宇宙飛行士という仕事に、僕はずっとどこか嘘を感じていた
こんばんは、駄貧知です。
小さい頃、将来の夢を書く欄に「宇宙飛行士」と書いた同級生が、クラスに必ず一人はいました。 僕は書けませんでした。書こうと思ったことすら、たぶん一度もなかったと思います。 別に嫌いだったわけではないんです。むしろ憧れはあった。ただ、あの職業は、憧れだけで踏み込んではいけない場所だというのが、子供心になんとなく分かっていたんだと思います。
大人になってから、宇宙飛行士という仕事について、僕はずっと少しだけ違和感を持っていました。 テレビや記事の中の宇宙飛行士は、だいたい、爽やかで、知的で、ちゃんと笑っていて、完璧なコメントを返してくる人たちです。 帰還後のインタビューで、「宇宙から見た地球は青くて、とても美しかったです」と語る。 子供たちに「夢をあきらめないでください」と笑顔で伝える。
いや、そういう場面が嘘だと言いたいのではありません。 ただ、あまりにも絵になりすぎていて、その手前にあるはずの「本当に死にかけた時間」の話が、僕たちのところにほとんど届いてこないのが、ずっと引っかかっていたんです。
その夜、僕はスマホでたまたま、宇宙飛行士が実際に体験した事故の話を読みはじめました。 そして、気がついたら深夜2時を過ぎていました。 読み終えた僕の頭の中で、宇宙飛行士という職業の印象が、少しだけ、でもはっきりと変わっていました。
今夜は、そのとき僕が読んでいた宇宙飛行士たちの、背筋が凍るような体験を5つ書いていきます。 派手な都市伝説ではなくて、どれも記録に残っている話です。 答えを出そうとも思いません。ただ、あの青い地球の後ろ側には、こういう時間があったんだ、ということだけを、ちゃんと書きたいと思いました。
謎1:宇宙から届いたという「熱い、熱い」と繰り返す女性の声
最初に書くのは、本当にあったのかどうか、今も決着していない話です。 だからこそ、いちばん最初に書いておきたいと思いました。
1961年5月、イタリアの兄弟が、自作の無線設備で宇宙からの通信を受信した、と主張している録音があるそうなんです。 その兄弟は、戦後の払い下げの無線機やアンテナを自分たちで改造して、けっこう本物志向の受信環境を組んでいた人たちらしく、実際にソ連やアメリカの本物の衛星の信号を拾っていた実績があったそうです。だから、完全に素人のいたずらとして片づけるには、ちょっと話が厚みを持ってしまう。
問題の録音には、女性の声でロシア語らしき言葉が入っていたと言われています。 音質はかなり悪く、はっきりとは聞き取れない。 ただ、「熱い」「熱い」という意味の言葉が繰り返され、声は次第に弱くなり、やがて途切れていった、とされているんです。
公式の記録の中で、ソ連初の女性宇宙飛行士が宇宙に行ったのは、この録音から2年あとの1963年です。 つまり、もし録音が本物だとしたら、公式には「存在しなかったはずの」女性が、この録音の中にだけ存在しているということになります。
この話を夜中に読んで、僕はしばらく布団の中で天井を見ていました。 真偽の話は、正直、どうでもよかったんです。 この録音が本物であるという決定的な証拠は出ていないし、専門家の中には、通信の作法や言葉のアクセントから「ソ連の本物の宇宙飛行士のやり取りとは思えない」と指摘する人もいるそうです。冷戦期の反ソ連的な文脈の中で生まれたデマである可能性も、正直、かなり高いんだろうと思います。
でも、僕がこの話からどうしても目を離せなかった理由は別のところにありました。 それは、「もし本物だとしたら、その女性はこの録音以外にはこの世のどこにも存在しない」 という事実の重さでした。
