沖縄県・与那国島の海底には、巨大な階段やテラスを思わせる地形があります。写真を見ると、岩盤を直線的に切り出したような面が続き、「これを全部、自然が作ったのか」と疑いたくなる形です。そのため「海底ピラミッド」「海底遺跡」と呼ばれ、失われた古代文明と結びつけて語られることもあります。
では、本当に人間が造った遺跡なのでしょうか。
今回、人工説を提唱してきた研究者側の論文・紀要と、2024年に公表されたマルチビーム測深、ROVフォトグラメトリー、潜水調査による海底地形研究を追ってみました。現時点では、巨大な建造物を人が一から造ったと考えるより、砂岩の割れ目と侵食によってできた自然地形とみる方が、確認されている証拠をうまく説明できます。
ただし、「自然地形らしい」と「昔の人が一度も利用・加工していない」は別の話です。ここを一緒にすると、人工か自然かの議論が必要以上に単純になります。
「海底ピラミッド」と呼ばれるものは何なのか
まず、今回「海底ピラミッド」と呼んでいるのは、エジプトのピラミッドのように石を積み上げた建築物そのものではなく、海底にある巨大な岩盤地形です。
日本政府観光局(JNTO)の公式案内では、この地形は英語で「Yonaguni Underwater Monument」、日本語では「与那国島の海底地形」と紹介されています。1986年、与那国島南岸沖を探索していたダイビング事業者の新嵩喜八郎氏によって知られるようになり、代表的な岩体はおよそ100メートル×60メートル、高さ約25メートルとされています。JNTOの案内を見ると、長い平面、段差、角ばった壁のような部分があり、人工物を連想するのも無理はありません。
与那国町も、島には「堆積岩を主体とする大規模な海底地形」が存在すると公式ページで説明しています。
ここで言葉を少し整理しておきます。
「海底ピラミッド」は、その形から付いた通称に近い言い方です。「海底遺跡」と呼ばれることもありますが、名称だけで人造物と決まるわけではありません。今回検証したいのは、あの地形が存在するかどうかではなく、あの形を作った主な原因が人間なのか、地質と侵食なのかです。
この区別は地味ですが大切です。巨大な岩盤が海底にあること、幾何学的に見えること、人工建造物であること。この三つは同じ主張ではありません。
人工遺跡説は、何を根拠にしてきたのか
人工説は、単にネット上で広がった思いつきではありません。琉球大学の木村政昭氏らは現地調査を行い、人工的な構造物だとする解釈を論文や紀要で公表しています。
1999年の「与那国島海底の第1遺構形成年代に関する調査・研究」では、中心的な地形について、平坦なテラス、直線的な壁面、楔を打ち込んだように見える痕跡、周囲を回る道路のような形、巨大な岩片からなる石垣状の部分などが人工性を示す材料として挙げられています。
写真だけでなく実際に潜水調査をした研究者が、複数の特徴をまとめて「人の手が加わった」と判断している。人工説を検討するなら、この部分を無視するべきではありません。
木村氏は2003年の「琉球列島の古地理と与那国島海底遺跡」でも、与那国沖の構造を階段状ピラミッドに似た人工的モニュメントと解釈し、約1万年前という年代や、大型のグスクに関係する構造という見方を示しています。
人工説が魅力的に見える理由は分かりやすいです。
自然の岩ならもっと不規則であるはずなのに、そこには階段、広場、壁、通路を連想させる形がある。さらに、現在は海底にある場所が昔は陸上だった可能性まで加わると、「古代の建造物が海面上昇で沈んだ」という筋書きが一気につながって見えます。
ところが、原資料を追うと、その一本の筋書きはいくつか別々の問題からできていることが分かります。
直線があることは人工の証明なのか。
昔そこが陸だったことは建造物の証明なのか。
付着物の年代が分かれば、岩盤を削った年代まで分かるのか。
この三つを分けないと、強そうに見える証拠を必要以上に強く受け取ってしまいます。
2024年の海底調査は何を見つけたのか
この議論でかなり重要なのが、日本地理学会の2024年春季学術大会で公表された「与那国島沿岸の海底における砂岩の侵食地形」です。
