自分の人生を肯定できない夜に読んでほしい話

Girl standing in room where one wall shows spring 生き方・考え方

「人生を肯定しろ」と言われても、できないから困ってる

ある夜、天井を見ながら思ったこと

仕事が終わって、コンビニで買った麻婆豆腐丼をレンジで温めている間に、なんとなくスマホを開いた。

タイムラインには「今日も最高の一日でした!」みたいな投稿が流れてくる。

別に嫌いじゃない。嫌いじゃないけど、なんだろう、あの投稿を見た瞬間に感じる微妙な居心地の悪さは。

麻婆豆腐丼を食べ終わって、風呂に入って、ベッドに横になる。

天井を見つめながら、ふと思った。

「自分の人生、これでいいんだろうか」

いや、別に大きな不満があるわけじゃないんです。

仕事は普通にこなしてるし、給料もまあ生きていける程度にはもらってる。趣味がないわけでもないし、友人がゼロってこともない。

でも、なんかこう……「肯定できてない」感じがずっとある。

夜になると特に。

あの感覚、伝わりますかね。伝わってほしいような、伝わらないでほしいような、微妙な気持ちです。


「前向きに生きよう」が刺さらない理由

で、そういうモヤモヤを抱えてると、だいたいこういう言葉に出会うんですよ。

「自分の人生を肯定しよう」

「ポジティブに考えれば人生は変わる」

「感謝の気持ちを持てば幸せになれる」

……うん、言ってることは分かる。分かるんだけど。

それができたら苦労してないんですよね。

いや、ほんとに。

「肯定しよう!」って、めちゃくちゃ気軽に言うじゃないですか。でもこっちは「肯定できないから困ってる」わけで。

「前向きに生きよう」の前に、**「なぜ前を向けないのか」**をちゃんと考えないと、ポジティブの上塗りにしかならない気がしていて。

表面だけ明るくコーティングしても、夜になるとまた剥がれるんですよ、あれ。

経験者は語ります。(急にどうした)


人生を肯定できないのは「弱い」からじゃない

信じるものがなくなった時代に生きている僕たち

ちょっと考えてみたんですけど、僕たちが人生を肯定しにくいの、別に個人の問題だけじゃないよなって思うんです。

例えば、ちょっと前の時代。

頑張ったら頑張った分だけ報われる。いい学校に入って、いい会社に入れば、人生は安泰。

そういう**「信じていい道筋」**がちゃんとあった時代があったわけです。

だから辛いことも耐えられた。歯を食いしばって頑張れた。

ゴールが見えてるマラソンは、しんどくても走れるんです。

でも、今は?

