また、深夜に胡散臭い動画を見てしまった
前にも書いたんですけど、僕は深夜になるとYouTubeのアルゴリズムに負けます。
この前見たのは「努力を捨てろ」系の動画で、今回は**「お金の裏ルール」**みたいな動画でした。
内容はざっくり言うとこうです。お金は物質じゃなくてエネルギーの流れだ、握りしめるから逃げていく、宇宙と繋がれば無限の豊かさが流れ込んでくる、みたいな話。
例のごとく、僕は半笑いになっていました。
量子力学とか宇宙のエネルギーとか、そういう大きい言葉が出てくると、僕は反射的に距離を取ってしまう。「それ、証明できるの?」って聞きたくなる。
だから動画は途中で閉じました。
……のに、またしても翌日、ある一言が頭に残っていたんです。
「豊かさって、本当は数字じゃないのかもしれない」
動画の主張を全部受け取ったわけじゃない。でも、その一点だけは、なんとなく自分の中でも昔から薄々感じていたことと繋がった気がしました。
今日はその話を書きます。断言はしません。いつものことです。
年収の高い人が、そんなに幸せそうに見えない
まず自分の周りを観察してみました。
職場で一番給料が高そうな先輩。高そうな時計をして、高そうなスーツを着て、高そうな車に乗っている。
でもその人、常に何かに焦っている顔をしているんですよね。
飲み会でもずっとスマホを気にしているし、休みの日も投資のチャートを見ていると言っていた。お金を増やすことに取り憑かれているような、そんな雰囲気がある。
逆に、そこそこの給料で、そこそこの暮らしをしている別の先輩は、週末に読書したり公園を散歩したりして、なんとなく満ち足りた顔をしている。
これ、どっちが豊かなんだろう、と思いました。
数字で言えば、前者の方が圧倒的に豊かです。でも、空気感で言えば、後者の方が豊かに見える。
もちろん僕の観察は浅いです。高給取りの先輩にも満ち足りた瞬間はあるだろうし、そこそこの先輩にも悩みはあるはず。
でも、お金の量と満たされ具合が、そのまま比例していない感じは、なんとなくある。
これに気づいたとき、ちょっと不思議な気持ちになりました。
「足りない」と思っている時、しんどい
自分の話もします。
僕の給料は、めちゃくちゃ多いわけでも少ないわけでもない、ふつうの金額です。
で、お金に対してしんどい時と、そうじゃない時があるんですよね。
しんどい時は、だいたい「足りない」と思っている時です。
家賃と生活費と、あとこれが払えたら、あれも欲しいし、老後も心配だし……って考え始めると、同じ給料でも急に足りなく感じる。
でも、それと全く同じ給料なのに、ある日ふと「あ、意外と足りてるな」と思う瞬間もある。
給料日でもないし、何かが増えたわけでもない。ただ、頭の中の計算が少し止まって、今ある分だけを見た時に、「あ、生きていけてる」って思える。
お金そのものが同じでも、見ている自分の状態で豊かさが変わる気がします。
これ、たぶん多くの人が感じていることなんですけど、僕は最近までちゃんと言葉にしていませんでした。
動画はこれを「周波数」とか「観測者効果」とか言っていたけど、僕はそこまでの説明は要らないんです。
ただ単に、「足りない」と思っていると足りないし、「足りてる」と思えると足りる、みたいな、地味な心の動きの話。
握りしめている時の、あの感じ
もう一つ気づいたのは、お金を握りしめている時の感覚です。
給料が入って、使いたくなくて、通帳の数字を眺めている時。コンビニで一円でも安い方を探して、結局何も買わずに出てくる時。友達との食事で、明らかに自分が損してないかを計算している時。
これ全部、お金を守ろうとしている状態なんですけど、不思議なことに、その時が一番お金のことを考えているんですよね。
豊かさの逆に近い気がする。
だって、一日中お金の心配をしている人って、数字はあっても心が貧しいじゃないですか。
逆に、お金をあんまり気にしていない時は、お金のことを忘れている時で、そういう時の方が内側が静かなんです。
もちろん、これは「守るな、使え」という話じゃないです。守るべきものは守ったほうがいい。浪費しろと言いたいわけでもない。
