかったことにする「甘え」は同じではありません。 心理学でいうセルフ・コンパッションは、苦しいときの自分を支えながら、起きた事実も見失わない態度です。短期的な実験では、失敗後にセルフ・コンパッションを促された人の方が、償い、勉強、自己改善へ向かう動機を強く示した例もあります。

もっとも、「自分に優しくすれば成長できる」とまで言い切れる研究ではありません。自己申告に頼る研究が多く、心理尺度の測り方にも論争があります。介入の効果も、別の心理療法より特別に優れていると確定したわけではありません。

この記事では、セルフ・コンパッションを新しい万能薬として持ち上げるのではなく、「甘えになるのでは」という疑問に、研究で答えられるところまで答えてみます。

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自分に優しくすることは、甘えと同じではない

「自分に優しくする」という言葉は、かなり幅広く使えます。

疲れた日に休むことも、自分へのご褒美を買うことも、失敗を許すことも、場合によっては自分に優しくする行為です。ただ、その行為が役に立つかどうかは状況によります。明日までの仕事を放置して動画を見続ければ、今夜は楽でも、明日の自分へ負担を渡しているだけかもしれません。

心理学で研究されているセルフ・コンパッションは、単に「好きなことをする」「自分を肯定する」という意味ではありません。

Kristin Neffが2003年に示した定義では、痛みや失敗に直面した自分へ厳しい批判ではなく理解を向けること、自分の経験を人間に共通するものとして捉えること、苦しい感情へ飲み込まれずバランスよく注意を向けることが含まれます。

ここには、失敗の否認は入っていません。

2007年にMark Learyらが行った五つの研究では、日常の嫌な出来事、仮想の社会的失敗、他者からの評価、気まずい場面を撮影した映像、過去の否定的経験などへの反応が調べられました。そのうち、セルフ・コンパッションの見方を実験的に促した研究では、参加者は嫌な出来事における自分の役割を認めながらも、否定的感情に圧倒されにくい反応を示しました。

責任を軽くしたというより、責任を見ても崩れにくい状態に近いでしょう。

甘えを「都合の悪い事実や必要な行動から離れること」と考えるなら、セルフ・コンパッションはむしろ逆を目指しています。事実を見たうえで、人格攻撃という余計な負荷を足さない。その違いを最初に分けておく必要があります。

セルフ・コンパッションの三つの要素

セルフ・コンパッションは、よく三つの要素で説明されます。

一つ目は、自分へのやさしさです。

失敗した自分に対して、「なんでこんなこともできないんだ」と攻撃する代わりに、苦しさを認め、役に立つ言葉を向けます。何でも褒めるのではありません。友人が同じ失敗をしたとき、事実を指摘しながらも人格までは否定しない。その程度の扱いを自分にも認める、という話です。

二つ目は、共通の人間性です。

失敗すると、「こんなことをするのは自分だけだ」と感じやすくなります。しかし、失敗すること、迷うこと、感情に振り回されることは、人間に広く起きます。「みんな失敗するから問題ない」と責任を薄めるのではなく、失敗によって自分だけが人間失格になったわけではない、と位置づけ直します。

三つ目は、マインドフルネスです。

ここでは、今の苦痛を小さく見せることも、大きく膨らませることもしません。「つらくない」と押し込めず、「もう全部終わりだ」と失敗一つへ自分全体を重ねず、起きていることを見ます。

Neffの尺度では、この三つと対になるものとして、自己批判、孤立、過剰同一化が置かれています。過剰同一化とは、否定的な考えや感情へ巻き込まれ、それが自分のすべてであるように感じる状態です。

日本では、有光興記が2014年に26項目のセルフ・コンパッション尺度日本語版を作成し、信頼性と妥当性を検討しています。日本語で「自分への思いやり」と言うと、やさしさだけが目立ちますが、研究上は「苦しさへどう注意を向けるか」「孤立して捉えないか」まで含む概念です。

この三つを分けると、甘えとの違いも見えやすくなります。自分へのやさしさだけを取り出して、事実を見る部分や次の行動を落とせば、たしかに都合のよい自己正当化になりえます。セルフ・コンパッションは、気分をよくする一言ではなく、苦しい事実を扱うための姿勢として考えた方が近そうです。

なぜ「自分を責めないと成長できない」と感じるのか

自分への批判をやめにくいのは、単に考え方が古いからではありません。自己批判には、少なくともその瞬間、「問題を放置していない」という感覚があります。

失敗した自分へ強い言葉をぶつければ、真剣に反省しているように感じられます。反対に、「つらかったよな」と声をかけると、責任から逃げているようで落ち着かない。厳しさを手放すことが怖い人にとって、自己批判は自分を動かすための道具でもあるのでしょう。

2021年、Christina Chwyl、Patricia Chen、Jamil Zakiは、セルフ・コンパッションについて人が持つ信念を三つの研究で調べました。注目したのは、「自分に思いやりを向けると、自己満足、放縦、無責任につながる」という見方です。

