心の置き所一つで人生は変わるらしい。でも、その「置き方」を誰も教えてくれない
「怒るな」と言われても、怒ってしまう。
「気にするな」と言われても、気にしてしまう。
「前向きに考えよう」と言われても、後ろ向きな自分が布団の中にいる。
僕はずっと、この「言われたことはわかるけど、できない」という状態に苦しんでいました。世の中には「こうあるべき」というアドバイスが溢れている。でも、「じゃあ具体的にどうすればそうなれるのか」を教えてくれる人が、驚くほど少ない。
ある夜、またしても些細なことでイライラして眠れなかった時に、ふと思ったんです。
**僕は感情に振り回される人生を送っているけど、そもそもこれって仕方のないことなのか?**と。
「人間は感情の動物だから」で済ませていいのか。本当にそうなのか。もしかして、感情との付き合い方を僕はただ知らないだけなんじゃないか、と。
「怒るな」は何の役にも立たなかった
振り返ってみると、僕が感情について教わったことは、すべて「あるべき論」でした。
怒ってはいけません。人を憎んではいけません。くよくよしてはいけません。前向きに生きましょう。
全部、「こうあるべきだ」「こう考えるべきだ」という話。
でも、「じゃあ怒りが湧いた時に、具体的にどうすれば怒りを手放せるのか」については、誰も教えてくれなかった。
これって、泳いだことのない人に「溺れるな」と言っているようなものだと思うんです。溺れたくないのは本人が一番わかっている。でも泳ぎ方を知らなければ、溺れるに決まっている。
「怒るな」と言われて怒りが消えるなら、世の中から怒りはとっくに消滅しているはずです。「悩むな」で悩みが消えるなら、カウンセラーは全員廃業しています。
問題は「何をすべきか」じゃなくて、「どうすればそれができるのか」なんですよね。
この「あるべき論」と「具体的な方法」のギャップに、僕はずっとハマっていました。
体温計を何度も測った夜
自分の感情にどれだけ振り回されているか、はっきり自覚した出来事があります。
去年、健康診断で「要再検査」の結果が返ってきた時のことです。
結果的には大したことなかったんですが、再検査の結果が出るまでの2週間が地獄でした。
毎朝起きるたびに体温を測る。平熱だと安心する。でも30分後にはまた不安になって、もう一度測る。「さっきより0.2度上がってない?」と気になって、さらにもう一度測る。
1日に5回も6回も体温計を脇に挟んでいました。
冷静に考えたら、30分で体温が劇的に変わるわけがない。わかっているんです、頭では。でも、不安という感情がそれを許さない。「もしかしたら」「万が一」が頭の中をぐるぐる回って、体温計を手放せない。
その時、ものすごく情けなくなりました。
普段は「僕はそこそこメンタルが強い方だ」と思っていたのに、いざ自分の健康に関わる問題が出てきた途端、見る影もなく崩れた。恐怖という感情の前では、僕の「強さ」なんてハリボテだったんです。
あの2週間で、僕は身をもって理解しました。感情というのは、放っておくと際限なく増殖するんだ、と。
不安を感じる → 体温を測る → 一瞬安心する → また不安になる → もう一度測る。このループを回すたびに、不安はどんどん大きくなっていく。感情に餌をやっているようなもので、相手にすればするほど育ってしまう。
感情は「条件反射」だった
この体験をきっかけに、僕は感情というものについて少し真面目に考えるようになりました。
で、気づいたことがあります。
僕たちの感情の多くは、条件反射なんじゃないか、と。
上司に嫌味を言われたら → 怒る。SNSで嫌なコメントを見たら → 落ち込む。将来のことを考えたら → 不安になる。
これ、ほとんど自動的に起きていますよね。「よし、今から怒るぞ」と決めて怒る人はいない。気づいた時にはもう怒っている。まるで刺激に対して決まったパターンで反応してしまう。
で、僕はずっとこの「自動反応」を「人間だから仕方ない」と思っていました。
でも、本当にそうなのか。
