ツタンカーメン王の墓を開けた人々が、謎の高熱や事故で次々に死んだ――。「ファラオの呪い」は、発掘から100年以上たった今も消えない話です。ただ、死者の名前を数える前に確かめたいことがあります。誰を「関係者」に含め、墓を開けてから何年後までの死を呪いと呼ぶのでしょうか。
現在確認できる資料に、超自然的な呪いを支持する積極的な証拠はありません。墓に入った人と入らなかった人を比べた研究では、生存期間に統計的な差は見つからず、墓内にあったとされる有名な呪いの文句も確認されていません。最初の「犠牲者」とされたカーナーヴォン卿には、感染症という具体的な死因があります。
とはいえ、すべてを一言で作り話と片づけるのも雑です。古代エジプトには実在する墓の警告文があり、閉鎖された地下空間には微生物やラドンの危険もあり得ます。どこまでが記録に残る事実で、どこからが後に組み立てられた物語なのか。発掘日誌、医学資料、死亡記録の比較、新しい放射線説まで、証拠の種類を分けてたどります。
ツタンカーメンの呪いを示す証拠は、今のところ見つかっていない
まず答えをはっきりさせると、「王墓を開けたために関係者が早死にした」と判断できる記録は見つかっていません。2002年に医学誌『BMJ』へ掲載された歴史的コホート研究は、発掘に関係した西洋人44人を調べ、呪いに「曝露した」と定義された25人と、そうでない人を比較しました。墓に入った側だけが短命だったという結果にはなっていません。
物証とされる碑文にも問題があります。よく引用される「王の眠りを妨げる者には、死が素早い翼で訪れる」といった文は、ツタンカーメン王墓の壁や出土品から確認されたものではありません。ペンシルベニア大学博物館のエジプト学者デイヴィッド・シルヴァーマンによる検討でも、この王墓に呪いの文言はなかったと説明されています。
この二点だけでも、一般に語られる筋書きの中心はかなり揺らぎます。それでも「何も起きなかった」わけではありません。発掘を資金面で支えたカーナーヴォン卿は、墓の発見から約5か月後に亡くなりました。古代の警告文も別の墓には実在し、地下遺構の空気が常に安全だとも言えません。呪いの物語は、完全な無から生まれたというより、いくつかの本当の出来事を一つの原因で結んだところに成立しています。
1922年の発見から、最初の「犠牲者」が出るまで
考古学者ハワード・カーターが残した第1期発掘日誌には、出来事が驚くほど淡々と記されています。1922年11月4日に墓へ下りる階段が見つかり、翌5日には最初の封印された入口が確認されました。その後、カーナーヴォン卿が英国から到着し、発掘隊は前室、玄室へと調査を進めます。
呪い話の最初の中心人物になったのは、そのカーナーヴォン卿でした。オックスフォード大学グリフィス研究所の人物記録によれば、彼は1923年3月、蚊に刺された顔の傷をひげそりの際に悪化させました。傷から感染が広がり、丹毒や血液の感染を起こし、肺炎も併発して、4月5日にカイロで亡くなっています。
医学誌『The Lancet』に掲載されたアン・M・コックスの医学史的検討も、当時報告された経過を、顔面の丹毒に続発した肺炎、さらに多臓器不全へ進んだものとして整理しています。100年前の患者なので、現代の検査で病原体を確定することはできませんが、少なくとも「原因不明の突然死」ではありません。
墓の発見から短期間だったため、この死が強い印象を与えたのは理解できます。けれども、時間的に後へ起きたことは、それだけで前の出来事が原因だったことを意味しません。ほかの入墓者にも同じ症状が相次いだのか、墓に入らなかった関係者より早く死んだのかを見なければ、感染症と呪いを区別できないからです。
墓に「王の眠りを妨げる者は死ぬ」と刻まれていたのか