こうした否定的な信念が強い人ほど、現実の嫌な出来事や仮想の困難に対して、セルフ・コンパッションを使わないと回答する傾向がありました。また、セルフ・コンパッションへの信念を肯定的な方向へ動かした研究では、5~7日後に、セルフ・コンパッションに沿った応答をより多く自己報告しました。

これは「説明を読めば人生が変わる」という研究ではありません。測ったのは主に自己申告であり、長期の行動変化まで確かめたわけでもありません。それでも、「甘えになる」という考えそのものが、自分への接し方を変えにくくする障壁になる可能性は示されています。

自己批判を手放せないとき、無理に「自分を愛そう」と言い聞かせても、たぶん言葉が滑ります。先に、「責めなければ動けない」という前提が本当に正しいのかを確かめた方がよさそうです。

失敗後の実験では、むしろ改善への動機が上がった

この疑問へ比較的まっすぐ答えようとしたのが、Juliana BreinesとSerena Chenによる2012年の研究です。

研究者たちは四つの実験を行いました。参加者にセルフ・コンパッションの視点を取ってもらい、自尊心を高める条件、気をそらす条件、介入をしない条件などと比較しました。

最初の実験では、参加者が自分の弱点を思い浮かべました。セルフ・コンパッション条件では、その弱点が変えられるという見方が強く示されました。

次の実験では、過去に自分がした道徳的な失敗を振り返りました。セルフ・コンパッションを促された参加者は、償いたい、同じことを繰り返したくないという動機を強く報告しました。自分を許して忘れた、という結果ではありません。

三つ目は、難しいテストで最初に失敗したあとの勉強です。セルフ・コンパッション条件の参加者は、その後の勉強により長い時間を使いました。四つ目では、自分の弱点を考えたあと、より優れた人と比べて改善の材料を得ようとする傾向や、弱点を変えたいという動機が強くなりました。

四つの結果だけを見ると、「自分に優しい方が成長する」と言いたくなります。そこは少し止まった方がいいところです。

測定されたものには、改善の意図や信念などの自己申告が含まれます。勉強時間は行動として測られましたが、長期の成績や、その後も学習を続けたかまでは示していません。参加者や場面も限られています。職場で大きな失敗をした人、長く先延ばしに苦しむ人、うつ状態にある人へ、そのまま同じ結果を当てはめることはできません。

それでも、この研究は少なくとも「自分に優しくすると必ずやる気が下がる」という決めつけには反証を出しています。セルフ・コンパッションは失敗の痛みを消して無関心にするのではなく、痛みに飲み込まれず改善へ注意を戻す働きを持つ可能性があります。

心の負担を軽くする効果はあるのか

セルフ・コンパッションの研究では、抑うつ、不安、ストレスとの関連がよく紹介されます。ただし、「セルフ・コンパッションが高い人ほど症状が少ない」という相関だけでは、原因と結果の向きは分かりません。

もともと心の状態が安定しているから、自分にやさしくできるのかもしれません。自分にやさしくすることで負担が減るのかもしれません。別の要因が両方へ影響している可能性もあります。

そこで参考になるのが、参加者を条件へ割り振るランダム化比較試験をまとめた研究です。

Areum HanとTae Hui Kimが2023年に発表したメタ分析は、セルフ・コンパッションを育てる介入を扱った56件のランダム化比較試験を統合しました。介入直後には、抑うつ、不安、ストレスを減らす小~中程度の効果があり、追跡時には抑うつとストレスに小さい効果が報告されています。

数字だけなら期待できそうですが、著者たちは、含まれた研究全体のバイアスリスクが高いと評価しています。能動的な対照群、つまり何もしない人ではなく別の活動や支援を受けた人と比較した研究も多くありません。苦痛の強い人を直接対象にした研究も限られていました。

さらに、A. C. Wilsonらが2019年に公表した22件のランダム化比較試験のレビューでは、セルフ・コンパッション関連の療法は、セルフ・コンパッション、抑うつ、不安を中程度改善していました。しかし、別の能動的な心理介入を受けた対照群との比較に絞ると、有意な差は確認されませんでした。

ここから言えるのは、セルフ・コンパッションを扱う介入が無意味だということではありません。何らかの心理的支援の中で変化しうる要素ではある一方、「この方法だけに特別な治療効果がある」とまでは確認できていない、ということです。

セルフ・コンパッションは、日常で試せる考え方にはなります。しかし、うつ、不安、トラウマなどの症状に対する治療の代わりとして、一人で抱える理由にはできません。

研究結果をそのまま信じ切れない理由

セルフ・コンパッション研究には、もう一つ見落としにくい論争があります。何をもって「セルフ・コンパッションが高い」と測るのか、という問題です。

広く使われているSelf-Compassion Scaleは、26項目からできています。自分へのやさしさ、共通の人間性、マインドフルネスを測る肯定的な項目だけではありません。自己批判、孤立、過剰同一化を測る否定的な項目を逆向きにして、合計点へ含めます。

