海に昆虫がいないのはなぜ?実はいる「海の虫」と極端に少ない理由

知っておきたい雑学

海に昆虫が少ない理由は、塩水で生きられないから――だけでは説明できません。そもそも海生昆虫はゼロではなく、外洋の海面だけで一生を送るウミアメンボ属の昆虫も5種知られています。

それでも、陸や淡水で大きく繁栄した昆虫が海では極端に少ない。この理由には、塩分への適応、気管と水圧、捕食、甲殻類などとの生態的な競合、外骨格を固める仕組みまで、複数の仮説があります。近年は「気管があるから深く潜れない」という説明に対するかなり強い反例も出てきました。

現在の研究から言えるのは、原因が一つに決着したわけではない、というところまでです。この記事では、例外として海で暮らす昆虫を確認しながら、それぞれの説が何を説明でき、どこから先はまだ分からないのかを整理します。

「海に昆虫はいない」は本当なのか

僕が最初に確認したかったのは、前提そのものでした。「昆虫は海には存在しない」と説明されることがありますが、これは正確ではありません。

東京大学総合研究博物館の解説では、海洋に生息する昆虫をおよそ2,000~3,000種としています。その多くは汽水域、マングローブ、潮間帯など、海と陸の境界に近い環境で暮らします。

「海生昆虫が何種いるか」という数字は、資料によってかなり違います。Lanna ChengとHimanshu Mishraによる2022年の総説では、汽水域、塩性湿地、マングローブ、潮間帯などを広く含む「saline habitats」に生息する昆虫について、約25,000種という推定も紹介されています。

これは2,000~3,000種と25,000種のどちらかが単純に間違っている、という話ではありません。「marine」をどこまで狭く取るか、「saline habitats」をどこまで含めるかで対象が変わるからです。

そのため、この記事では「海にいた」というだけで同じ扱いにはしません。

暮らし方見るときの注意
外洋の海面で全生活史を送るウミアメンボ属の外洋性5種陸から遠く離れた海面で繁殖まで行う
潮間帯やサンゴ礁で暮らすサンゴアメンボ類、海岸性の甲虫やハエ満潮時に水没する種もいる
汽水・塩性湿地を利用するカ、ユスリカ、ハエ類の一部外洋の海水中で一生を送るわけではない
陸から海上へ飛来するガ、バッタ、甲虫など海上で見つかったことと海で繁殖することは別

100万種を超えるとされる昆虫全体から見れば、海を利用する種類は少数です。だから本当に考えるべき問いは、「なぜ海に昆虫が一匹もいないのか」ではなく、例外はいるのに、なぜここまで少ないのかです。

外洋で一生暮らすウミアメンボは何が特別なのか

海生昆虫の中でも、外洋性のウミアメンボ属(Halobates)はかなり特殊です。

ChengとMishraは2022年の総説“Why did only one genus of insects, Halobates, take to the high seas?”で、外洋だけで生活する種が5種いることを整理しています。成虫はおよそ4ミリで、生活の舞台は海中ではなく海面です。

体表には細かな毛が密生し、ワックス状の物質と組み合わさることで強い撥水性を持ちます。水中へ沈んだ場合にも毛の間へ空気を保持でき、この空気層は水中での呼吸や浮上を助けます。海面を移動する脚も発達しています。

重要なのは、ウミアメンボが海のあらゆる環境へ適応したわけではないことです。深い水中へ潜って生活するのではなく、海面という限られた場所を利用しています。

繁殖にも制約があります。卵は流木、羽毛、貝殻、軽石など、海面を漂う固体へ産みつけられます。外洋へ進出した正確な進化過程は分かっていませんが、沿岸性の祖先から海面生活へ適応していった可能性が考えられています。

昆虫の祖先が水中側にいたのに、なぜ海へ戻りにくかったのか

「昆虫は甲殻類から進化した」と説明されることがあります。大まかな方向は近いのですが、現代のエビやカニがそのまま昆虫の祖先だった、という意味ではありません。

現在の分子系統学では、昆虫を含む六脚類と甲殻類は「汎甲殻類(Pancrustacea)」という大きな系統にまとめられます。Schwentnerらの2017年の系統ゲノム研究でも、六脚類は従来「甲殻類」と呼ばれてきた系統の内部に位置することが支持されました。

つまり、昆虫と現在のエビやカニには水中性の共通祖先がいたと考えられています。そこから枝分かれした一部の系統が陸上へ適応し、現在の六脚類へつながりました。

Misofらの2014年の研究は、1,478個のタンパク質コード遺伝子を使った解析から、昆虫の起源をおよそ4億7,900万年前と推定しました。ただ、この数字を確定した年代のように扱うのは少し危険です。

