めんどくさいは仕方ない|生き物として自然

Vitaly gariev 2NU8l2jDrIk unsplash 生き方・考え方

また深夜に、変な動画を見てしまった

性懲りもなく、また深夜にYouTubeを開いてしまいました。

今度流れてきたのは、「やる気なんか要らない、根性もモチベーションも不要、脳の仕組みを使えば勝手に行動できるようになる」みたいな動画でした。

こういうタイトルを見ると、反射的に「出た」と思うんです。

でも今回は、見始めてから**「ちょっと分かる部分もあるな」**と感じてしまいました。

動画の中心にあった主張は、ざっくり言うとこんな話です。

人間はそもそもサボりたい生き物で、めんどくさいと感じるのは当たり前。やる気や根性で本能には勝てない。

……これ、自分の経験と照らし合わせると、そこそこ当たっている気がしたんですよね。

動画の後半は例によって「有料セミナーで教える」「メルマガ登録しろ」みたいな方向に行ったので閉じましたけど、最初の観察部分は、少し持ち帰ってもいいかなと思いました。

今日はその話を書きます。断言はしません。いつものことです。

僕は、自分を「怠け者」だと責めてきた

これまでずっと、僕は**「自分は怠け者だ」**と思って生きてきました。

勉強しようと思っても、スマホを見ている。運動しようと思っても、気づけば布団。仕事を早く終わらせようと思っても、ついYouTubeを開いてしまう。

その度に「自分はなんてダメな人間なんだ」と凹んできた。

でも、動画の「人間はそもそもサボる生き物」という話を聞いて、**「あれ、これ僕だけの問題じゃないのかも」**と思ったんです。

よく考えると、周りの人もだいたい「めんどくさい」と言っています。「あー、仕事行きたくない」「家事したくない」「運動めんどくさい」。みんな言ってる。

めんどくさいと感じること自体は、たぶんそんなに特別なことじゃない

僕が特別に意志が弱いとか、怠け者だとか、そういう話じゃなくて、生き物としてエネルギーを節約したいというのが、もとから組み込まれているだけなのかもしれない。

そう思えた瞬間、ちょっと肩の力が抜けました。

自分を責める材料が、ひとつ減った感じがしたんです。

ずっと「みんなできているのに自分だけできていない」という感覚がありました。でも、たぶんそれは錯覚で。

みんなも「めんどくさい」と思っていて、たまたま動けている瞬間を見ていただけなんですよね。動けていない時間は、他人には見えない。

SNSで「朝5時起きして勉強」「週5で筋トレ」みたいな投稿を見ると、自分だけが取り残されている気がする。でもその人たちだって、たぶん三日に一度は寝坊しているし、ジムをサボっている日もあるはず。

