正直に生きるのは本当に正しいのか|「黙る」ことを覚えた夜の話
飲み会の帰り道に、ふと後悔することがある。
「あれ、言わなくてよかったな」
ほろ酔いのテンションで、つい余計なことを喋ってしまう。自分の本音とか、誰かへの不満とか、将来やりたいこととか。
その場では盛り上がる。「え、マジ?」「それ分かるわー」みたいな反応が返ってきて、なんだか自分が受け入れられた気がして気持ちいい。
でも、翌朝シャワーを浴びながら、急に冷える。
「あれ、なんであんなこと喋ったんだっけ」
胸のあたりがキュッと締まる感覚。あの情報、あの人に渡して大丈夫だったかな。あの本音、変な形で広まったりしないかな。
こういう経験、僕は何度もしてきました。
何度もしてきたのに、また繰り返す。学習能力どうなってんだと自分でも思う。
一番ひどかったのは、転職を考えていた時期に、それを同僚にうっかり話してしまったこと。
「いや、まだ考えてるだけだから」と言ったけど、その話はあっという間に広まって、翌週には上司の耳にまで入っていた。
結局転職はしなかったんですけど、しばらくの間「あいつ辞めるらしいよ」という空気の中で仕事をするはめになった。
あの居心地の悪さ、今でも思い出すだけで胃がキュッとなります。
全部自分が蒔いた種なんですけどね。自分で自分の首を絞めるとは、まさにこのことだった。
でも、ある時期からちょっとだけ変わったことがあって、今日はその話を書いてみようと思います。
「正直な人」って、本当に強いのか
僕はずっと、正直であることは無条件にいいことだと思っていました。
嘘をつかない。隠し事をしない。思ったことはちゃんと言う。
それが誠実さであり、人として正しい姿だと。
学校でもそう教わったし、ドラマでも映画でも、正直な人が最後には報われるストーリーが多い。嘘つきは必ずバレて、痛い目にあう。正直者はちょっと損するけど、最終的には信頼を勝ち取る。
そういう物語を信じていたんです。
で、社会人になって数年。
正直に言います。
正直すぎて損したことが、めちゃくちゃある。
たとえば、会社で上司に「この企画、正直どう思う?」と聞かれて、本当に正直に「うーん、ちょっと微妙だと思います」と答えたことがある。
悪気はなかった。聞かれたから答えただけ。
でも、その上司の顔が一瞬で曇ったのを見て、「あ、これ聞きたかったのは本音じゃなくて同意だったんだ」と気づいた。
遅い。もう遅い。
その後しばらく、その上司との関係がぎこちなくなった。
僕が間違ったことを言ったわけじゃない。でも、「正しいタイミングで正しいことを言う」のと、「聞かれたから正直に全部言う」のは、全然違うことだったんです。
この区別が、当時の僕にはまったくついていなかった。
別の場面でもある。友達が新しく始めた副業について嬉しそうに話していた時、僕は正直に「うーん、それちょっとリスク高くない?」と言ってしまった。
善意だった。心配だったから言った。
でも友達の顔から笑顔が消えて、その日の会話はそこで終わった。
後から考えたら、あの時友達が求めていたのは分析やアドバイスじゃなくて、「いいじゃん、頑張れよ」という一言だったんだと思う。
正直であることと、相手が必要としている言葉を渡すこと。この二つは、しばしば両立しない。
そして、「正直に言っただけなのに」と自分を正当化している時ほど、実は相手の気持ちが見えていない。
この事実に気づくのに、僕はけっこうな時間がかかりました。
「喋りすぎる人」の弱さに気づいた日
もう一つ、自分について気づいたことがある。
僕は、自分のことを喋りすぎる傾向があった。
将来の目標とか、今考えていること、悩んでいることを、わりと気軽に人に話してしまうタイプだった。
それが「オープンな性格」だと思っていたし、隠し事をしない自分をちょっと誇りにすら思っていた。
でもある日、ふと気づいたんです。
僕が自分のことを喋りたくなるのは、不安だからだった。
誰かに聞いてもらいたい。共感してもらいたい。「それいいじゃん」と言ってもらいたい。