呪いを物語ではなく、古代の警告として受け取らせるのが「墓に刻まれていた」という説明です。しかし、ツタンカーメン王墓に、侵入者の死を予告する有名な文句は確認されていません。
シルヴァーマンは、王墓の小さな祠にあった文の一つが、本来は「秘密の部屋を砂がふさがないようにする」という趣旨だったのに、新聞では侵入者を死で脅す文へ変えられた例を紹介しています。古代語の翻訳に幅があるという程度ではなく、文章の役割そのものが、王を守る宗教的な言葉から読者を震え上がらせる予告へ移っています。
では、古代エジプトに墓の呪いは一つもなかったのでしょうか。スコットランド国立博物館の解説によれば、墓を傷つける者や供物を奪う者への警告・脅しは実在します。ただし、どの墓にも同じ定型句が刻まれていたわけではなく、知られている例の多くは私人の墓に関するものです。死者への供物と記憶を守る社会的・宗教的な文脈があり、20世紀の新聞が描いた「ミイラを起こせば連続死」という仕掛けとは分ける必要があります。
本物の警告文が別の墓にあることは、ツタンカーメン王墓に架空の碑文を置いてよい理由にはなりません。ここで区別しないと、「古代には呪いの考えがあった」という文化史上の事実が、「この王墓の呪いが人を殺した」という因果の証拠へ、いつの間にか姿を変えてしまいます。
なぜ新聞は「呪い」を必要としたのか
ツタンカーメン王墓の発掘は世界的なニュースでしたが、誰もが同じ条件で現場を取材できたわけではありません。カーナーヴォン卿は英紙『The Times』と独占契約を結び、公式情報や写真への優先的なアクセスを与えました。競合紙には、同じ発掘記録を追う以外の角度が必要になります。
シルヴァーマンの検討では、そこで予言者の言葉、存在しない碑文、墓にまつわる死が大きく報じられていった経緯が説明されています。カーナーヴォン卿の死は、医学的な経過を持つ一人の死であると同時に、「墓を開けた者が死んだ」という非常に強い見出しにもなりました。事故や病死した別の人物が後から名簿へ加わるたび、呪いは新しい証拠を得たように見えます。
この報道競争をカーター自身がどう見ていたかを示す資料もあります。1934年1月21日、カーターは友人ヘレン・アイオニデスへの手紙で、「ツタンカーメンの呪い」は発掘現場にいた記者アーサー・ウィーガルの発明だった、と非難しました。この書簡は2026年3月18日に終了した競売で落札され、再び注目されています。
ただし、これはカーターという当事者の見解です。競売ページで確認できる手紙は、彼が1934年に呪い話をどう受け止めていたかを伝えますが、ウィーガル一人が物語のすべてを発明したと独立に証明するものではありません。19世紀の小説にはすでにミイラの復讐が登場しており、新聞各紙や作家、心霊主義への関心も物語を育てました。作者を一人に決めるより、独占取材の外側で「呪い」が売れる説明になった情報環境を見るほうが、資料には合っています。
44人の死亡記録を比べると「次々死亡」はどう見えるか
有名な死亡例を順番に並べれば、連鎖があるように感じられます。そこで必要になるのが、亡くなった人だけでなく、生き続けた人と、墓に入らなかった関係者も同じ基準で数えることです。
『BMJ』の研究を行ったマーク・R・ネルソンは、カーターの記録から、1922年11月の墓発見時にエジプトにいた西洋人44人を特定しました。そして、封印の破壊、石棺の開封、棺の開封、ミイラの検査という4回の出来事について、その場にいた人を「呪いへの曝露あり」と定義しています。超自然的な力を測定したのではなく、「墓を開けた人ほど早く死ぬ」という話から、検証できる条件を作ったわけです。
