脳は創作物を見せている|左脳が消えた世界の正体

A bamboo forest extending into mathematical imposs 考察都市伝説

先日、会社の後輩に「先輩って、たまに急に別人みたいになりますよね」と言われた。

「え、どういうこと?」と聞いたら、「普段はすごく論理的なのに、たまに急にふわっとした感じになるっていうか……なんか、チャンネルが変わる感じ?」と。

その場では笑ってごまかしたんですけど、帰り道にずっと考えていました。

チャンネルが変わる。

実は最近、ある脳科学者の体験談を知って以来、僕はこの「チャンネル」について、かなり真剣に考えるようになっていたんです。

そしてその話は、このシリーズで書いてきた「世界はアイコン」「死後の世界」「意識は重力」の全部とつながる、とんでもない話でした。

ある脳科学者が、自分の脳を「内側から」観察した話

ある神経解剖学者の話です。

彼女はもともと、統合失調症を持つ兄がきっかけで脳科学の道に入った人でした。「なぜ兄は夢と現実を結びつけられないのか? 正常な脳と何が違うのか?」——それを知りたくて、脳の研究に没頭していた。

そんな彼女が37歳のある朝、自分自身が脳卒中を起こしてしまったんです。

脳科学者が、自分の脳の障害を体験する。

彼女の左脳の血管が破裂し、4時間かけて脳機能が少しずつ停止していくのを、彼女はただ観察するしかなかったそうです。

歩けなくなった。話せなくなった。読み書きができなくなった。自分の人生すら思い出せなくなった。

気づけば、大人の女性の体をした幼児になっていた。

でも——右脳はまだ動いていた。

そして右脳だけで「見た」世界は、僕らが普段認識している現実とは、まったく別のものだったんです。

ちなみに彼女は脳卒中になった瞬間、「クールじゃないか」と思ったそうです。脳科学者が自分の脳を内側から研究できる機会なんてそうはないだろう、と。脳卒中の真っ最中にそう思えるの、ちょっとかっこよすぎませんか。

彼女は助けを呼ぼうとしましたが、左脳が機能していないので文字が読めない。名刺に書いてある電話番号の「数字」が、ただのくねった線にしか見えない。だから名刺のくねった線と電話のボタンのくねった線を一つずつ見比べて、ようやく電話をかけることに成功した。

電話に出た同僚の声は「ウォウウォウウォウ」と聞こえたそうです。言語を処理する左脳が働いていないから、言葉が言葉として認識できない。で、自分も助けてと言おうとしたら口から出たのもまた「ウォウウォウ」だった。お互いにゴールデンレトリバーみたいな会話になったという。

……不謹慎かもしれないですけど、ちょっと笑ってしまった。本人も笑い話として語っているので許してほしい。

左脳が消えたら、「自分」が消えた

彼女が体験したことを知って、僕は正直震えました。

左脳の機能が停止していく中で、まず消えたのは時間の感覚だったそうです。過去も未来もなくなった。「今」しかない状態。

次に消えたのは自分と外界の境界。自分の体がどこから始まってどこで終わるのか、分からなくなった。

そして最後に消えたのが**「私」という意識**。あの「私が、私が」と主張する声が完全に黙った。

左脳の中にある「おしゃべりな声」が静まると、彼女は宇宙の巨大なエネルギーの一部として溶け込むような感覚を体験したそうです。

仕事のストレスも、過去37年間の痛みも、全部消えた。ただ存在しているだけで、美しくて、平和で、思いやりに満ちた世界。

彼女はこの状態を親しみを込めて「ラランド」と呼んでいます。

……正直、ここまで聞くと「それ、脳がバグった幻覚じゃないの?」と思いますよね。僕も最初はそう思いました。

でも彼女はこう言うんです。

**「それは幻覚ではなく、普段とは違う認識システムで感知した、紛れもない実在する現実だった」**と。

考えてみれば、そうかもしれない。

人間以外の生物の中には、赤外線や紫外線を見られるものもいる。コウモリは超音波で世界を「見て」いる。彼らが見ている世界は、僕らの世界とまったく違うけど、どちらも「現実」ですよね。