名前もなく、顔もなく、公式の記録のどこにも残らず、ただ最後の数分間の肉声だけが、地球の反対側の、名前も知らない無線マニアの兄弟の機械にだけ届いた。 本物かどうかとは別に、この構図そのものが、夜中に考えるには重すぎました。
歴史の本に載らなかった人たちのことを、僕は普段ほとんど考えません。 でも、本当は、歴史の本に載っている人一人の裏に、載らなかった人がたぶん何十人もいるはずなんです。宇宙開発の華やかな成功の年表の下には、名前ごと消されていった試行錯誤のレイヤーが、たぶんぶ厚く積もっている。
本物か偽物かを決めるのは、僕の仕事ではありません。 でも、「本物だったらいやだな」と思いながら布団の中で眠れなくなるくらいには、この話は僕の中でしばらく消えないと思います。 分からないまま、次に行きます。
謎2:宇宙服がパンパンに膨らんで、船に戻れなくなった人類初の宇宙遊泳
次の話は、ちゃんと記録が残っていて、本人の証言もある話です。 ある意味、**「最初に書いた話よりも、こっちのほうが怖い」**と僕は思いました。現実に起きたと分かっているぶん、想像の逃げ場がないからです。
1965年、人類で初めて、宇宙船の外に出て宇宙空間を「遊泳」した人がいました。 人類史上、はじめて宇宙服一枚で真空の側に踏み出した人間です。 ふつうに考えて、偉業です。後の教科書にも載るレベルの、ちゃんとした偉業。
ところが、その遊泳の終わり際、信じられないことが起こります。 宇宙服が、真空の中で予想以上に膨張してしまったんです。 内側の空気と外側の真空の圧力差で、宇宙服全体が風船のようにパンパンに膨らみ、手袋の中で指が曲がらない、関節が動かない、という状態になってしまった。
そしてその膨らんだ宇宙服のまま、宇宙船の入り口に戻ろうとしたら、入り口の直径より体が大きくて、物理的に入れなくなったそうなんです。
読みながら、僕は声を出して「うわあ」と言いました。 あまりにも悪い冗談みたいな状況なんです。 人類の偉業の最後の数メートルで、「ドアが狭くて入れない」 という、まるで笑い話みたいな理由で、ひとりの人間が死にかけていた。
しかも、この状況で彼が取った決断が、また恐ろしかった。 地上の管制センターに相談すると時間が足りなくなると判断した彼は、独断で、自分の宇宙服の内部の圧力を下げることを選びます。 圧力を下げすぎると、血液中に気泡ができて命にかかわる。いわゆる潜水病と同じ現象です。宇宙に取り残されて死ぬか、潜水病で死ぬか、のふたつのあいだで、彼は自分でダイヤルを回した。
話はまだ続きます。 宇宙服の向きを変えられないので、本来の手順に反して頭から先に狭い入り口にねじ込んで入ったこと。 必死の作業でヘルメットの内側が汗で曇り、靴の中に汗が溜まって足首まで浸かっていたこと。 心拍数が毎分190まで上がっていたこと。 帰還の際には、自動制御が故障して、予定地から3000キロ以上離れた雪深い森に不時着し、オオカミが出る極寒の森の中で2晩も救助を待ったこと。
全部、本当の話です。 この話の中にある「死にかけた瞬間」の数を、僕は数えていて途中で分からなくなりました。
ここで僕が夜中に考えていたのは、彼の肉体のことではなく、彼の決断の速度のことでした。
会社勤めをしていると、「上司の判断を仰ぐ」という言葉を、ほぼ毎日使います。 僕の仕事ではそれで正解です。上司に聞かずに勝手に動くと、あとで確実に怒られるし、組織の秩序も壊れます。 でも、宇宙服の中の彼には、「上司に聞いてから動く」という選択肢そのものを消さなければいけない瞬間がありました。
人間には、「誰かに決めてもらう」ことが許される状況と、そうでない状況があります。 ほとんどの人は、後者に出くわすことなく一生を終える。それはそれで幸福なことだと思います。 ただ、宇宙飛行士という職業は、どこかの瞬間で、たった一人で、自分の命の物理的なスイッチを自分でひねる可能性がある場所なんだ、ということを、僕はこの話で初めてちゃんと理解した気がしました。