ただ、握りしめる力が強すぎると、手の中に何があるかよく見えなくなるみたいな感じがある。
動画では「握りしめるから逃げていく」みたいなことを言っていて、さすがにそれは言い過ぎだと思うけど、握りしめている時に豊かさを感じにくいのは確か、と自分の経験としては思いました。
先に何かを出すと、何かが戻ってくる気がする
動画のもう一つの主張は、「先に感謝を出せ、先に行動を出せ、そうすれば宇宙から豊かさが戻ってくる」みたいなことでした。
これもスピリチュアルっぽく言われるとうさんくさい。
でも、極めて地味なバージョンでなら、ちょっと心当たりがあるんです。
例えば、レジで「ありがとうございました」と言われて、こっちも「ありがとうございました」と返すと、なぜか気分がちょっと上がる。
誰かに小さな親切をした日は、なぜかその日の機嫌が少しマシになっている。
これは「宇宙が豊かさを返してくれた」とかじゃなくて、たぶん自分の内側の感覚が変わっているだけなんだと思う。
でも、内側の感覚が変わるってことは、豊かさの感じ方も変わるってことで。
そう考えると、「先に何かを出す」という行為は、宇宙に対してじゃなくて、自分自身に対して効いているのかもしれない。
これくらいの解釈なら、僕も飲み込めます。
動画のスケールは受け取れないけど、ミニサイズの観察としては、そこそこ納得できる。
受け取るのが下手、という自覚
一方で、書きながら気づいたことがあります。
僕は、受け取るのがめちゃくちゃ下手です。
人に親切にされると「悪いな」と思ってしまうし、褒められても「いやいやそんな」と反射的に否定する。お金を余分にもらったら「申し訳ない」が先に出る。
これ、たぶん謙虚さじゃなくて、自分が受け取るに値しないと思っている感覚が根っこにある気がします。
動画では「器の拒絶反応」みたいに言っていて、その言葉自体は大げさだけど、受け取りを無意識に拒否する心のクセというのは、確かに自分の中にあるなと思いました。
豊かさを感じるためには、与えるだけじゃなくて、ちゃんと受け取る側に回る練習もたぶん必要なんですよね。
ここは、動画に教えられたというより、自分の中で眠っていたものが引っ張り出された感じでした。
比べ始めると、豊かさは一瞬で消える
もう一つ、自分の中で思い当たることがあります。
僕がお金について一番しんどくなるのは、誰かと比べた時です。
SNSで同年代の誰かが高級店で食事している写真を見た時。友人が新しい車を買ったと聞いた時。昇進した同期の話を聞いた時。
その瞬間、さっきまで普通に暮らせていたはずの自分の生活が、急に貧しく見えてくる。
家賃を払えていて、ご飯も食べられていて、本当は何も変わっていないのに、「自分は足りていない」という感覚だけが、ドンと重くのしかかる。
これ、たぶん豊かさを殺す一番の習慣なんですよね。
比べる相手は無限にいます。僕より稼いでいる人、僕より良い暮らしをしている人、僕より自由そうな人。探し始めたらキリがない。
そして比べると、どこまで行っても「足りない」になる。
豊かさを感じられる瞬間って、比べるのをやめた時だけな気がします。
自分の今の生活を、他人の生活と比べずに見る。そうすると、「あ、これでやっていけてる」が戻ってくる。
これを言うと「現状に満足しろってこと?」と思われそうですけど、そういうことじゃないです。
変化を求めるのと、今を否定するのは、別のことだと思うんです。
前に進みたい気持ちを持ちながら、同時に今ある分を大事にする。この両立は、たぶんできる気がする。
でも、比べ始めた瞬間、それが一気に崩れる。
だから最近は、SNSを閉じる時間を増やすようにしています。これも、動画の「情報遮断」とは違う、地味な自衛策です。
贅沢を知っている人ほど、意外と静か
もう一つ観察したことがあります。
世の中には、お金の使い方が派手な人と、静かな人がいます。
派手な人は、SNSに高そうな食事や旅行の写真を上げて、「これだけ稼いでいる」「これだけ楽しんでいる」というのを発信している。
一方で、本当に経済的に余裕がある人って、意外とそれを見せない気がするんです。
