エノク書|聖書から消された禁断の書の驚きの中身

堕天使 考察都市伝説

聖書から消された「エノク書」を知ってしまった夜の話

ある日、僕は絶対に読んではいけない本の存在を知った

その日の夜のことは、今でもよく覚えています。

仕事を終えて、部屋の電気をつけるのも面倒で、スマホの光だけで晩御飯のコンビニ弁当を食べていた夜です。 別に落ち込んでいたわけでもなく、ただなんとなく、食事中に何か読もうと思って、適当な記事をスクロールしていました。

そうしたら、「聖書から削除された書物」という言葉が目に飛び込んできたんです。

最初は「はいはい、またそういう系ね」と思いました。 この手の話って、ネットには山ほどあるじゃないですか。 陰謀論とか、隠された真実とか、そういう系の記事。

でも、なぜかその夜の僕は、指が勝手にその記事を開いていました。 箸を止めて読み始めて、気がついたら食べかけの唐揚げが冷めていました。 そしてその本の名前を知ったとき、僕は思わず声に出して言ったんです。

「エノク書、なんだこれ」

今日は、そんな僕が眠れなくなった「エノク書」という、ちょっと頭のおかしい古文書について、勝手な考察を書いていこうと思います。 先に言っておきますが、僕は宗教の専門家でもなんでもありません。 ただの会社員が、夜中にテンションがおかしくなって書いた独り言です。 それでもよければ、お付き合いください。

そもそもエノクって誰なんだという話

まず、この話を読むにあたって「エノクって誰?」という疑問が出てくると思います。 僕も最初そうでした。

エノクというのは、あのノアの方舟で有名なノアのご先祖様にあたる人物らしいんです。 最初の人類であるアダムから数えて、七代目の子孫。 しかも、名前の意味が「従う人」。 そして「神と共に歩んだ」と評されるほど、神様とマブダチ級に仲が良かった人物で、最終的には死なずにそのまま天に登ったと言われているそうなんです。

死なずに天に登る。

この時点で僕は「え、人間でそんなことある?」と思いました。 天に登ったと言われている人物の話なんて、普通に考えてたら読み物としてもちょっとハイカロリーすぎます。 でも、本題はここからです。

そのエノクが、天で神様から直々に「見たこと」「聞いたこと」を書き留めた、と伝えられている文書があるらしいんです。 それが、エノク書。

つまり、**「天国に行った人間が書いた現地レポート」**のような性質を持つ本だということになります。 こんなの、読みたいに決まってるじゃないですか。

なぜこの本は聖書から消されてしまったのか

ここが今回一番気になった部分です。

エノク書は全部で百八章もある、かなりの長編だそうで、天使のこととか、巨人のこととか、ノアの大洪水の詳細とか、最後の審判のこととか、要するに聖書に出てくる話の「裏側」や「楽屋裏」みたいな内容がめちゃくちゃ詳しく書かれているらしいんです。

しかも、新約聖書の中で、エノク書の内容が引用されている箇所もあるそうで。 さらに、僕らがよく知っている有名な天使の約九割はエノク書に由来している、とも言われているとか。

ここで僕はふと思ったんです。

「引用もされてて、天使のほとんどが由来になってるのに、なんで本体は外されてるんだ?」と。

これ、会社で例えるとめちゃくちゃ違和感がある構図なんです。 僕の会社でも、たまに「元々あった企画書から一部だけ引用して、本体はなかったことにする」みたいな動きが起きることがあります。 そういうときって、大抵は本体にヤバいことが書いてあるんですよね。

見せたくない部分があるから、使える部分だけ切り取って使う。 都合の悪い箇所はそのまま埋める。 これは古今東西、組織という組織でよく見る動きだと思います。

エノク書が聖書から外された経緯にも、同じ匂いを感じました。 「単に品質が悪かった」「書いた人が複数いたから却下した」みたいな説明もあるそうなんですが、それだけにしてはちょっと扱いが丁寧すぎる気がするんです。