子供の頃に宇宙飛行士を夢に書けなかった僕の直感は、たぶん正しかったんだと思います。 あの仕事は、「冷静さ」という言葉では絶対に足りない何かを、一瞬で発揮できる人だけに許される場所だったんです。
謎3:凍った湖に落ちた宇宙船の中で、9時間待ち続けた2人
次の話は、前の話に少し似ています。でも、怖さの方向がぜんぜん違う。
1970年代のある日、ソ連の宇宙船が、地球に帰還する途中で予定外の場所に降りてしまいます。 本来は平らな草原に降りるはずだったのが、悪天候で流され、暴風雪の中、凍った湖の上に着陸してしまった。
しかも、その湖は全面が凍っているわけではなく、表面に薄い氷が張っている状態でした。 宇宙船の重量は約3トン。 落ちた瞬間に氷を突き破り、カプセルは半分水没した状態で、湖の真ん中でぷかりと浮かんでいたそうなんです。
気温は氷点下20度。暴風雪。視界はほぼゼロ。 中には宇宙飛行士2人。 外は真っ暗で、誰も彼らの居場所を正確には把握できていない。
この状況を、僕は頭の中で何度もイメージしようとしました。 でも、正直、うまくイメージできません。現実感がなさすぎるからです。 宇宙の真空も怖いけれど、僕たちの日常に近い「寒さ」と「水」と「暗闇」の組み合わせは、想像力の芯にずっしり来る種類の怖さです。宇宙の真空は遠すぎてピンと来ないけれど、氷点下20度の水に体が触れる感覚は、なんとなく分かってしまうんです。
彼らは救助を待つしかなかった。 通信状況は悪く、捜索隊もすぐには到着できなかった。 カプセルが完全に沈まないように調整しながら、船内の空気の質の悪化にも耐えながら、結果的に9時間以上、凍った湖の上で救助を待ち続けたそうです。
僕はこの9時間という数字を、しばらく眺めていました。 9時間って、会社員の1日分の勤務時間とほぼ同じなんです。 僕が普段、なんだかんだと文句を言いながら過ごしている1日と、彼らが凍った湖の上で生き延びるのに使った時間が、同じ長さ。
仕事で「今日は長かったなあ」とため息をつく日が、僕にも月に何度かあります。 でも、彼らにとっての9時間と比較すると、僕の長さは「長さ」という言葉を使うのも申し訳ないような気がしてきました。 もちろん、他人のつらさと自分のつらさを比べて、自分のつらさを無効にするのは良くない習慣です。それは分かっています。 それでも、時々はこういう話を読んで、「長さ」のスケールを再校正するのは、悪くないことだと思いました。
この話で個人的にいちばん印象に残ったのは、「宇宙より、地球のほうが危なかった」 という、いちばん皮肉な事実でした。 宇宙の真空を乗り越えて、大気圏を無事に抜けて、パラシュートもちゃんと開いて、そしてその後で、母なる地球の凍った湖が彼らを殺しかけた。
宇宙飛行の話を読んでいると、どうしても宇宙そのものが主役だと思ってしまいます。 でも、たぶん、本当に怖いのは宇宙ではなく、「帰ってこなきゃいけない地球」のほうだったんじゃないか。 少なくともこのふたりにとっては、真空よりも、凍った湖のほうが死の距離が近かった。 その事実を、僕はなぜかちょっと長く覚えておきたいと思いました。
謎4:誰もいないはずの宇宙で、船体を叩くノック音が聞こえ続けた話
ここで少しだけ、話の温度を下げます。 下げるつもりで書き始めますが、書いているうちに下げきれないかもしれません。
ある宇宙飛行士が、宇宙空間で、鉄のバケツを木のハンマーでゆっくり叩くような音を聞いた、という証言を残しています。 その音は不規則で、リズムにパターンがなく、まるで本当に誰かが船体をノックしているかのように聞こえたそうです。 彼は軍人出身で、精神的にもとても鍛えられた人だったようなのですが、それでもあの音を聞いた瞬間は強く緊張した、と後のインタビューで語っています。