つまり、自分の考えや計画に自信がないから、他人の反応で安心したかったんです。
自分の中で「これでいいのかな」と揺れている時ほど、外に確認を求めたくなる。「ねえ、これ合ってる?」って。
でも、面白いもので、他人に話した瞬間に、その計画や夢のエネルギーが少し抜ける感覚がある。
まだ何も始めてないのに、話しただけで「やった気」になってしまう。口に出した時点で、もう半分達成した気分になって、実際の行動力が落ちる。
これ、心理学的にも何か名前がついているらしいんですけど、僕は体感として強くそれを感じたことがあります。
副業を始めようとした時、嬉しくて友達に全部話したんです。「こういうことやろうと思ってる」「目標はこのくらい」って。
みんな「いいじゃん!」と言ってくれた。
で、満足してしまった。
結局、その副業は三日坊主で終わりました。話すことで満足して、やる気の燃料を全部口から排出してしまったんだと思います。
これに気づいた時、けっこうショックでした。
「オープンな性格」だと思っていたものの正体が、実は自信のなさの裏返しだったなんて。
逆に、僕の周りで本当に結果を出している人たちを思い返すと、彼らは決してべらべら喋らなかった。
自分の計画をあまり人に言わない。聞かれても「まあ、いろいろ考えてるよ」くらいで流す。
最初はそれが冷たく見えたし、「もっと本音で話してくれたらいいのに」と思っていた。
なんなら、ちょっと壁を感じて距離を置きたくなることすらあった。
「この人、僕のこと信頼してないのかな」とか、「結局何考えてるか分からない人だな」とか。
でも、時間が経つにつれて気づいた。
そういう人たちは、黙っている代わりに行動で示していた。
言葉は少ないけど、やると言ったことは必ずやる。約束は守る。そして気づいたら、静かに結果を出している。
今になって思う。
あの人たちは、自分の中にしっかりとした軸があったから、わざわざ外に確認を求める必要がなかったんだ。
喋らないことは、冷たさじゃなくて、強さだったのかもしれない。
……まあ、だからと言って僕が急に寡黙なクールキャラになれるわけもなく。飲み会に行けば相変わらず余計なことを言いそうになるんですけどね。
「黙る」ことで変わったこと
とはいえ、あの気づきから少しだけ意識的に「黙る」練習を始めた。
大げさなものじゃない。
たとえば、誰かに「最近何してるの?」と聞かれた時、以前は自分の考えていることを全部話していた。
それを「まあ、ぼちぼちやってるよ」とだけ答えてみる。
最初はすごく不自然だった。もっと喋りたい衝動がある。「いやいや、実はさ——」と口が開きかける。
でも、そこをグッとこらえて黙っていると、不思議なことが起きた。
相手のほうが喋り始めるんです。
「実はさ、俺もちょっと悩んでてさ……」
自分が黙っていると、相手が安心して本音を出してくれる。
これは完全に予想外だった。
考えてみれば当たり前かもしれない。こっちがべらべら喋っていたら、相手は聞き役に回るしかない。でも、こっちが少し引くと、相手に話すスペースが生まれる。
しかも、自分の話を全部さらけ出さないでいると、相手からの扱いがちょっと変わった気がする。
なんというか、以前よりも**「この人に相談してみよう」**と思ってもらえることが増えた。
全部見せてしまうと、人はそこに「余白」を感じなくなる。でも、少し隠れている部分があると、不思議と信頼や重みが生まれるのかもしれない。
面白いのは、秘密を守れる人のところには、他人の秘密も集まってくるということ。
「あの人に話しても大丈夫だ」と思ってもらえると、周りの人がぽつぽつと本音を打ち明けてくれるようになる。
口が軽い人のところには、本当の情報は回ってこない。みんな警戒するから。
でも、黙ることを知っている人は、結果的に誰よりも多くのことを知ることになる。
これは本当に不思議な逆説だと思った。喋るほど情報を失い、黙るほど情報が集まる。