衝撃の内容、堕天使たちのあまりに人間臭い話

ではエノク書には具体的に何が書かれているのかというと、これがもう、想像の斜め上を行っていました。

神様は地上の様子を監視するために、ウォッチャーと呼ばれる二百人の天使を地球に派遣したそうなんです。 天使たちは最初、真面目に仕事をしていました。 上空から地上を見守って、人間が変なことをしていないか監視する毎日。

ところが。

天使たちは次第に、地上にいる人間の女性の美しさに心を奪われていきます。 そしてついに、禁じられているにもかかわらず、人間の女性と結婚してしまうという禁忌を犯してしまうんです。

この話を読んだとき、僕は口から唐揚げを落としかけました。 いや、もう食べ終わっていたので落とすものがなかったんですが、気持ち的には落としていました。

だって、天使ですよ。 神様に仕える、絶対的に清廉潔白な存在として僕らがイメージしてきた天使たちが、任務をほっぽり出して地上の美女に見惚れて、しかも仲間同士で**「途中で裏切るなよ」と呪いをかけ合いながら**、人間の女性と結ばれていく。

どこの青春群像劇ですか、これ。

しかもウォッチャーたちは、人間に武器の作り方、化粧の仕方、占星術、金属加工などの知識を次々に与えていきます。 その結果、人間の男たちは武器で殺し合うようになり、女たちは着飾って色恋に夢中になり、地上はみるみるうちに堕落していった、というんです。

僕がこの話を読んで、妙にリアルだと感じた理由

ここで僕は一度スマホを置いて、天井を見上げました。

冷静に考えてほしいんです。 この話、現代の僕らとほぼ同じ構図じゃないですか?

武器を手にした瞬間、人は殺し合いを始める。 化粧や装飾を覚えた瞬間、見た目の価値観に振り回され始める。 新しい知識を手にするたびに、人間は少しずつ幸せから遠ざかっていく。

これを書いたのが本当に紀元前の誰かだとしたら、その人は人間という生き物を、恐ろしいほど正確に観察していた気がします。 というか、数千年経っても人間は同じことしかしていないということを、逆に突きつけられている感じがしました。

僕は最近スマホを買い替えたんですが、新しい機能を覚えてから、前より明らかに夜更かしが増えました。 便利なはずのものを手に入れたのに、生活は悪化している。 知識や道具が増えるたびに、人は幸せからちょっとずつ離れていく。 これはエノク書の話がフィクションかどうかとは関係なく、観察としてあまりにも的確だと思ったんです。

だから僕は、この本を単なる「聖書のスピンオフ怪奇小説」として笑い飛ばすことが、どうしてもできませんでした。

巨人ネフィリムと、滅ぼされた世界

話はここで終わりません。 天使と人間の間に生まれた子供は、普通の子供ではなかったそうなんです。 成長するにつれて、人間よりもはるかに大きな体を持つ巨人ネフィリムになったと書かれています。

しかも、この巨人たちはどんどん大きくなっていって、最終的には普通の食事では足りなくなり、備蓄を食い尽くし、動物を食い尽くし、最後には人間まで食らうようになったというんです。

ここまで来ると、もはやホラーです。 というか、もう何かの終末系の漫画の筋書きみたいで、僕は読みながら「いや、そんな」と小さく呟いていました。

結果として、神様はこの惨状を見かねて、堕天使も巨人も、信仰を失った人間も、まとめて一掃することを決めます。 これが、あの有名なノアの大洪水です。

僕らが子供の頃、絵本で見たノアの箱舟の話。 動物たちが二匹ずつ船に乗って、ノアとその家族が助かって、虹がかかって、めでたしめでたし。 そういう話だと思っていました。

でもエノク書の中では、あの洪水は堕天使と巨人という失敗作を地球から消すための処分だったということになっています。 絵本のほのぼのとした印象が、完全に消し飛びました。