ここで少し、僕の現実的な感覚の側を書きます。
宇宙空間は真空なので、本来「音」は伝わりません。 だから、船体の外から音が聞こえてくること自体がありえない ― と言いたくなるんですが、実はそうでもなくて、何かが物理的に船体に触れれば、その振動は船の空気に伝わり、音になります。 つまり、「ノック音のように聞こえた」ということは、何かが船体に接触していた、あるいは船体そのものの材料が何らかの理由で音を発していた、ということになる。
もっとも有力な説は、太陽光が当たる側と影の側の、200度以上にもなる温度差です。 宇宙船の外壁は、この極端な温度差で伸び縮みを繰り返します。その金属の変形が、内側から聞くと、まるでノック音のように感じられるらしい。 この説は、地上の密閉実験施設でも似たような音が観察されたという報告があって、けっこう説得力があるそうです。
…と、ここまで書いておいて、僕が夜中に考えていたのは、別のことでした。
「説明がついたとしても、あの音が怖いのは変わらないんじゃないか」 ということです。
僕たちは、「科学的に説明がつく=怖くない」と無意識に思い込んでいる節があります。 でも、実際には違います。 たとえば、僕は真夜中に家の中でラップ音が鳴ると、たとえそれが木材の収縮のせいだと完全に理解していても、一瞬必ず身体が固まります。理屈と感情は、同じ脳の中にありながら、ぜんぜん違う速度で動いているんです。
宇宙船の中で一人きりで、外側に広がっているのは完全な無音の真空で、その真空から不規則な叩き音が届き続ける状況を想像してみてください。 温度変化が原因だと頭で100%理解していても、たぶん、耳は勝手に「誰か」の存在を探してしまう。 人間の耳は、「音のパターン」の中に、どうしても「意図」を探してしまう生き物だからです。
この話の本当の怖さは、宇宙人がいたかどうかではなく、僕たちの聴覚が「意図」から逃げられない構造になっているという事実のほうにあると思いました。 静けさの中で、何かがリズムを刻む。それだけで、人間の脳は勝手に「送り手」を想定し、勝手に孤独を埋めようとし、勝手に恐怖する。
宇宙飛行士のあの音の話は、たぶん、宇宙よりも脳の話なのだと僕は思っています。 そして、脳の話だからこそ、地上に住んでいる僕にも、深夜の部屋の中でラップ音を聞くたびに、少しずつ伝わってきます。
謎5:ワイヤーが切れたあと、宇宙の映像に映り込んでいた「円盤たち」
最後は、未解決のまま、話題だけが残り続けている映像の話です。
1990年代のある宇宙実験で、約20キロメートルにもなる長いワイヤーを宇宙空間に伸ばすというものが行われたそうです。 目的は、地球の磁場の中をワイヤーが移動することで発電させる、という実験で、なんだか中学の理科で習った原理の超巨大版、みたいな話です。スケールがおかしい。
ところが、実験開始から数時間後、ワイヤーが突然切れます。 そして、その切れたワイヤーを追いかけるようにカメラが向けられたとき、画面の中に、ドーナツのような形をした明るい物体が、たくさん映り込んでいたそうなんです。 しかも、その物体の一部は、切れたワイヤーの「後ろ側」を通っているように見えた。
もしこれが本当なら、ワイヤーの後ろを通る物体は、ワイヤーよりも遠くにあるということで、そうなるとサイズがとんでもなく大きいことになる。 一部の人はその大きさを数キロメートルと試算した、という話まで残っています。
公式には、宇宙船から排出された水が凍って氷の粒子になり、それが望遠レンズの光学的な歪みでドーナツ型に見えた、という説明がされているそうです。 これはかなり筋が通っていると思います。実際、その時間帯に水の排出が行われた記録もあるそうですし、特殊なレンズ構造が像の形を変えることも、写真やってる人ならたぶん納得できる話です。