たとえば、同じ出来事に対して、人によって反応は全然違いますよね。電車で足を踏まれて激怒する人もいれば、「まあいいか」で済ませる人もいる。仕事でミスして一週間引きずる人もいれば、翌日にはケロッとしている人もいる。
つまり、出来事そのものが感情を決めているんじゃなくて、出来事に対する「心の反応の仕方」が感情を決めているんです。
同じ刺激でも、反応の仕方が違えば感情は変わる。ということは、この「反応の仕方」は、もしかしたら変えられるんじゃないか。
少なくとも、「人間は感情の動物だから仕方ない」と諦めるのは、ちょっと早いんじゃないかと思うようになりました。
人間だけが「感情に逆らえる」らしい
ここで一つ、面白いことに気づきました。
犬は怖い時に逃げるし、怒った時に吠える。それは100%、感情のままです。犬に「落ち着け」と言っても無駄ですよね。
でも人間は違う。怖くても、歯を食いしばって前に進めることがある。怒っていても、ぐっと堪えて黙っていられることがある。悲しくても、笑顔を作れることがある。
つまり、心で思っていることと、違う行動を選べるのは、たぶん人間だけなんです。
これに気づいた時、ちょっとだけ希望が持てました。
感情に逆らえるということは、感情の奴隷じゃないということです。感情は確かに湧いてくる。それは止められない。でも、湧いてきた感情にそのまま従うかどうかは、選べる。
怒りが湧いた。でも、怒りに従って怒鳴るか、一拍置いて別の行動を選ぶかは、自分で決められる。
もちろん、毎回それができるわけじゃない。感情の波が強すぎて、理性なんて吹き飛ぶことの方が多いです。でも、「選べる可能性がある」ということ自体が、「仕方ない」と諦めていた頃とは全然違う。
心のモードが体にも出ていた
もう一つ気づいたのは、感情って心だけの問題じゃないということです。
あの体温計を測りまくっていた2週間、僕は明らかに体調が悪くなっていました。食欲が落ちて、肩はガチガチで、胃がキリキリする。再検査の結果は問題なかったのに、不安という感情のせいで、本当に体が不調になっていた。
逆に、友達と久しぶりに会って大笑いした日は、体が軽くなったような気がしました。何か特別なことをしたわけじゃない。ただ楽しい時間を過ごしただけなのに、肩こりまで和らいでいた。
心の状態が体に影響する。これ、当たり前のことかもしれないけど、自分の体で実感すると説得力が違います。
イライラしている時は呼吸が浅くなっているし、不安な時は胃が重くなる。逆に、穏やかな気持ちでいる時は、体もリラックスしている。
心と体って、思っている以上に連動しているんだなと。だとしたら、心の置き所を変えることは、単に気持ちの問題じゃなくて、体にとっても大事なことなのかもしれません。
「反応しない」を練習してみた
とはいえ、具体的にどうすればいいのか。
僕が試してみたのは、感情が湧いた瞬間に**「一拍置く」**ということでした。
たとえば、イラッとすることを言われた時。以前はそのまま反射的に言い返すか、黙って怒りを飲み込むかの二択でした。
でも、「一拍置く」を意識し始めてから、ほんの少しだけ選択肢が増えた気がします。
具体的には、イラッとした瞬間に「あ、今イラッとしたな」と心の中で実況する。たったそれだけです。
バカみたいにシンプルですよね。でも、この「気づく」という一拍があるだけで、自動反応が少しだけ遅くなるんです。
怒りのスイッチが入る → いつもなら即座に反応する → でも「あ、スイッチ入ったな」と気づく → その気づきの一瞬で、ほんの少しだけ冷静になれる。
もちろん、毎回うまくいくわけじゃないです。気づく前に反応してしまうことの方が圧倒的に多い。でも、たまに「気づけた」時は、怒りの温度が少しだけ下がるのを感じます。
心に泥水を流し込んでいた
感情との付き合い方で、もう一つ気づいたことがあります。
僕は毎晩、寝る前に「反省会」をやっていました。
今日のあのミスはダメだった。あの時もっとうまくやれたはずだ。あの人にあんなこと言われて悔しかった。来週のプレゼンが不安だ。
布団の中で、その日のネガティブな出来事を丁寧に反芻する。これ、僕の中では「反省」だと思っていたんですが、冷静に考えるとただの自分いじめでした。