世界中に残る「大洪水の伝説」という奇妙な一致

ここからがさらに興味深いというか、僕が一番夜眠れなくなったところです。

大洪水の話って、聖書にしか出てこないと思っていたんですが、実は世界中の神話に同じような話があるそうなんです。

ギリシャ神話、インドの神話、中国の伝承、イギリスの民話、メキシコの古代文明、アメリカ先住民の伝承。 言語も宗教も、生活様式も価値観も全然違う地域で、なぜか「大洪水で人類のほとんどが滅びた」という話が共通して残っている。 しかも、「一家族だけが船で助かった」という細部まで一致する例がたくさんある。

僕はこの話を読んだとき、正直に言って鳥肌が立ちました。

もちろん、偶然の一致という可能性もあります。 大洪水なんて、地域ごとに昔からよく起きる自然災害だし、それが神話化されただけだ、という説明もできる。 僕も普段はそういう合理的な説明の方を信じるタイプです。

でも、ここまで細部が一致するとなると、合理的な説明でも微妙に説明しきれない部分が出てきます。 一家族だけが助かる、という特定のディテールは、ただの洪水の記憶から自然に発生するものでしょうか。 なんとなくですが、「元になった何か」が本当にあったんじゃないかという気持ちが、どうしても拭えないんです。

シュメール神話と、気になりすぎる一致

この話にはまだ続きがあります。

シュメール文明という、人類最古とも言われている文明があるんですが、そこに伝わる神話の内容が、エノク書とほぼ同じらしいんです。

神のような存在が地上に降りてきて、人間と交わり、巨人が生まれ、そして神が大洪水で人類を一掃しようとした。 話の骨組みが、恐ろしいほど一致している。

しかもシュメール神話では、地上に降りてきた存在は「アヌンナキ」と呼ばれていて、これは「天から降りてきた者」という意味だそうなんです。 そしてアヌンナキたちが降りてきた理由は、「自分たちの星の大気を守るために金が必要だったから」という、なかなか突拍子もないものになっています。

ここで「宇宙人じゃん」と思った人、僕もそう思いました。

そして、それが真実かどうかはさておき、僕が気になったのはもっと別のところです。 時代も場所も言語もまったく違う地域に住んでいた人々が、どうしてこんなに似た話を記録に残したのか、という点です。

これが本当に全部偶然だとしたら、偶然という言葉の意味を見直さなきゃいけないレベルだと思うんです。 僕は別に陰謀論が好きなわけではないんですが、ここまで一致すると、さすがに「何かあったんじゃないか」と思ってしまうタイプの会社員です。

巨人の骨は世界中で見つかっているらしい、という話

エノク書の話にさらに深入りしていくと、もう一つ気になる話に行き当たりました。

なんと、巨人の骨らしきものが世界中で見つかっているというんです。 しかも一か所や二か所ではなく、千四百か所以上で目撃情報や発見報告があるとか。 体の大きさは、小さいものでも三メートル以上、大きいものだと十メートルを超えるものまであるらしいです。

もちろん、偽物や合成写真がめちゃくちゃ多いのも事実です。 ネットで「巨人 骨 発見」と検索すると、明らかにフォトショップで加工されたような写真がぞろぞろ出てきます。 僕も昔は「こんなの全部嘘だろ」と思って笑って流していました。

でも、エノク書の話を読んだ後にもう一度同じ画像を見ると、ちょっと視点が変わってくるんです。

全部が全部、嘘だったと言い切れるのか。 千四百件の中に、一件くらい本物が混じっていてもおかしくないんじゃないか。 そして、もし本物が一件でもあるなら、それは僕らの歴史の前提を根本から変えてしまう証拠になり得るんじゃないか。

こういうことを考えるとき、僕はいつも会社での経験を思い出します。 会議で誰かが「でもそれ、ひとつでも例外があったら話が変わりますよ」と言ってくる瞬間、あります。 大抵、そういう指摘って煙たがられるんです。 話が進まなくなるから。 だから大半の場合、その例外は「誤差」「特殊事例」ということにして、なかったことにされる。