44人のうち曝露群は25人、非曝露の候補は19人でした。ただし、非曝露群で死亡日まで確認できたのは11人です。分析表では、曝露群の平均死亡年齢は70歳、非曝露群は75歳で、差を偶然のばらつきでは説明しにくいとする結果ではありませんでした(P=0.87)。曝露時点からの平均生存期間も20.8年対28.9年でしたが、有意差はありません(P=0.95)。年齢と性別を調整した10年以内死亡のオッズ比は1.38、95%信頼区間は0.20~9.6で、追加の死亡リスクを示すには幅が広すぎる結果です。複数の開封場面に立ち会った人ほど短命になるという用量反応も見つかりませんでした。
P値は「呪いが存在しない確率」ではなく、信頼区間も未知の作用を完全に排除するものではありません。この研究は小規模で、歴史記録に依存し、エジプト人作業員を含めた発掘関係者全体を追跡していないという限界があります。非曝露群の死亡日が欠けている点も軽く扱えません。
それでも、もし王墓への立ち入りに大きく明白な致死効果があり、「次々死亡」が文字どおり起きたなら、曝露群にはもっと短い生存期間や、回数に応じた差が現れると予想できます。その形が見えなかったことは、少なくとも有名な主張に対する重要な反証です。カーター本人が1939年まで生きたことだけを持ち出すより、同じ条件で集団を比べたほうが、はるかに筋のよい確かめ方でもあります。
カビや細菌が「呪いの正体」だった可能性はあるか
超自然的な呪いを退けても、閉じた墓所の空気に危険がないとは限りません。長く密閉された空間では、ほこり、胞子、細菌などへの曝露が健康問題になり得ます。この一般論から、王墓の「呪い」は実はカビだったという説明が生まれました。
可能性を考えることと、この事件の原因として確かめることは別です。カーナーヴォン卿について残る記録は、顔の蚊刺傷をひげそりで傷つけた後、丹毒や血液の感染を経て肺炎へ進んだという具体的な経路を示しています。王墓内の特定の真菌を本人から検出した記録はなく、同時期に同じ場所へ入った人々へ同様の急性症状が集中したわけでもありません。
カビ説が正しければ、呪いより科学的に聞こえるから正しい、とは言えません。必要なのは、当時の墓内にどの微生物がどれほど存在し、誰がどの程度吸入し、どんな症状がいつ出たかという対応です。1920年代の測定値や保存試料がない以上、一般的な危険性を認めながら、個々の死因までさかのぼって決めることはできません。
なお、これは発掘現場の安全を軽視する話ではありません。現代の閉鎖空間なら換気や防護、微生物の評価は当然必要です。ただ、その安全対策上の「あり得る」を、100年前の連続死の「原因だった」へ変えるには、間に証拠が足りません。
2024年の放射線説は、呪いを科学的に証明したのか
2024年には、エジプトの墓に関係した異常な死を放射線で説明しようとするロス・フェローズの論文が発表されました。著者は505人のエジプト学関係者を集め、そのうち119人を「突然・異常・不明確な死」に分類し、墓内部の放射性物質やラドンが関係した可能性を論じています。さらに、古代の核技術や核廃棄物の保管にまで仮説を広げています。
新しい説を、発表年だけで有力とみなすことはできません。論文自身が、各人の曝露記録は不完全で定量化されておらず、死因は法医学的記録ではなく逸話に頼る場合があり、対応する非曝露群もないため、データは正式な統計分析に適さないと認めています。誰を名簿へ入れるか、何を「異常死」と分類するかが結論と強く結びつく設計です。
地下墓所で放射線リスクが生じ得ることには、別の根拠があります。E・サラマらの2018年の測定研究は、エジプトのサッカラ地域にある3つの古代遺構でラドンとトロンの濃度を測り、時間・季節による変化を調べました。ラドンは地下空間で蓄積し得る現実の健康ハザードであり、測定と換気が必要です。
しかし、サッカラはツタンカーメン王墓があるルクソールではありません。2018年の測定値は、1922年の王墓内の濃度でも、カーナーヴォン卿やほかの発掘関係者が受けた線量でもありません。別の遺跡でラドンを測った事実から、特定の王墓が数十年にわたる複数の死を起こしたと結ぶことはできず、まして古代核技術の存在までは導けません。