終身雇用なんて過去の話。いつ仕事を失うかも分からない。年金がもらえるかも怪しい。「これを信じて頑張ればOK」という絶対的な道筋が、ほぼなくなってる。

つまり僕たちは、ゴールが見えないマラソンを走らされてる状態なんですよね。

「人生に意味がないと感じる」のは、あなたが弱いからじゃない。

信じるものがなくなった世界で生きてるんだから、意味を見失って当然なんです。

まずそこを認めるところからじゃないと、何も始まらない気がしています。


「どうせ」が口癖になっていた頃の話

偉そうなこと言ってますけど、僕自身がまさにそうでした。

20代半ばの頃。

仕事は特別つらいわけじゃないけど、特別やりがいがあるわけでもない。

毎日同じ電車に乗って、同じデスクに座って、同じようなメールを返して、帰ってコンビニ飯を食べて寝る。

「どうせ頑張ったって」

「どうせ自分なんか」

「どうせ変わらないし」

気づいたら、「どうせ」が口癖になってた。

自己肯定感が低いとかそういうレベルじゃなくて、人生そのものを「どうせ」で片付けてた。

あれ、今振り返ると結構やばい状態だったと思います。

でも当時の僕は「やばい」とすら思ってなかった。ただ、なんとなくずっと息苦しかっただけ。

のどに何か詰まってるような、息を深く吸えないような、そんな感じ。

しかもその息苦しさの原因が自分では分からないから、余計にしんどい。

……あ、暗い話してますね。ごめんなさい。でも大事なところなんで、もうちょっとだけお付き合いください。


僕が見つけた「肯定」の正体──それは”強くなる”ことじゃなかった

人間の精神が変わる3つのステージ

あの「どうせ」の時期を経て、少しずつ考え方が変わっていった過程を振り返ると、3つのステージがあったなと思うんです。

これ、あとから言語化しただけなので当時は全然自覚なかったんですけど。


ステージ1:耐える時期

最初は、ただ耐えてました。

重い荷物を背負ったラクダみたいに、黙々と。

仕事も、人間関係も、将来への不安も、全部「しょうがない」で受け止めて、ひたすら我慢する。

でも、この時期に鍛えられたものはちゃんとあった。忍耐力とか、自分なりのやり方とか、地味だけど確実に身についたものがある。

だからこのステージは無駄じゃなかったと、今は思えます。


ステージ2:「NO」を言えるようになる時期

次に来たのが、「いや、これ違うだろ」と自分の言葉で言えるようになった時期。

「みんなそうだから」「普通はこうだから」「常識的に考えて」——そういう言葉に対して、**「いや、僕はそう思わない」**と言えるようになった。

ここ、結構勇気がいりました。

だって「みんなと違うことを言う」って、日本社会ではかなりのリスクじゃないですか。

でも、自分の本音を押し殺して周りに合わせ続けてたら、いつまで経っても自分の人生を生きられないんですよね。

他人の正解で生きてる限り、自分の人生は肯定できない。

これは、わりと大きな気づきでした。


ステージ3:子どもみたいに「遊ぶ」時期

で、ここが一番意外だったんですけど。

「強くなる」とか「成長する」とか、そういう方向じゃなかったんです。

最終的に楽になったのは、子どもの頃みたいに「ただ面白がる」感覚を取り戻した時でした。

大人になると、何をするにも「意味」を求めるじゃないですか。

「これやって何になるの?」「将来役に立つの?」「コスパは?」

でも子どもの頃って、そんなこと考えずに砂場で遊んでたわけです。

世界を無条件に「おもしろい」と思えてた。

あの感覚って、大人になると失うものだと思ってたんですけど、実は取り戻せるんですよね。

理屈じゃなくて、目の前のことに夢中になる瞬間を増やしていくと、少しずつ戻ってくる。

僕の場合は、深夜に一人でこうやって文章を書いてる時間がそれだったりします。

誰に頼まれたわけでもないのに、ただ書きたいから書いてる。

この「ただやりたいからやってる」が、たぶん一番強い肯定なんだと思います。


「子どもに戻る」ってどういうことか

誤解しないでほしいんですけど、「子どもに戻れ」って言ってるわけじゃないです。

責任を投げ出せとか、考えるのをやめろとか、そういう話じゃなくて。

**子どもが世界に対して持っている「無条件の肯定感」を、大人の自分にもう一回インストールしてみない?**という話です。

大人は、世の中の理不尽さを知ってる。将来の不安もある。過去の失敗も覚えてる。

でも、幼い子どもはそういうものに一切縛られずに、「今この瞬間」を全力で生きてる。

公園で走り回ってる子ども見てると、あいつら本当にすごいんですよね。

転んでも泣いて3秒で立ち上がるし、アリの行列を30分見つめ続けられるし。

あの「今ここに夢中になれる力」は、人間が本来持ってるものなんだと思います。

大人になる過程で忘れてしまうだけで。

今の自分を認める方法って、もしかしたら「強くなること」じゃなくて、「夢中になること」なのかもしれない。

……いや、ちょっとカッコよく言いすぎました。要するに、深夜にアイス食べながらこのブログ書いてる僕は、わりと今の自分を肯定できてるってことです。

(カロリーは肯定できてない)


同じ人生を何度でも繰り返せるか?──究極の問いと向き合った夜

もし今の人生が永遠にループするとしたら

ある夜、ベッドの中でとんでもないことを考え始めてしまったんです。

「もし、今の自分の人生が永遠に繰り返されるとしたら、どうだろう」

前世も来世もなくて、今のこの人生が何度も何度も、無限にループする。

同じ家に生まれて、同じ学校に通って、同じ仕事をして、同じ失敗をして、同じ夜にベッドで天井を見つめる。

嬉しかったことも、辛かったことも、恥ずかしくて死にたくなった黒歴史も、全部もう一回。

……正直、ゾッとしました。

あの上司にまた怒られるのか、とか。あの恋愛の失敗をもう一回やるのか、とか。中学の文化祭で盛大にスベったあの瞬間をもう一度体験するのか、とか。

(最後のやつが一番きつい)