菅浩伸氏らの研究グループは、ひとつの有名な岩体だけを眺めたのではありません。2017年に島の南岸、2018年に北岸でワイドバンドマルチビーム測深を行い、2013年および2016〜2022年にはSCUBAによる潜水調査を実施。さらに2021年には南東岸の新川鼻沖でROVを使ったフォトグラメトリーを行い、1センチメートルグリッドの高解像度海底地形モデルを作っています。
マルチビーム測深は、船から音波を広い範囲に発射して海底までの距離を測り、地形を面的に捉える方法です。ROVフォトグラメトリーは、水中ロボットなどで多数の写真を撮り、それらを重ね合わせて立体形状を復元します。
この調査で目につくのは、いわゆる「海底遺跡」に似た形が、一か所だけの特別なものではなかったことです。
研究要旨には、与那国島西端の西崎や、東崎から新川鼻にかけての東海岸沖に、頂部が平坦な台地状の「遺跡状地形」が多数存在するとあります。そして、それらが分布する場所は中新統八重山層群の砂岩・泥岩互層で、多数の「節理」が台地状地形の側面を区切っていると報告されています。
節理とは、岩石に入った割れ目のうち、大きなずれを伴わないものです。岩に規則的な割れ目が発達していれば、岩盤が割れる方向まである程度そろいます。人間が定規を当てなくても、直線的な縁ができる余地があるわけです。
さらに潜水観察では、岩盤の剥離、削磨、礫の生成、さまざまな形や大きさのポットホールなど、侵食地形が現在も形成されつつある様子が観察されました。研究者らは、海底で砂岩の風化・削剥が継続する中で、遺跡のように見える地形が作られていることを示唆しています。
そして人工説を考えるうえで重い一文があります。研究要旨では、これらは以前に人工的な造形といわれたこともあるが、考古学的な遺物や人類の痕跡は検出されていないと明記されています。
これは「人間が絶対に一度も触れていない」と証明した、という意味ではありません。見つかっていないものの不存在を完全に証明するのは難しいからです。
それでも、人工建造物説と自然地形説を比べるとき、「同じような形が周囲に多数ある」「その岩盤に規則的な節理がある」「現在進行の侵食過程が観察できる」という組み合わせは自然地形説にとってかなり強い材料です。
なお、この2024年資料は学術大会の発表要旨です。長い査読論文と同じ情報量ではありません。方法と主要な観察結果は確認できますが、これ一本だけで議論が完全に終了した、とまでは扱わない方がよいでしょう。
自然に「直角」「階段」「巨大な平面」はできるのか
人工説を見たあとで自然説を読むと、僕がいちばん引っかかったのはここでした。
「侵食でできました」とだけ言われても、あの角ばった形を見れば、少し説明が足りない感じがします。自然地形説が説得力を持つには、なぜあの場所で直線や段差ができやすいのかまで知りたくなります。
与那国島の地質そのものを調べた2020年の「与那国島のジオサイト―台湾島を望む露頭が語る地形形成環境―」では、島に中新世の八重山層群が広く分布し、砂岩を主体とする地層、断層、節理、風化や侵食が特徴的な地形形成に関わっていることが整理されています。
砂岩は一枚の均質な巨大ブロックではありません。地層にはもともとの層理面があり、さらに地殻変動などによって節理や断層ができます。割れやすい方向が複数そろった岩盤から、波や海流が岩盤の弱い部分を削り、板状・ブロック状に剥離させていけば、平坦面と急な段差が隣り合う形は生まれ得ます。
2024年の海底調査が意味を持つのは、この説明が机上の想像だけではない点です。潜水で岩盤の剥離や削磨が観察され、同種の台地状地形が複数の海域に分布していた。つまり、「この一個だけが奇跡的に建築物そっくりになった」と考えなくても、同じ地質条件と侵食過程から似た形が繰り返し生じるという説明ができます。
ここで「自然なら曲線、人間なら直線」という感覚はいったん外した方がよさそうです。
大切なのは、岩石には割れやすい方向があり、その方向と侵食が組み合わさると幾何学的な形が生まれ得る、という点です。与那国島では、現地の砂岩・泥岩互層と節理を実際に調べた資料があるため、自然説は単に「自然にも不思議なことはある」で済ませているわけではありません。
もちろん、自然作用で説明できることと、すべての細部がすでに説明済みであることも同じではありません。特定の溝や凹部、局所的な形について、人為的加工の可能性を個別に検討する余地は残ります。