脳に入ってくる情報や処理方法が変われば、見える世界が変わる。

つまり**僕らが「現実」と呼んでいるものは、脳が限られた情報を電気信号で構築した「でっち上げ」**だということになる。

これ、シリーズ1本目の「世界はアイコン」で書いた話とまったく同じですよね。りんごが赤くて丸いのは、脳が「食べられるよ」というアイコンを表示しているだけ。真実の姿ではない。

でも今回の話で衝撃的なのは、実際にそれを体験した科学者がいるということ。仮説じゃない。体験談なんです。

しかも彼女は、右脳だけの世界を「幻覚」や「妄想」とは呼んでいない。それは確かに実在する、もう一つの現実だったと言い切っている。

僕らが普段見ている現実は、左脳というフィルターを通した一つのバージョンに過ぎない。そのフィルターを外すと、まったく違う現実が見えてくる。

つまり「現実」は一つじゃない。脳の使い方次第で、いくつでもある。

僕の中には「4人の僕」がいるらしい

彼女の話で一番面白かったのが、回復の過程で気づいた「脳内の4つのキャラクター」の話です。

脳は左脳と右脳に分かれていますが、さらにそれぞれの上部(大脳皮質)と下部(大脳辺縁系)に分けられる。つまり大きく4つの領域があって、それぞれがはっきりと異なる人格を持っているんだそうです。

キャラ1(左脳・上部):論理的で几帳面。順序立てて考える。他人に見せる「しっかりした自分」。会社で見せている僕は、だいたいこいつです。

キャラ2(左脳・下部):用心深くて不安が強い。過去の経験から恐怖や怒りを感じやすい。夜中に布団の中で「あのとき、ああすればよかった」と後悔をリピート再生するのは、こいつの仕業。

キャラ3(右脳・下部):好奇心旺盛で無邪気。今この瞬間の楽しさを優先する遊び心のある自分。休日に何も考えずに散歩してる時の僕は、たぶんこいつ。

キャラ4(右脳・上部):ありのままの自分に幸福を感じる。自分は宇宙の一部だと考える、最もスケールの大きい自分。夜中にこのブログを書いている僕は、もしかしたらこいつかもしれない。

この4人が脳の中で常に「作戦会議」をしていて、その結果として僕らは一つの判断を下し、一つの「自分」として振る舞っている。

ちなみに、ある別の研究では、左脳と右脳を繋ぐ脳梁という部分を切断すると、一つの頭蓋骨の中に2つの独立した人格が生まれることが証明されているそうです。情報の共有が断たれると、意識が分裂する。逆に言えば、僕らが「一人の自分」として存在できているのは、4つの領域が情報を共有しているからに過ぎない。

頭と心が別のことを言っている時は、脳の違う部分同士がケンカしているということらしいんです。

あの後輩が言った「チャンネルが変わる」は、まさにこれだったのかもしれない。会議の主導権がキャラ1からキャラ3に移った瞬間を、彼女は見ていたのかもしれない。

なんかすごく腑に落ちたんですよね。

「自分がよく分からない」って悩むことがあるけど、そりゃそうだよなと。だって4人いるんだもん。会議がまとまらない日もある。企業だって経営会議がまとまらない日はあるでしょう。脳内ベンチャーだって同じです。

左脳が「現実」を作り、右脳が「本質」を感じている

この話を知ってから、僕はちょっと自分の脳の声を意識するようになりました。

例えば、朝起きて「今日も仕事か……」と思う。これはキャラ2(不安・恐怖担当)の声。

でもコーヒーを淹れて一口飲んだ瞬間、「うまっ」と感じる。これはキャラ3(今を楽しむ担当)の声。

電車に乗りながら「今日のタスクを整理しなきゃ」と考える。キャラ1(論理担当)。

そして、ふとした瞬間に窓の外の空を見て「きれいだな」と思う。言葉にならない穏やかさ。これがキャラ4(宇宙の一部担当)。

全部、僕なんです。でも全部、違う僕。

試しに一日、「今どのキャラが主導権を握っているか」を観察してみたことがあるんですけど、驚いたのは一日のほとんどがキャラ1と2の時間だったということです。論理と不安。仕事中は特にそう。キャラ3と4が出てくるのは、休憩中にぼんやりしている数分間だけ。