でもね、この思考実験、やってみると面白いんですよ。

だって、**「永遠にネガティブなループ」か「永遠にポジティブなループ」か、どっちがいい?**って聞かれたら、答えは一つしかないじゃないですか。

で、ポジティブなループを選ぶなら、今この瞬間から「繰り返してもいいと思える人生」にしていくしかない。

過去は変えられない。でも、「過去の捉え方」は変えられる。

そして、今この瞬間の過ごし方は、自分で選べる。

この思考実験をしてから、過去の後悔との付き合い方がちょっと変わりました。

「あの失敗がなかったら」じゃなくて、**「あの失敗も含めて、もう一回やれるか?」**と問い直す。

そうすると、不思議なことに、過去が少しだけ軽くなるんです。


苦しみごと「これが俺の人生だ」と言えるか

で、ここが核心なんですけど。

人生を肯定するって、「良いところだけ認める」ことじゃないんだなと。

嬉しかったことだけ認めて、辛かったことは「なかったこと」にする。それって肯定じゃなくて、ただの選別ですよね。

本当の肯定って、もっと乱暴で、もっと丸ごとなもので。

成功も失敗も、喜びも苦しみも、カッコいい自分もダサい自分も、全部ひっくるめて「これが俺の人生だ」と言えること。

これ、めちゃくちゃ難しいです。

でも、ここで大事なのは、「もう言える」じゃなくて「言えるようになりたい」でいいということ。

完璧に肯定できてなくていい。

ただ、苦しいことがあった時に、「こんな人生嫌だ」じゃなくて、**「これこそが俺の人生なのか。だったらもう一回かかってこい」**と思えたら。

それだけで、かなり景色が変わる気がしています。

……いや、僕もまだ全然そこまでいけてないですよ。

でも、そういう方向を向いて歩いているという感覚は、ある。

「肯定できた」じゃなくて、「肯定する方向に歩き始めた」。

それだけで、夜の天井の見え方がちょっとだけ変わったんです。


人生を肯定するために僕がやめたこと・始めたこと

「やり直したい」と思う自分を否定するのをやめた

「過去に戻りたい」「やり直したい」って気持ち、ありますよね。

僕はめちゃくちゃあります。今でも。

30代に差しかかって、「20代のうちにもっとああしていれば」とか考える夜、しょっちゅうあります。

で、以前の僕は、その「やり直したい」という気持ち自体を否定してたんです。

「そんなこと考えても仕方ない」「前を向かなきゃ」って。

でも、ある時ふと気づいたんです。

**「やり直したい」と思うことは、「自分の人生を大切に思っている」証拠なんじゃないか?**って。

どうでもいいと思ってたら、やり直したいとも思わない。

後悔するのは、「もっと良くしたかった」という気持ちがあるから。

そう考えたら、「やり直したい」は、むしろ肯定のタネだったんです。

だから僕は、「やり直したいと思う自分」を否定するのをやめました。

「あー、やり直したいなー」と思ったら、「そうだよなー、だってお前、自分の人生大事にしてるもんなー」と返すようにしてる。

一人で何やってんだと思われるかもしれませんが、これが意外と効くんです。


たった一回、魂が震えた瞬間があればいい

これ、最近すごく思うんですけど。

人生を肯定するのに、大きな成功なんて要らないんですよ。

出世とか、年収とか、フォロワー数とか、そういうことじゃなくて。

たった一回でいい。

心の底から「生きてて良かった」と思えた瞬間が一つあれば、人生は肯定できる。

僕の場合、それはすごくしょぼい話なんですけど。

ある冬の夜、仕事でへとへとになって帰って、何も考えずにベランダに出たんです。

そしたら、空気がめちゃくちゃ澄んでいて、星がいつもより多く見えた。

ただそれだけ。

でもその瞬間、理由もなく**「あ、生きてるな」**と思った。

別に感動的な出来事じゃない。ドラマチックでもない。コンビニ帰りの疲れたサラリーマンがベランダで星を見ただけの話。

でも、あの瞬間のためだけでも、もう一回この人生をやっていいかもしれない。

そう思えた。

人生を肯定するって、たぶんそういうことなんです。

何千万円稼ぐとか、世界を変えるとか、そんな大げさな話じゃない。

言葉にできないくらいの「良かった」が、人生に一個でもあれば。

それだけで、全部の苦しみを引き連れてでも、もう一回歩いていける。

……少なくとも、僕はそう信じてみようと思っています。

(信じられない夜もまだまだありますけど)


答えは出ない。でも、少し呼吸がしやすくなった

分かったフリはしない、という選択

ここまで長々と書いてきて、申し訳ないんですが。

結論、ないです。

「これをすれば人生を肯定できます!」みたいな、スカッとした答えは持ち合わせていません。

正直に言えば、僕自身、まだ全然道の途中です。

夜になればモヤモヤするし、「どうせ」が口から出そうになることもある。

ただ一つだけ、大事にしていることがあります。

「分かったフリをしない」ということ。

こうやって人生とか肯定とか、ちょっと深いことを考えていると、たまに**「自分は気づいている側だ」みたいな感覚**がふわっと近づいてくることがあるんです。

でも、その感覚に乗っかった瞬間、人は簡単に他人を見下す側に回る。

「まだ気づいてないの?」「こうすればいいのに」──そうやって、他人を”まだ分かってない人”扱いし始める。

僕はそれだけは絶対にやりたくない。

だから、分からないままでいることを選んでいます。

「人生を肯定する方法」なんて、正直まだ分かってない。

でも、考え続けていること自体が、もしかしたら肯定の第一歩なのかもしれない。

そんな気がしています。

気がしているだけですけど。


同じことを考えている人へ

最後に、もし今この記事を、夜中にスマホで読んでくれている人がいるなら。

答えは持ってないです。ごめんなさい。

「こうすれば幸せになれるよ」とか、言えたらカッコいいんですけど、そんな便利な言葉は見つかっていません。

ただ、一つだけ言えることがあるとすれば。

**「同じようなことを考えて、同じように夜を過ごしている人間が、ここにもう一人いますよ」**ということ。

人生を肯定できない夜があってもいい。

答えが出ないままの日々でもいい。

分からないまま生きることは、弱さじゃない。

むしろ、「分かったフリ」をしないで生きているあなたは、かなり誠実な人だと僕は思います。

だから、今夜はもう寝ましょう。

明日もたぶん同じような一日が来るけど、そのうちベランダから見る星が、やけにきれいな夜がきっと来るので。

その日まで、ぼちぼちやっていきましょう。

僕もそうします。

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