放射線説が示しているのは、現代の考古学で測るべき安全項目があることです。ツタンカーメンの呪いを証明したのではありません。ここを混ぜると、「地下墓所には放射線リスクがあり得る」という堅い部分まで、根拠の薄い仮説と一緒に扱われてしまいます。
僕の考察|呪いを強くするのは、死の数より「数え方」だった
資料を並べていて僕がいちばん気になったのは、何人死んだかより、誰が名簿に入るのかでした。墓の封印を破った人だけなら範囲は狭いのに、発掘隊の家族、見学者、研究者、報道関係者、その知人まで「関係者」にできれば、年月とともに死者は必ず増えます。人は誰でもいつか亡くなるため、期限を決めなければ名簿だけは終わりなく完成へ近づきます。
死因の扱いも同じです。感染症、持病、事故、殺人など、互いに異なる出来事を「墓に関係した後の死」という一点で束ねると、一つの力が働いたように見えます。逆に、長生きした人や、同じ場にいて何も起きなかった人は、物語を進めないので登場しにくい。嘘の数字を作らなくても、入口を広げ、期限を延ばし、生存者を語らないだけで、名簿の印象はかなり変わります。
ネルソンの研究がしたのは、その伸び縮みする境界を先に固定することでした。曝露となる四つの日付を決め、現場にいたかを記録し、非曝露群と比べる。対象の選び方に限界は残るものの、「この人も何となく関係がありそうだから追加する」という後付けを減らせます。すると、鮮烈だった死亡例は残っても、集団全体が早死にしたという形は見えなくなりました。
僕は、これが呪い話のしぶとさに関係していると考えます。研究には対象期間と比較群が必要ですが、都市伝説の名簿は新しい死者が出るたび更新でき、反例となる生存者には紙幅を割かなくてよいからです。ここには超自然現象の有無とは別に、原因を探すときの厄介さがあります。出来事の後から条件を決めれば、どんな大きな事件にも不吉な連鎖を見つけられてしまいます。
この考察は、「呪いを信じる人はだまされやすい」という話ではありません。カーナーヴォン卿の死と王墓発見が近接していれば、つながりを感じるのは自然です。だからこそ、人数を聞いたときに「母数は誰か」「何年以内か」「何を死因として数えたか」を確かめるだけで、怖さを笑い飛ばさずに証拠の形を見直せます。
ツタンカーメンの呪いを、どこまで否定できるのか
歴史資料を使った研究だけで、未知の超自然的作用が宇宙のどこにも存在しないと証明することはできません。2002年研究は44人という小さな集団を対象にし、死亡日を確認できない非曝露者もいました。エジプト人作業員全体の追跡記録や、開封当時の墓内空気の測定値もありません。「絶対に何もなかった」という強い断定は、資料の射程を越えます。
しかし、証明しきれないことと、二つの説明が五分五分であることは同じではありません。ツタンカーメンの呪いについては、有名な碑文が墓内に見つからず、最初の死亡には感染症の経過があり、定義を置いて比較した集団にも明らかな短命化が見られませんでした。カビや放射線は一般的な危険として検討する価値がある一方、この王墓と関係者の死を直接結ぶ測定はありません。現在の証拠なら、個々の病気や事故と、後から広げられた死亡名簿で説明するほうが、超自然的な作用を加えるよりはるかに無理が少ないでしょう。
僕がこの話で少し引っかかるようになったのは、実際に病気で亡くなった一人の人生まで、見出しの中では「呪いの犠牲者」という部品になってしまうことです。怖い話として楽しむときも、誰を、いつまで、どんな理由で数えたのか。それだけは一度確かめてから名簿を眺めたいと思います。
参考文献・出典
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