発信されているのは、上手くいった瞬間だけ

それを自分のダラダラしている時間と比べるから、自分だけダメに見える。

この構造に気づいてから、少しだけ気楽になりました。

でも、「めんどくさい」は消えないんですよね

ここで大事なのは、だからといって「めんどくさい」が消えるわけじゃないということ。

「人間はサボる生き物だ」と知ったからって、急に行動できるようになるわけじゃない。

今でも僕は、スマホを閉じるのがめんどくさいし、食器を洗うのがめんどくさいし、締切の資料に取り掛かるのがめんどくさい。

動画の人は「やる気は不要、仕組みを使えば勝手に動ける」と言っていたけど、仕組みを使う前に、まずめんどくさいんですよね

この問題は、たぶん永遠になくならない。

じゃあどうしたらいいのか、と考えると、僕なりの経験ではこういうことでした。

やる気を出そうとした日ほど、続かなかった

これは自分の過去を振り返って、はっきり思うことです。

「よし、明日から頑張るぞ!」と気合いを入れた日ほど、三日ともたなかった

ダイエットも、資格勉強も、早起きも、全部そう。最初にモチベーションがMAXで、その勢いで走ろうとして、燃え尽きて終わる。

逆に、続いていることを振り返ると、**「頑張った記憶がないこと」**ばかりなんです。

歯磨きとか、通勤ルートとか、毎朝のコーヒーとか。気合いを入れて始めたわけでもないのに、なぜか続いている。

この違いは何なのか、最近やっと分かってきた気がします。

頑張らないと続かないことは、そもそも続かない

頑張り続けるエネルギーは、人間にたぶん残されていない。動画の人が言っていたのは、この話だったんだと思う。

じゃあどうするか。気合いを入れるんじゃなくて、気合いが要らないレベルまで下げる、ということなんですよね。

ハードルを下げたら、意外と動けた

これも自分の経験で、ちょっと心当たりがあります。

以前、運動しなきゃと思って「毎日30分走る」と決めたことがありました。三日でやめました。

その後、「家の周りを一周だけ歩く」に変えたら、地味に続いたんです。

一周って五分くらいなので、「めんどくさい」の閾値を越えない。やる気を出す必要がないから、続く。

しかも面白いのが、歩き始めると**「せっかくだからもう一周」**と思えたりするんです。スタートが軽いから、流れで少し長く歩ける日もある。逆に「もう一周だけでいいや」と思って止めた日もあるけど、ゼロにはならなかった。

これは他のことでもそうで、「本を毎日1ページだけ読む」「机の上を10秒だけ片付ける」みたいなちっちゃすぎる目標に変えると、なんか続いたりします。

動画では「ベビーステップ」とか呼んでいて、語感が少し気恥ずかしいけど、やっていることは同じです。

最初のハードルを下げる。とにかく下げる。

「こんなんで意味あるのかな」というレベルまで下げると、逆に続く。

大きい目標を立てると、脳が「うわ、無理」と反応して、着手する前に終わる。でも、小さすぎる目標だと、脳が警戒しないから、気づいたら動いている。

これは僕の中で、実感として確かめられたことの一つです。

「その先の自分」を想像すると、少し動ける

もう一つ、動画の中で「行動した後のポジティブな感情をイメージしろ」という話がありました。

これも自己啓発っぽく言われると胡散臭いんですけど、小さいサイズでなら、分かる気がしました

例えば、部屋を片付ける前に「片付いた部屋でコーヒー飲みたいな」と想像する。風呂に入る前に「上がったあとにアイス食べよう」と考える。

そうすると、手が少し動きやすくなるんですよね。

片付けそのものを頑張ろうとすると、めんどくさい。でも、その先にある**「ちょっと気持ちいい瞬間」**を先取りすると、そこに向かって動き出せる。

これ、別に「成功のイメージング」みたいな大きい話じゃないです。もっと地味で、アイスとかコーヒーレベルのご褒美です。

大きすぎる未来を想像すると、「自分にそんなの無理」と脳が拒否する。でも、10分後の自分が嬉しくなるくらいの小さいイメージなら、脳も抵抗しない。

このサイズ感が大事なんだと思います。

動画の言っていることを、極小にダウングレードして使う感じ。

僕にはそれくらいがちょうどいいです。

選択肢が多いと、動けなくなる

もう一つ、自分の中で当たっているなと思った話があります。

動画では「選択肢を減らせ」みたいなことを言っていました。選ぶたびに意志の力を使うから、事前に決めておけ、と。

これ、実体験と合うんです。

たとえば、「今日の夜ご飯、何食べよう」と考え始めると、30分くらい平気で悩みます。店を決める、メニューを決める、デリバリーにするかどうか決める。決め終わった頃には、もう食べる前に疲れている