もちろん、僕がそのレベルに達しているかというと全然そんなことはなくて、まだまだ修行中です。
これ、恋愛でも同じだよなと思ったんですけど、僕が恋愛を語れる立場にあるかというと非常に怪しいので、この話はやめておきます。
でも、嘘をつきたいわけじゃない
ここまで「黙ることの良さ」みたいな話を書いてきたけど、一つだけ誤解されたくないことがある。
僕は、嘘をつくことを勧めたいわけじゃない。
黙ることと嘘をつくことは、似ているようで全然違う。
黙るのは、自分の手の内を全部見せないこと。
嘘をつくのは、存在しないカードを見せること。
この差は、思っている以上に大きい。
僕も過去に、取り繕うために小さな嘘をついたことがある。
「あの件、もう対応しました」——実際にはまだやっていなかった。
その場はしのげた。でも、そのあとがキツかった。
嘘をついた瞬間から、頭の中で「あの嘘がバレないように」という計算がずっと走り続ける。次の会話でも、その前の嘘と矛盾しないように気を使う。
一つの嘘を守るために、さらに嘘が必要になる。
これ、本当に疲れるんですよ。
精神のリソースがどんどん「嘘の管理」に持っていかれて、本来やるべきことに集中できなくなる。
しかも、嘘をつき続けていると、だんだん自分でも何が本当で何が嘘だったか分からなくなってくる。「あれ、あの人にはどう話したんだっけ?」「この設定で合ってたっけ?」みたいに、頭の中が常にフル回転している。
それって、ものすごいエネルギーの無駄遣いだと思うんです。
そのエネルギーを、もっと自分のために使えたら、どれだけ違う人生になるだろうと思う。
結局その嘘はバレなかったけど、僕の中には嫌な感触だけが残った。
あの経験から思ったのは、嘘をつき続けられる人って、ある意味ですごいけど、同時にすごく不幸なんじゃないかということ。
だって、常に「バレるかもしれない」という恐怖と一緒に生きているわけですから。
夜、布団に入った時に、自分がついた嘘が一つずつ思い出される。その重さに耐え続けなきゃいけない。
それって、どんなに外側がうまくいっていても、心の中はずっと戦場じゃないですか。
だから僕は、嘘をつくより黙るほうを選びたいと思った。
全部を正直に話す必要はない。でも、口から出す言葉には嘘を混ぜたくない。
言わないことと、嘘を言うことの間には、思っている以上に深い溝がある。
……と偉そうなことを言いつつ、「いやー全然大丈夫ですよ」みたいな社交辞令は日常的に使っているので、僕の「嘘をつかない宣言」もけっこう怪しいものですけどね。人間、完璧にはなれない。
「全部見せない」ことは、ずるいのか
自分のことを全部はさらけ出さない。本音を聞かれても、すべてを言葉にしない。
こういう生き方って、もしかしたら「ずるい」と思われるかもしれない。
「もっとオープンになれよ」「信頼してるなら全部話せよ」
そういう声が、世の中にはある。
特にSNSの時代は、「自分をさらけ出すこと=誠実」みたいな空気がある。弱みを見せることが美徳とされて、全部をオープンにすることが「本物の人間関係」だと信じられている。
僕もそう思っていた時期がある。
でも、実際に全部さらけ出してみて分かったのは、それで関係が良くなるとは限らないということだった。
むしろ、全部見せてしまうと、相手にとって「もう分かった」存在になってしまう。興味の対象から外れてしまう。
あるいは、見せた弱みが、後から武器として使われることもある。
「あの時、あんなこと言ってたじゃん」
信頼して打ち明けた言葉が、関係が変わった瞬間に牙を剥く。
これは僕自身が経験したことだし、たぶん多くの人が一度は経験していることだと思う。
人間関係って、永遠じゃない。今は仲がいい人と、数年後には全然連絡を取らなくなっていることなんて普通にある。
その時、かつて打ち明けた本音が、自分を守ってくれる保証なんてどこにもない。
かといって、誰も信用しないで生きるのも寂しすぎる。
結局のところ、「誰に、どこまで見せるか」を毎回考え続けるしかないのかもしれない。