2015年にはTongらが同じデータを再解析し、年代推定の方法によっては主要な昆虫系統の起源が元の推定より最大約1億年古くなる可能性を指摘しました。これに対してMisofらの研究チームも応答論文を出し、元の化石較正や事前分布の選択は妥当だと反論しています。

ここで大事なのは、どちらの年代が「正解」かをこの記事で決めることではありません。分岐年代は化石の較正方法や統計モデルに左右される推定値なので、約4.8億年前は代表的な推定として見るのが安全です。

それでも問いは残ります。祖先が水中側の系統にいたなら、昆虫はなぜ簡単に海へ戻れなかったのでしょうか。

進化では、昔持っていた形質へそのまま戻るわけではありません。陸上生活へ適応した後には、呼吸、外骨格、繁殖、感覚器、移動方法など多くの形質が変化しています。海へ再進出するには、その時点の体の仕組みから、海で繁殖まで成功できる形質が改めてそろう必要があります。

塩分は障壁だが、それだけでは説明できない

海水は、体内の水分とイオンのバランスを維持するうえで大きな負担になります。淡水性の昆虫は、周囲の塩分が上がると水分を失いやすくなり、体内のイオン濃度を保つための調整も必要になります。

そのため、塩分が海への進出を妨げる要因の一つという説明には根拠があります。

SilverとDoniniによる2021年のレビューは、淡水昆虫が塩分変化へどう反応するかを分子、細胞、器官の段階から整理しています。多くの淡水昆虫は一定以上の塩分でストレスや発育への悪影響を受けますが、感受性は種、成長段階、曝露時間などによって大きく異なります。研究が十分でない昆虫群も多くあります。

一方、Pak、Wu、Gibsonによる2021年の研究は、海生と記録されたハエ目532種を既存の系統樹へ配置し、生息環境の進化を推定しました。その結果、海洋環境への進出はハエ目の複数の系統で独立して起きたと考えられました。

塩分への適応は難しくても、一度も越えられなかった壁ではありません。

この研究は、532種を同じ条件で海水へ入れて耐性を測った実験ではありません。「海生」とされた環境にも沿岸、塩性湿地、潮間帯などが含まれます。したがって、海水への耐性が昆虫全体で高いと結論づけることもできません。

気管と水圧はどこまで障壁なのか

昆虫の多くは、体側の気門から空気を取り入れ、枝分かれした気管を通して組織へ酸素を届けます。空気を含む構造は、水中へ深く潜ると水圧の影響を受けます。

昆虫生理学者Simon Maddrellは1998年の論考“Why are there no insects in the open sea?”で、空気を含む気管系や浮力のために昆虫は深い水柱を利用しにくく、魚から逃れるための鉛直移動が難しいことが、外洋進出を妨げた可能性を論じました。

この説明は長く引用されてきましたが、近年はかなり興味深い反例が出ています。

2025年、Leonardiらはミナミゾウアザラシに寄生するシラミ Lepidophthirus macrorhini を調べ、潜水中に気門を閉じること、代謝を下げること、水中で酸素を利用することなどを示しました。

同じ2025年には、Preussらが別のアザラシジラミ Echinophthirius horridus を調べています。この種では、発達した気管系と気門を閉鎖する構造が確認され、少なくとも調べた個体ではプラストロンによる呼吸を支持する証拠は得られませんでした。海中へ適応した昆虫でも、使っている仕組みは一通りではないようです。

さらに2026年7月、McKenzieらがScienceに発表した研究は、気管と水圧の問題を別の角度から揺さぶりました。

研究対象は海ではなく、アフリカのマラウイ湖に生息するフサカ Chaoborus edulis の幼虫です。この幼虫は日中、魚の捕食を避けるため200メートルを超える深さまで移動します。幼虫が持つ空気の入った気嚢は成長段階とともに強化され、終齢幼虫では500メートルを超える深さに相当する圧力にも耐えました。

「ユスリカの仲間」と紹介されることもありますが、Chaoborus はユスリカ科ではありません。2026年に刊行された朝野維起氏の『昆虫はなぜ海にいないのか』でも、出版社の公式訂正で「ユスリカには浮き袋」から「ユスリカに似た双翅目昆虫である『フサカ』には浮き袋」へ訂正されています。