逆に、「火曜日はカレー、水曜日は魚」みたいにざっくり決めている時期は、迷わない分、気力が残っている。

小さい選択だけど、一日に何十回もそれをやっていると、じわじわ消耗している気がする。

朝起きて何を着るか、朝ごはんに何を食べるか、どの電車に乗るか、ランチに何を選ぶか、帰りにコンビニに寄るか、夜に何を見るか。

全部、小さい選択の連続です。ひとつひとつはゼロエネルギーでも、積み重ねるとそこそこ重い。

だから最近、一日の最初にある程度「やる順番」を決めておくようにしました。

すごく几帳面な話に聞こえるかもしれないけど、むしろ逆で、考えるのがめんどくさいから、先に決めておくという、ズボラな発想です。

事前に決めるって、「ちゃんとしている人の習慣」だと思い込んでいたんですけど、実は怠け者のための武器なんだ、と気づいてから、少し気楽になりました。

これも、肩の力を抜くための小さな工夫でした。

頑張ってる感じが消えた時ほど、続いている

ここまで書いてきて気づいたのは、「頑張ってる」という感覚がないときほど、行動が続いているということでした。

頑張っている時って、「自分は今、無理をしている」という自覚がある。無理をしているから、どこかで疲れて止まる。

一方で、続いていることを見ると、どれも**「やって当然」「息を吸うように」**という感じで、頑張っている感覚がない。

これ、たぶん結構大事で。

動画の言っていた「成功者はやる気に頼ってない」というのは、気合いで動いていないという意味なんだと思います。

気合いを要求される状態は、すでに続かないモードに入っているサイン。

じゃあ気合いを抜くためにどうするかというと、ハードルを下げる・選択肢を減らす・先に決めておく、という地味な工夫で、少しずつ「やって当然」のゾーンに寄せていく。

これは動画の受け売りというより、自分の生活を振り返って、確かにそうだったな、という話です。

でも、全部が「めんどくさい」で解決するわけじゃない

ここで一つ、気をつけておきたいことがあります。

「めんどくさいは仕方ない」で終わると、何もしない言い訳にもなり得ます。

めんどくさいから運動しない、めんどくさいから人と会わない、めんどくさいから返信しない、めんどくさいから申請を出さない。

これを全部許すと、生活が崩れる。

だから、「めんどくさいを認める」ことと「何もしないこと」は別なんですよね。

めんどくさいのは仕方ない。でも、その中で動けるサイズに削ってから、少しだけやる。

このバランスが大事な気がします。

「自分は怠け者だ」と責めなくていいのは本当だけど、「だから何もしなくていい」ではない。

僕はそこは切り分けておきたいです。

めんどくさい自分と、付き合っていく

今夜の結論はこうです。

めんどくさいは、たぶん仕方ない。生き物としてそうできている。

だから、めんどくさい自分を責めすぎなくていい。

でも、その上で、めんどくさいなりに動ける工夫はしておく。ハードルを下げる、選択肢を減らす、小さく分ける。

気合いを入れるより、気合いが要らない形にする

これだけで、生活がけっこう変わる気がしました。

今までの僕は、「やる気を出さなきゃ」という呪文を自分にかけて、それが効かないたびに凹んできた。

でも、そもそもやる気なんて頼れるものじゃない。本能に勝てないんだから。

だったら、やる気に頼らない仕組みの方を作る。これが、僕にとっての現実的な答えかもしれない。

動画の「秘密の方法」も「脳を書き換える」も要りません。

ただ、めんどくさい自分を認めて、その自分でもできるサイズに、やることを削る

そのくらいの地味な工夫で、十分な気がしています。

分からないまま、明日も地味に動く

今夜も答えは出ませんでした。

やる気がどこから来るのかも、なぜ人間がサボりたがるのかも、本当のところは分からない。

でも、「めんどくさい」と感じる自分を責めなくていい、という感覚だけは、今夜の収穫でした。

明日もたぶん、僕は朝起きるのがめんどくさいと思うし、仕事に行くのもめんどくさい。

でも、それはたぶん普通で、特別なことじゃない。

めんどくさいなあ、と言いながら、それでも一歩だけ動く。そのくらいでいいのかもしれません。

今まで、動けない自分を「意志が弱いダメな人間」として見てきました。でも、それをやめて、**「ただの生き物としてそうなっているだけ」**と見るようにしたら、ちょっとだけ自分に優しくなれた気がします。

自分に優しくなれると、不思議と動ける量が少し増える。責めている時は、責めること自体にエネルギーを使ってしまって、動く力が残らないから。

これも、最近の小さな発見でした。

そう思えただけで、今夜の胡散臭い動画を見た甲斐はあった気がします。

分からないまま、地味に生きていく。

それが今の僕には、一番合っている気がしました。

今夜もスマホを閉じて、気合いを入れずに、ただ眠ります。

明日の自分が、少しだけ動きやすくなっていればそれでいい。そのくらいの期待値で、今日を終えたいと思います。

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