僕も、この説明が真相にいちばん近いんだろうと思っています。
ただ、この話が長く語り継がれている理由のほうに、僕はずっと関心がありました。
この映像は、今でも映像そのものを誰でも見ることができます。 そして、これを見た多くの人は、たぶん同じことを思う。 「こんなに映ってるのに、本当に全部ただの氷なの?」
科学の説明は、往々にして**「平均的に正しい」ことを言います。 でも、人間の脳は、「平均的に正しい説明」よりも、「目の前の映像の強さ」**に引きずられるようにできているんです。 だから、どれだけ公式な説明が筋が通っていても、映像を見た瞬間の「なんだこれ」という感情は、説明で上書きされない。
僕はこれを、**「合理と映像の、負けるほうの戦い」**だと思っています。 ほとんどの場合、合理が負けます。どれだけ正しくても、映像の強度には勝てない。 オカルトがいつまでも滅びないのは、人間の脳が映像の側を少しだけ信じるようにできているからなんだと思います。
この話の正体は、たぶん氷です。 でも、この話がこんなに長く残っているのは、たぶん、僕たちが氷だと思いたくないからです。 そしてそれ自体は、僕は別に悪いことだとは思っていません。 「思いたくない」という感情の強度は、人間が人間でいるための大事な成分のような気がするからです。
結局、宇宙の怖さは、思っていたのと違う場所にあった
5つ書いてみて、改めて思ったことがあります。
この記事を書き始めたとき、僕はなんとなく「宇宙の真空の怖さ」について書くつもりでいました。 真空の向こうに消えた声、宇宙服のトラブル、凍った湖、ノック音、謎の物体。 見出しだけ並べると、たしかに宇宙の怖さの話に見えます。
でも、書き終えてみて、実際に僕の中に残っているのは、宇宙そのものの怖さではなく、もっと別の怖さでした。
- 歴史の本に載らないまま消えた、名前のない誰かの存在
- 上司に相談できない瞬間に、ひとりで自分の命のダイヤルを回す怖さ
- 宇宙から帰ってきたのに、地球の凍った湖に殺されかける理不尽さ
- 物理的に説明がついても、脳が怖がることをやめられない不思議さ
- 合理的な説明よりも、一度見た映像を信じてしまう人間の脳の癖
どれも、宇宙の話の皮をかぶった、地上の話でした。
僕は今回、この記事を書きながら、ひとつ自分の中で動いたものがありました。 子供の頃、宇宙飛行士の職業を夢の欄に書けなかった僕の、あのモヤモヤした気持ちのことです。 あれは、たぶん、「怖そうだから」という単純な感情ではなかった気がしてきました。 子供の僕はたぶん、あの職業の人たちが、普通の大人とは違う「決断の速度」を持たなきゃいけないことを、うっすら察していたんだと思います。そして、自分にはそれが一生持てないことも、どこかで分かっていた。
今の僕は、たぶん、今でもその決断の速度を持っていません。 ラップ音ひとつで身体が固まるような人間が、宇宙服の中で独断で圧力を下げるなんて、絶対に無理です。ビュッフェで皿の組み合わせを決めるのに5分かかる人間ですから。
でも、そういう人たちがこの地球に実在していて、そしてその人たちの経験が今の宇宙開発の安全性を作ってきたという事実だけは、今夜ちゃんと知りました。 青い地球の映像の裏側で、何人もの人が、誰にも見られない種類の決断を、一人きりで済ませてきた。
その静かな事実を、僕は今夜、しばらく忘れないでおこうと思います。 明日からまた、どうせ凡庸な一日が始まります。 それでも、ビュッフェの皿の前で迷うたびに、あの宇宙服のダイヤルのことを、少しだけ思い出せる気がしています。



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