僕の知り合いに、見た感じは普通の会社員なのに、話を聞くとけっこう資産がある人がいます。でもその人、外食も外でのランチくらいだし、服も同じものを長く着ている。
聞いたら「欲しいものがあんまりない」と言っていました。
必要なものと、見栄で欲しくなるものを、ちゃんと分けられる人なんだと思います。
派手に見せないといけない人は、たぶんまだどこかで**「自分は足りていない」と感じている**んじゃないか、と。
自分が豊かだと実感できていれば、わざわざ外に向けて証明する必要がない。証明したい時って、自分自身に対して証明したい時なんですよね。
これは人のことを悪く言いたいわけじゃないです。僕もSNSで「いい感じの自分」を見せたくなる瞬間があるから。
ただ、本当に静かな豊かさを持っている人は、あんまり発信しないというのは、自分の観察として書いておきたいと思いました。
じゃあ、豊かさって何なんだろう
ここまで書いてきて、じゃあ僕が思う豊かさって何なのか、考えてみました。
お金の量じゃない。それは多分違う。
でも**「お金なんか関係ない」と言い切るのも嘘**です。お金がない時期って、普通にしんどいから。家賃が払えなかったら心も荒れるし、病院代が重かったら体も休められない。数字を全部無視できるほど、僕は聖人じゃない。
じゃあ何なのかというと、今のところの僕の感覚はこうです。
豊かさは、自分と現実の関係の中にある気がする。
お金の数字が同じでも、「足りない」と思っている時と「足りてる」と思える時では、豊かさの感覚が全然違う。握りしめている時と手を緩めている時でも違う。受け取り下手な時と、素直に受け取れる時でも違う。
つまり、同じ現実に対して、自分がどう向き合っているかで、豊かさの総量が変わる。
これは前に書いた「幸せは状態じゃなくて関係」みたいな話と、たぶん繋がっています。
豊かさも、固定された状態じゃなくて、自分と現実の間に流れるもの。
言葉にすると抽象的ですけど、そのくらいしか今は言えないです。
でも「お金は関係ない」とは言わない
ここで一つ、線を引いておきたいんです。
豊かさは数字じゃない、という話は、「だからお金を稼ぐ努力は無駄」「お金を気にするのは貧しい」みたいな方向には、たぶん行かない方がいい。
お金がないと困る場面は、ちゃんとあります。稼ぐ努力も、守る努力も、それはそれで大事。
ただ、「数字を増やせば豊かになれる」という前提だけを信じていると、どこまで行っても足りない気がするってこと。
数字も大事だけど、数字だけじゃない。
そのくらいの温度感で、お金と付き合いたいなと思いました。
分からないまま、今夜も生活する
今夜も答えは出ませんでした。
お金が豊かさに直結しているのか、内側の感覚の方が大事なのか、その割合がどのくらいなのか、全部はっきりしません。
ただ、**「数字を見るのをやめて、生活の感覚を確かめる時間」**は、もう少し増やしてもいい気がしました。
通帳を見る時間を減らして、いま手元にある小さいものを眺める時間を増やす。それくらいの地味な工夫から、豊かさは少し動くのかもしれない。
動画の「宇宙のパイプを開け」は受け取れないけど、**「握りしめている手を、少しだけ緩めてみる」**くらいなら、やってみてもいい。
そのくらいの距離感で、僕はこの話を持ち帰ることにします。
今夜は通帳アプリを開かずに、ただ部屋の静けさを聞いてから寝ます。
それだけでも、たぶん明日の僕は、ちょっと楽です。
分からないまま、それでも今日も家賃を払って、コンビニでおにぎりを買って、生活を続けていく。
豊かさが数字じゃないとしても、数字を無視しない。
そのくらいが、僕にはちょうどいい気がしています。
数字も見る。内側も見る。比べない時間を作る。握りしめすぎない。受け取る練習もする。
どれか一つじゃなくて、全部を少しずつ整えていく。たぶん豊かさは、そういう地道な調整の中から、少しずつ立ち上がってくるものなんだと思います。
今夜は、それくらい曖昧な結論でいいと思えました。



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