このScience論文は淡水湖の研究なので、「昆虫が深海へ進出できる」と直接示したものではありません。塩分への適応、繁殖、海洋の餌環境なども別問題です。

それでも、空気を含む気管系は深い水圧に耐えられないため、昆虫は深い水域を利用できないという一般化には、明確な反例になります。

海のニッチは先に埋まっていたのか

生理的な壁とは別に、海の生態系へ後から入る難しさも考えられています。

生態学でいうニッチは、単なる生息場所ではありません。何を食べるか、どこで活動するか、どこで繁殖するか、誰と競争し、誰に捕食されるかまで含む、生態系の中での位置を指します。

昆虫が陸上で多様化していくより前から、海には多様な甲殻類などが存在していました。そのため、新たに海へ進出する昆虫が利用できる生態的な位置の多くが、すでに他の生物に使われていたのではないか、という「ニッチ先取り」の考え方があります。

ChengとMishraの2022年の総説でも、既存の海洋生物との競争は候補の一つとして扱われています。東京都立大学の2023年の研究発表でも、この問題に関する既存仮説の一つとして紹介されています。

もちろん、数億年前の海で甲殻類の有無だけを変え、昆虫の進出を比較したような実験ではありません。現在の生物相と進化史から考えられた説明なので、直接的な証明には限界があります。

海辺へ再進出した具体例を見ると、この考え方を考える手がかりはあります。

Wangらの2023年の研究は、海岸やサンゴ礁に暮らすサンゴアメンボ科(Hermatobatidae)の系統を解析し、その起源を約1億9,200万年前と推定しました。六脚類とその海洋性の近縁群が分かれた時期から大きく遅れて、海辺へ再進出したことになります。

研究者たちは、その時期が三畳紀末の大量絶滅後にサンゴ礁生態系が回復していく時代と近いことから、新しい生態的な余地が生まれた可能性を論じています。年代が重なること自体は、因果関係の証明にはなりません。

MCO2と外骨格は「新しい答え」になり得るのか

ここで、近年提案された外骨格の仮説を見てみます。

昆虫も甲殻類も、体の外側にクチクラを持ちます。硬化の方法には違いがあります。多くの甲殻類は炭酸カルシウムなどの無機物も利用して外骨格を強化します。昆虫では、脱皮後にタンパク質などを結びつけるスクレロチン化が重要で、その反応にはマルチ銅オキシダーゼ2(MCO2)という酵素が関わります。

Tsunaki Asano、Kosei Hashimoto、R. Craig Everroadは2023年の論考“Eco-evolutionary implications for a possible contribution of cuticle hardening system in insect evolution and terrestrialisation”で、MCO2を使う外骨格硬化が昆虫の陸上適応に有利だった一方、水中では分子状酸素の利用可能性が低いことなどから不利になった可能性を提案しました。

この考えは2024年にも、Asanoによるレビュー“Multicopper oxidase-2 mediated cuticle formation: Its contribution to evolution and success of insects as terrestrial organisms”で改めて検討されています。

ここは二段階に分けて読む必要があります。MCO2が昆虫のクチクラ形成に重要であることは、生化学的な研究で支持されています。一方、「その仕組みが昆虫を陸上で繁栄させ、海では極端に少なくした」という部分は進化仮説です。後者まで同じ強さで実証されたわけではありません。

水中では空気中より利用できる酸素が少なく、その量は水温や流れなどによっても変わります。米国地質調査所(USGS)の解説でも、水中の溶存酸素量が環境条件で変化することが説明されています。

甲殻類の外骨格とカルシウムを対比すると、海水中にはカルシウムがかなり多く含まれているように聞こえるかもしれません。実際には、海水中のカルシウムを測定した研究で、塩分35の海水のカルシウムイオン濃度は約10.28 mmol/kgです。カルシウムの質量に換算すると約0.04%になります。

MCO2仮説の焦点は、海水にカルシウムが大量にあるという単純な話ではなく、昆虫と甲殻類で外骨格を硬化させる仕組みが異なることにあります。

それでも、MCO2説だけで問題は解決しません。2023年の論文も2024年のレビューも、MCO2を使うため昆虫が海へ進出できなかったことを直接比較実験で証明したものではありません。海面や潮間帯で脱皮し、世代を重ねる昆虫も実在します。

2026年7月には、この仮説の提唱者である朝野維起氏が一般向け書籍『昆虫はなぜ海にいないのか』を刊行しました。僕が今回確認したのは出版社の書誌情報、目次、訂正情報までで、書籍本文全体ではありません。そのため、この本の存在は「2026年時点でもこの問いが研究者自身によって整理され続けている」という最新の文脈として扱い、MCO2仮説の根拠そのものには2023年の原論文と2024年のレビューを使っています。