これは面倒くさいことだけど、たぶん人間関係の本質なんだと思う。
全部見せるか、全部隠すか、みたいな二択じゃなくて、その中間のどこかに、ちょうどいい場所がある。
そしてその場所は、相手によって、場面によって、毎回違う。
だから僕は今、こう考えている。
全部を見せないことは、ずるさじゃない。自分を守る技術だと。
そしてそれは同時に、相手との関係を長く保つための知恵でもあるんじゃないかと。
近すぎると見えなくなるものがあるように、ちょうどいい距離感を保つことで、お互いを尊重し合える関係が生まれるのかもしれない。
あと、最近気づいたんですけど、言葉だけじゃなくて顔の表情も意外と自分を裏切る。
何も言ってないのに、顔に出ちゃう人っていますよね。僕もけっこうそのタイプで、嫌なことがあると露骨に顔に出る。
ポーカーフェイスとか全然できない。上司の話がつまらない時、たぶん僕の目は完全に死んでいると思う。
これもある意味「正直すぎる」ということなのかもしれない。
言葉は選べても、表情まではなかなかコントロールできない。でも人は、言葉よりも表情のほうを信じることが多い。
「大丈夫です」と言いながら明らかに不満そうな顔をしていたら、相手が信じるのは顔のほうだ。
これも僕の課題です。黙ることを覚えても、顔がべらべら喋ってたら意味がない。
……まあ、これに関してはもう「僕の顔が正直すぎる問題」として、一生付き合っていくしかなさそうですけどね。
それでも、分からないまま
ここまで書いてきて、自分でもちょっと混乱しています。
正直でいることは大事。でも、正直すぎると損をする。
黙ることには力がある。でも、黙りすぎると孤独になる。
嘘はつきたくない。でも、社交辞令なしでは社会生活が成り立たない。
じゃあ、結局どうすればいいの?
……正直に言うと、分かりません。
たぶん、「これが正解」という一つの答えはないんだと思う。
状況によって、相手によって、自分の状態によって、「どこまで見せるか」の正解は毎回変わる。
世の中には「常にオープンであれ」と言う人もいれば、「本音は隠せ」と言う人もいる。
どっちの言い分にも一理ある。どっちにも欠点がある。
結局のところ、正直さと沈黙のバランスは、誰かに教えてもらうものじゃなくて、自分で失敗しながら見つけていくものなのかもしれない。
僕はこれまで、正直すぎて失敗した。喋りすぎて後悔した。黙ることを覚えてちょっとだけ楽になった。嘘をついて自分が嫌になった。
全部、自分でやって、自分で痛い目を見て、やっと少しだけ分かりかけている。
でも「分かりかけている」だけで、「分かった」とはまだ言えない。
僕にできるのは、その都度「今、何を言うべきで、何を黙っておくべきか」を考え続けることだけなのかもしれない。
完璧にはできない。たぶんこれからも飲み会で余計なことを言うだろうし、黙っておけばよかったと後悔する夜もあるだろう。
でも、一つだけ決めていることがある。
口から出す言葉には、なるべく嘘を混ぜないこと。
全部を言う必要はない。でも、言うと決めたことには、なるべく本当のことだけを乗せたい。
それが僕なりの、「正直」と「沈黙」の間にある、ぎりぎりのバランスなのかもしれない。
合っているかどうかは、分からない。
このバランスが正しいのかどうか、たぶん一生分からないまま調整し続けるんだと思う。
でも、分からないなりに、自分の言葉に責任を持とうとすること。
それだけは、なんとか手放さないでいたい。
……なんて、また夜中に一人で考え込んでしまった。
明日は飲み会がある。今度こそ、余計なことを言わないで帰ってこれるだろうか。
たぶん無理な気がしている。
三杯目のビールあたりで、きっとまた「いやさ、聞いてくれよ」と言い出す自分が見える。
もう見える。完全に見える。
でもまあ、それも含めて、分からないまま生きていくしかないんですよね。



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