こんなに偏ってたのか、と思いました。

そして面白いのは、普段の生活ではキャラ1と2(左脳チーム)が圧倒的に優勢だということ。論理的に考えて、不安を感じて、過去を後悔して、未来を心配する。これが僕らの「日常モード」。

でもあの脳科学者が体験したように、左脳が黙ると、キャラ3と4(右脳チーム)の世界が現れる。時間も境界もない、エネルギーとしての現実。宇宙の一部としての自分。

瞑想や、深いリラックス状態や、あるいはこのブログを夜中に書いているときのような、左脳のおしゃべりが少し静まった瞬間に、ちょっとだけその片鱗が見えることがある気がするんです。

このシリーズの1本目で書いた「世界はアイコン」の話。あれは左脳が作り出したアイコンの世界の話でした。

2本目の「死後の世界」の話。あれは、肉体(左脳)から解放された意識が体験する階層構造の話でした。

3本目の「意識は重力に似ている」。あれは、意識が次元を超えて働くという話でした。

そして今回の「現実は脳の創作物」。

全部つながっている。

僕らの左脳は、生存のために世界を「アイコン」に変換して表示している。その結果、真実は隠され、限定された情報から「現実」が構築されている。でもその現実は脳のでっち上げであって、右脳が感じているもう一つの現実——宇宙のエネルギーとしての世界——が同時に存在している。

で、結局「本当の現実」はどっちなのか——分からないまま、作戦会議を続ける

ここまで書いて、いつも通りの結論です。

分からない。

左脳が見せる現実と、右脳が感じる現実。どっちが「本物」なのか、僕には判断できません。

でも一つだけ思うのは、どっちか一方だけが正解、というわけではなさそうだということ。

あの脳科学者も、右脳だけの「ラランド」に留まることはできなかった。左脳が戻ってきたとき、最初は「ノーと言いたかった」そうですが、最終的には現実を選んだ。

なぜなら、左脳がなければ生物として生き残れないから。

論理的に考える力。過去の失敗から学ぶ力。未来の危険を予測する力。言語を使ってコミュニケーションする力。名刺の数字を読む力(これがないと救急車も呼べないことが証明されている)。これらは左脳があるからこそ持てる能力で、僕らはそのおかげで安全に生きている。

でも同時に、左脳の「おしゃべり」に支配されすぎると、不安や恐怖や後悔のループにハマる。自分と他人を分離して、競争して、疲弊する。

大事なのは、4人の自分が全員いることを知った上で、作戦会議のバランスを取ることなのかもしれない。

キャラ2(不安担当)が暴走しているなと感じたら、キャラ3(今を楽しむ担当)に発言権を渡してみる。キャラ1(論理担当)が考えすぎて止まっていたら、キャラ4(宇宙の一部担当)にちょっと深呼吸させてもらう。

自分の中で「会議」が行われていることを自覚するだけで、ちょっとだけ楽になる気がするんです。

「なんで自分はこんなに不安なんだろう」じゃなくて、「あ、今キャラ2がマイク握ってるな」と思えるだけで、少し距離が取れる。

そしてもう一つ思ったのは、もし脳内の情報共有がもっと広がったらどうなるか、ということ。

一人の脳の中に4つの人格がいて、情報共有しているから「一つの自分」になっている。じゃあ、もし人間同士の意識が全部情報伝達でつながったとしたら? 人類丸ごとが一つの意識として存在することもありえるのかもしれない。

2本目の「死後の世界」で書いた話——死後の世界ではすべての意識がつながる——というのも、この脳科学者が感じた右脳の「宇宙の一部としての自分」という感覚と、不思議なほど一致している。

結局、このシリーズで書いてきたことは全部、同じ一つの問いに行き着くのかもしれない。

「僕」とは何なのか。

左脳が作り出した境界線の内側にいる「個」なのか。右脳が感じている宇宙のエネルギーの一部なのか。あるいはその両方を同時に生きている、4人の会議体なのか。

今夜も、僕の脳内では4人の会議が続いている。

キャラ1が「もう2000字超えてるぞ、締めろ」と言い、キャラ2が「こんな記事書いて大丈夫か?」と心配し、キャラ3が「もうちょっと面白いオチつけようよ」とせがみ、キャラ4が「まあ全部含めて、それが僕だよね」と静かに微笑んでいる。

答えは出ないけど。

分からないまま、4人で生きていく。

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