結局、どの説をどこまで信じればよいのか

ここまでの研究を、「何が確認され、何がまだ説明できないか」で整理すると次のようになります。この表は研究者が作った判定表ではなく、この記事で紹介した研究の射程を比較するために僕がまとめたものです。

仮説確認されていることそれだけでは足りない理由現時点の扱い
塩分・浸透圧多くの淡水昆虫は塩分上昇で生理的負担を受ける海水・塩性環境へ適応した昆虫が複数系統にいる種によって重要だが単独原因ではない
気管・水圧空気を含む呼吸系は水中生活に制約を生むことがあるアザラシジラミやフサカ幼虫などの反例がある障壁の一部だが絶対条件ではない
捕食海面や水柱の小型昆虫は魚などに捕食され得る進化史規模で寄与の大きさを直接測れない可能性はあるが決定的ではない
ニッチ先取り海には甲殻類など多様な生物がすでに存在した過去の競争を直接再現できない有力な生態学的仮説の一つ
MCO2・外骨格昆虫のクチクラ硬化にMCO2と酸素が関わる海洋進出との因果を直接検証していない生化学的機構を加えた新しい進化仮説
複数要因個々の障壁を越えた例外は複数ある各要因の寄与率は分からない現在もっとも矛盾の少ない整理

この比較から分かるのは、「昆虫が海に少ない理由」を一つだけ選ぶのが難しいことです。

塩分への耐性を獲得した昆虫はいる。水中で呼吸する昆虫もいる。深い水圧に耐える昆虫もいる。海岸へ再進出した系統もいる。それでも、外洋で繁殖しながら長期的に多様化した昆虫は非常に少ない。

ここまでの資料をまとめるなら、重要なのはどれか一つの条件ではなく、呼吸、浸透圧調節、捕食回避、繁殖場所、餌、生態的競争などを同時に成立させる必要があったことです。これは一つの実験で証明された結論ではなく、現在の複数研究をまとめたときに最も無理の少ない整理です。

海面で一生を送るウミアメンボ、海獣と潜るシラミ、500メートル超相当の水圧に耐えるフサカ幼虫まで並べてみると、「海水に弱いから」という説明だけでは足りません。

最新の反例まで並べると、問いは「昆虫はなぜ海へ行けなかったのか」だけでは足りません。「海へ行けた少数の昆虫は、何を変えることでそこに残れたのか」も同時に見る必要があります。これは研究で証明された単一の結論ではなく、複数の資料を比較したこの記事での整理です。

海辺で「海の昆虫」を見るならどこか

外洋性ウミアメンボを岸から見つけるのは簡単ではありませんが、海と陸の境界には昆虫を観察できる場所があります。

潮が引いた岩礁、潮だまりの周辺、波しぶきが届く岩の割れ目、打ち上げられた海藻の周囲などには、海岸環境を利用するハエや甲虫、カメムシの仲間が見られることがあります。

見るときに一つ注意したいのは、名前に「虫」が入っていても昆虫とは限らないことです。フナムシは甲殻類、ウミケムシは環形動物です。日常語の「虫」と、生物分類上の「昆虫」は範囲が違います。

また、海岸で昆虫を一匹見つけただけでは、その種が海を生活場所にしているとは判断できません。風で飛ばされてきた可能性もあります。継続して同じ種類が見られるか、幼虫や産卵場所が確認されているか、といった情報が重要になります。

Wangらが研究したサンゴアメンボ類には、潮位に応じた非常に狭い高さの範囲を利用する例もあります。観察するときは岩やサンゴを動かさず、写真、場所、日時、潮の状態などを記録しておくと、あとで博物館や自然史資料と照合しやすくなります。

この記事を調べ直していちばん印象に残ったのは、昔なら「昆虫には無理」と片づけられそうだった条件を、実際には越えている昆虫が少しずつ見つかっていることでした。理由を一つに決めるより、少数の例外がどの壁をどう越えたのかを見るほうが、いまの研究には合っています。少なくとも僕には、「海に昆虫が少ない」という同じ事実が、調べる前より少し違って見えるようになりました。

参考文献・出典

この記事を書いた人
深夜3時の駄貧知 運営者
駄貧知

駄貧知|小説とブログを書く物書き。日常の違和感を出発点に、心理、科学、歴史、都市伝説を研究や史料をもとに調べています。「説は疑う。でも、ロマンまでは捨てない」を基本姿勢に、事実と考察を分けながら、人間や世界の不思議を考えます。

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