ただ、巨大な地形全体の基本形を説明する土台としては、地質と侵食の組み合わせがかなり具体的になっています。
「昔は陸だった」「炭素14で年代が出た」は決定打か
与那国島の海底地形について調べると、「昔は海面が低かったから、あそこは陸上だった」という話が出てきます。
これは大筋で不自然な話ではありません。
Kurt Lambeck氏らが2014年にPNASで発表した英語原論文「Sea level and global ice volumes from the Last Glacial Maximum to the Holocene」では、過去約3万5千年間の海面変動を多数の観測資料から再構成し、最終氷期最盛期の全球海水準が現在より約134メートル低かった時期があったと推定しています。その後、とくに約1万6500年前から8200年前にかけて大きく海面が上昇しました。
現在およそ25メートルの深さにある地形が、過去の低海面期に陸上へ露出していた可能性を考えること自体は、こうした全球的な海面変動と矛盾しません。
でも、ここから「だから人が造った」へは飛べません。
昔は陸だったという情報が示すのは、せいぜい人がその場所へ接近できた時期があり得るという条件です。自然の岩盤も当然その陸地にありました。陸上にあったことは、人為加工が可能だったことを示しても、人為加工が実際に行われた証拠にはなりません。
もうひとつ、人工説で強く見えるのが放射性炭素、いわゆる炭素14による年代測定です。
1999年の木村氏らの研究では、第1遺構とされた岩体や関連地点から得た16試料を扱い、構造に付着した石灰藻石灰岩などの炭素14年代を測定しています。そこで示された年代は、おおむね4,000〜2,000年前という範囲でした。
「年代測定で数千年前と出た」と聞くと、数千年前に建設されたことが科学的に測れたように感じます。
実際に測っている対象を見ると、意味が違います。
炭素14年代測定で測ったのは、岩盤そのものを誰かが切った瞬間ではなく、そこに付着した石灰質の生物由来試料です。したがって、その値は付着物が形成された時期を考える材料にはなりますが、「この階段を人間が紀元前何年に削った」と直接示す時計ではありません。
この違いはかなり大きいです。
木村氏らの1999年論文自体も、海面上昇から考える約1万年前という見積もりと、付着試料の14C年代から考える2,000年前より少し古い時期という見方を並べています。2003年の木村氏の論文では、約1万年前という解釈が再び示されています。
つまり年代の議論そのものが、単一の「建造年代を直接測った値」から決まっているわけではありません。海面変動、地殻変動、付着物の年代、地形の解釈を組み合わせて推定されています。
しかもLambeck氏らの論文は全球的な海水準変動を扱ったもので、与那国島一点の局地的な相対海水準や地殻変動を直接復元した研究ではありません。全球の海面が低かったという事実だけを、与那国島の細かな年代決定にそのまま当てはめることもできません。
「昔は陸だった可能性がある」と「人工建造物である」。ここは切り離して考えた方が、資料同士の関係が見えやすくなります。
人工説を強くするには、何が見つかればいいのか
人工か自然かを考えるとき、僕は「どちらの研究者の肩書きが強いか」より、自然説では出にくい証拠が何かを見る方が分かりやすいと思います。
たとえば、自然の節理や剥離では説明しにくい規則的な工具痕が複数の場所で確認される。周囲の岩盤から自然に連続した岩ではなく、人が運び、積み上げたと判断できる石材配置がある。同じ地層や堆積物の中から、人間の活動と結びつく遺物が出る。それらの年代関係が地形の加工時期と整合する。
こうした証拠が独立した調査でも積み上がれば、「人が利用した」「人が加工した」「人が建造した」のどこまで言えるかは大きく変わるはずです。
逆に、現在ある主な材料が「階段に見える」「直角に見える」「昔は陸だった」だけなら、自然地形説と区別するには足りません。自然説の側には、同じ地域で類似地形が多数見つかり、岩盤の節理と進行中の侵食が観察されているからです。
そして中間の可能性も残ります。
巨大な岩体の基本形は自然にできた。しかし、陸上に露出していた時代に人が一部を歩きやすくした、削った、祭祀や生活の場所として使った――そういう仮説です。