この方法に対しては、Peter Murisらを含む研究者から批判があります。

たとえば、「セルフ・コンパッションが高い人ほど抑うつが低い」という結果が出たとします。合計点の中に「自分を強く批判しない」「否定的感情へ巻き込まれにくい」という項目が入っていれば、心理的苦痛との関連が強く見えるのは、ある意味で当然ではないか。自己へのやさしさの効果というより、自己批判や過剰同一化の少なさを測っているのではないか、という指摘です。

一方、Neffらは、六つの要素が一つのまとまりとして働くため、合計点にも理論的・統計的な根拠があると反論しています。2023年のレビューでも、この測定論争や研究上の問題が取り上げられています。

現時点で、セルフ・コンパッションという概念全体が無効になったわけではありません。ただ、「自己へのやさしさ」「自己批判の少なさ」「感情に飲み込まれにくいこと」を一つの点数で扱うと、どの要素が結果と関係したのか分かりにくくなります。

研究の多くが自己報告であることも含め、効果を大きく見積もらない方が安全です。提唱者自身が尺度や主要レビューの著者である点も、研究を否定する理由ではありませんが、独立した追試や異なる測定法を重視する理由にはなります。

甘えにしないための「事実・いたわり・次の一手」

研究を日常で使うなら、「自分に優しくしよう」だけでは少し曖昧です。そこで、僕は三つに分けて考えるのが実用的だと思います。

これは医療的な治療法ではなく、ここまでの研究を日常語へ置き直した整理です。

最初は、起きた事実と責任を一文で認めることです。

「締め切りを一日過ぎた」「約束した連絡をしなかった」「相手を傷つける言葉を言った」。ここでは理由を消さず、人格評価も足しません。「自分はだめだ」は事実ではなく評価です。反対に、「忙しかったから仕方ない」だけでは、自分が変えられる部分まで消えることがあります。

次に、苦痛へ余計な人格攻撃を加えないことです。

失敗して困っている人に、さらに「こんなこともできない人間だ」と言っても、新しい情報は増えません。つらい、恥ずかしい、怖いという感情を認めたうえで、今の自分が問題を扱える程度まで支えます。

最後に、次の行動を一つ決めることです。

謝る。締め切りの相談をする。作業を10分だけ始める。通知を切る。予定を半分にする。必要なら、誰かへ手伝いを頼む。

「次は絶対に失敗しない」と誓うより、具体的な一手の方が修正できます。セルフ・コンパッションが甘えに変わっていないか不安なら、最後に「自分や他人の負担を減らす次の行動があるか」を確認すると、区別しやすくなります。

もちろん、すぐ行動できないほど消耗しているときもあります。その場合は、休むこと自体が次の一手になることもあるでしょう。ただし、休む期間も方法も決められず、問題から離れ続けて苦しさが増しているなら、自分へのやさしさだけでなく、環境の変更や他者の助けが必要です。

自分へのやさしさだけでは足りない場面もある

セルフ・コンパッションは、自分の内側での接し方です。外側にある問題を自動で解決してくれるわけではありません。

誰かを傷つけたなら、謝罪や償いが必要になることがあります。仕事の負担が大きすぎるなら、考え方を変えるより業務量や期限の調整が先です。暴力やハラスメントがある場所で、自分を落ち着かせながら耐え続けることを「セルフ・コンパッション」と呼ぶのも違うでしょう。安全な場所へ離れることや、相談することが必要です。

また、強い落ち込みや不安が続く、眠れない、食べられない、日常生活に支障がある、自分を傷つけたい気持ちがあるといった場合は、この記事の方法だけで解決しようとしないでください。セルフ・コンパッションの介入研究に一定の効果はありますが、診断や治療を置き換える根拠にはなりません。

自分に優しくすることは、「全部自分で何とかすること」でもありません。自分の苦しさを軽く扱わず、必要な助けにつなぐことも含めて考えた方が自然です。

僕の考察――厳しさではなく、修正できる余白を残す

ここからは、研究結果そのものではなく、調べたうえでの僕の考えです。

「自分に厳しいか、甘いか」という二択には、行動の基準と人格への攻撃が混ざっています。

期限を守る。約束したことをする。失敗したら理由を見直す。必要なら謝る。こうした基準は、自分を罵倒しなくても残せます。反対に、どれだけ強く自分を責めても、具体的な修正がなければ基準を守ったことにはなりません。

人格を責める言葉は強いので、真剣に考えている感じがします。でも、「自分はだめだ」からは、次に何を変えるかがほとんど分かりません。失敗の分析としては、情報量がかなり少ないのです。

自分へのやさしさは、責任を軽くするためというより、責任を見られる状態へ戻るためのものだと考えられます。

自分へのやさしさという言葉より、僕には「次の一手を考えられる余白」の方が、今回の研究をよく表しているように思えます。

参考文献・出典

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