しかも、寝る前というタイミングが最悪だった気がします。
意識がぼんやりしている状態で、ネガティブな思考をぐるぐる回す。それってたぶん、心にドロドロの泥水を流し込みながら寝ているようなものです。翌朝の目覚めが悪いのは当然ですよね。泥水の中で寝てたんだから。
逆に、寝る前に「今日よかったこと」を一つだけ思い浮かべるようにしたら、朝の気分がちょっとだけ違いました。
大げさなポジティブじゃなくていいんです。「昼飯のラーメンが美味かった」とか「帰り道の空がきれいだった」とか、その程度のこと。
でも、泥水の代わりにきれいな水を一滴だけ入れて寝る。たったそれだけで、翌朝の心の濁り具合がほんの少し違う。
これが「心の置き所」ということなのかもしれません。同じ一日を過ごしても、最後にどこに心を置いて眠るかで、翌日のスタートが変わる。
逆に言えば、僕たちは毎晩「明日の自分の気分」を、無意識に選んでいるんです。寝る前にネガティブを選べば、翌朝はネガティブからスタートする。ポジティブを選べば、少しだけ軽いスタートが切れる。
もちろん、嫌なことがあった日に無理やり「今日は最高の一日だった!」と思い込む必要はないと思います。それはただの嘘です。ただ、嫌なことがあった日でも、その中に一つくらいは「まあ悪くなかった」と思えることがあるはず。その小さな一つに心を置いて眠る。それだけでいいんじゃないかと。
東京に行きたいのに九州行きに乗っていた
感情に振り回される生活をしていた頃の僕を、今振り返ると、こんな感じだったと思います。
「幸せになりたい」と願いながら、毎日イライラしている。「健康でいたい」と思いながら、不安で夜も眠れない。「穏やかに暮らしたい」と望みながら、些細なことで怒り狂う。
これって、東京に行きたいと言いながら、九州行きの電車に乗っているようなものですよね。いくら「東京に着きたい」と願っても、乗っている電車が逆方向なら永遠に着かない。
僕は「穏やかでいたい」と願いながら、心の中では怒りや不安や後悔という逆方向の電車に毎日乗っていたんです。
大事なのは、願うことじゃなくて、乗る電車を変えること。つまり、心の置き所を変えること。
……と、ここまで書くと、なんだか僕が悟った人みたいに聞こえるかもしれませんが、全然そんなことはありません。
まだ全然、電車を間違える
正直に言うと、僕は今でもしょっちゅう逆方向の電車に乗っています。
イラッとして反射的に言い返してしまうこともある。寝る前に反省会を開催してしまう夜もある。体調が気になって、検索してはいけないのに症状をググってしまうこともある。
「心の置き所を変えれば人生が変わる」なんて、言葉にするのは簡単です。でも実際にやろうとすると、これがめちゃくちゃ難しい。
何十年もかけて身についた感情の反応パターンは、そう簡単には変わりません。
でも、一つだけ変わったことがあるとすれば、「あ、今また逆方向の電車に乗ってるな」と気づけるようになったことです。
気づいたからといって、すぐに乗り換えられるわけじゃない。でも、気づけなかった頃は、逆方向に走っていること自体に気づかないまま、「なんで全然着かないんだろう」とイライラしていた。
今は少なくとも、「あ、これ逆だ」とわかる。わかった上で、次の駅で降りるか、もうちょっと乗り続けるかを選べる。その選択肢が生まれただけでも、前より少しはマシになった気がします。
心の置き所一つで人生が変わる。たぶんそれは本当だと思います。
でも、その「置き所」を毎日正しく選び続けるのは、一生かけてやっていく練習なんだろうなと。
今夜も布団の中で、できるだけきれいな水を一滴だけ心に落としてから眠ろうと思います。明日の朝、ほんの少しだけ軽い気持ちで目が覚めることを願いながら。
……まあ、目覚ましのアラームで一気に不機嫌になる可能性は大いにありますけどね。心の置き所を変える練習は、どうやらアラーム音の選定から始めた方がいいのかもしれません。



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