2024年の研究が自然侵食の説明を強くしたとしても、この限定的な人間利用まで論理的に排除するわけではありません。反対に、そういう可能性が「ある」ことと、実際にそうだったことも別です。現時点では、人の利用を示す考古学的遺物や人類の痕跡が検出されていないという報告をまず置いて考える必要があります。
僕の考察:二択より「何が証拠か」を見る方が面白い
与那国島の海底地形は、写真の力がかなり強い題材です。巨大な階段状の岩を見ると、「自然です」と言われる方がむしろ奇妙に感じる瞬間があります。
でも原資料を順番に読むと、僕の中で重みが変わったのは写真ではありませんでした。
人工説側の「直線」「平面」「楔跡」という観察は確かに気になります。そこに対して近年の地形研究は、同じ島の周囲に遺跡状の台地が多数あること、地質の割れ目がその輪郭を区切っていること、岩盤の剥離や削磨が今も観察できることを出してきました。
もし一個だけ異様に四角い岩があったなら、その特異さ自体が人工説を押す材料になります。ところが似た形が同じ地質条件の場所に繰り返し現れ、その形成につながる侵食作用まで現在も観察されているなら、自然説はかなり具体的になります。
僕には、この「似た地形が周囲にもある」という事実が、見た目の印象以上に効いているように見えます。
それでも、これで人間の関与について全部終わったとは思いません。自然が作った大きな地形を、後から人が使った可能性は別に検証できます。将来、自然の割れ方だけでは説明しにくい加工痕や、人間活動と結びつく遺物が独立した調査で確認されれば、判断材料は増えます。
今のところは、「巨大な人工ピラミッドが沈んでいる」とする証拠より、自然の砂岩地形として説明する証拠の方がそろっています。
今回いちばん印象に残ったのは、階段の写真より、似た地形が島の周囲にもあり、その岩が今も削られ続けているという観察でした。もし今後、人の手を示す証拠が見つかれば、その時点で考え直せばいい。今のところ僕は、見た目の不思議さと証拠の強さを分けて考えておくことにします。
参考文献・出典
- 菅 浩伸・木村 颯・堀 信行・三納 正美・上瀧 良平・市川 泰雅・山舩 晃太郎・片桐 千亜紀・中西 裕見子・浦田 健作・市原 季彦・藤田 喜久・鈴木 淳・中島 洋典・佐野 亘(2024)「与那国島沿岸の海底における砂岩の侵食地形: マルチビーム測深とROVフォトグラメトリー、潜水調査による浅海底地形研究」『日本地理学会発表要旨集』2024s, DOI: 10.14866/ajg.2024s.0_121
- 尾方 隆幸・大坪 誠・伊藤 英之(2020)「与那国島のジオサイト―台湾島を望む露頭が語る地形形成環境―」『E-journal GEO』15(1), 44-54, DOI: 10.4157/ejgeo.15.44
- 木村 政昭(2003)「琉球列島の古地理と与那国島海底遺跡」『化石研究会会誌』36(2), 33-42, DOI: 10.60339/kasekiken.36.2_33
- 木村 政昭・中村 俊夫・本山 功・中村 衛・小野 朋典・大森 保・棚原 朗(1999)「与那国島海底の第1遺構形成年代に関する調査・研究」『名古屋大学加速器質量分析計業績報告書』10, 149-166, DOI: 10.18999/sumrua.10.149
- Kurt Lambeck, Hélène Rouby, Anthony Purcell, Yiying Sun, Malcolm Sambridge (2014). “Sea level and global ice volumes from the Last Glacial Maximum to the Holocene.” Proceedings of the National Academy of Sciences, 111(43), 15296-15303. DOI: 10.1073/pnas.1411762111
- Japan National Tourism Organization, “Yonaguni Underwater Monument 与那国島の海底地形”
- 与那国町役場「与那国島について」


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