巨人の骨の話も、同じ構図で処理されているんじゃないかと思ったんです。 全部が嘘という前提にしておいた方が、今の歴史の教科書は揺らがずに済む。 だから、怪しいものもそうでないものも、まとめて「全部偽物」という扱いにしておく。 そっちの方が、みんな楽だからです。

僕はこの「みんな楽だから」という力の強さを、大人になってから何度も思い知らされてきました。 真実よりも、楽な方が選ばれる瞬間というのは、世の中に本当にたくさんある気がしています。

深夜二時、僕の中で何かがぐるぐる回っていた

この話を読み進めていたとき、僕は完全に時間の感覚を失っていました。 時計を見たら深夜二時半で、明日も仕事なのに、と思いながら、それでもスマホを閉じることができませんでした。

こういう経験、皆さんにもないでしょうか。 別にエノク書じゃなくてもいい。 何かの拍子で、今まで自分が知っていた世界の外側を、ちょっとだけ覗き込んでしまう瞬間。 覗いた瞬間に、もう元には戻れなくなる感覚。

僕は昔から、そういう瞬間に弱いんです。 「知らなくてよかった」と思うことが分かっているのに、知ってしまう。 知ったあとで後悔するんですけど、知る前に戻ることはできない。

エノク書を読んだ夜も、まさにそういう夜でした。 翌日、会社で上司の話を半分くらいしか聞かずに「堕天使はまだ最後の審判を待たされているんだよな」とか考えていて、ほとんど上の空でした。 仕事に支障が出るレベルで引きずる本と出会うのは、久しぶりのことでした。

でも、不思議と、嫌な気分ではなかったんです。 むしろ、日常が少しだけ広がったような感覚がありました。 昨日までは知らなかった世界が、今日からはうっすら視界に入っている。 それだけで、同じ通勤電車の風景がちょっとだけ違って見えました。

僕が考えた、エノク書が消された本当の理由

夜中にここまで読んで、僕なりにぼんやりと結論めいたものが浮かんできました。

エノク書が聖書から外された理由は、たぶん「内容が荒唐無稽だから」ではないんです。 むしろ逆で、信じてしまう人が多すぎたからなんじゃないかと思ったんです。

考えてみてください。 もしこの本が広く読まれていたら、どうなっていたでしょうか。

「天使は絶対的に清らかな存在」という前提が崩れます。 「神は完全無欠の秩序の守護者」というイメージも揺らぎます。 「人間は神の傑作」という話も、もうちょっとニュアンスが変わってきます。

そうなると、教会という組織が人々に伝えたかったシンプルで分かりやすい世界観が成立しにくくなるんです。

組織というものは、信じる対象に揺らぎがあると回らなくなります。 僕の会社だって、経営理念がコロコロ変わると現場が混乱します。 宗教という、もっと根本的な部分で揺らぎが起きたら、組織は維持できない。 だから、揺らぎの原因になる本は、最初から「なかったこと」にしておく必要があった。

これは別に、昔の教会の人たちが悪かったという話ではないと思っています。 組織を守るためには、そういう判断が必要だった瞬間があったんでしょう。 僕が当時の責任者だったとしても、同じ選択をしたかもしれません。

真実を広めることと、組織を守ること。 この二つが両立しないとき、人はどちらを選ぶのか。 その答えが、エノク書の扱いに出ている気がしました。

分からないまま、それでも僕は考え続けている

ここまで書いてきて、僕は結局、何一つ答えを出せていません。

エノク書が真実なのか創作なのか、僕には分かりません。 堕天使が本当に地上に降りてきたのか、巨人が本当にいたのか、大洪水は本当にあったのか、アヌンナキは今でも地球を見ているのか。 全部、「分からない」としか言えない。

でも、一つだけ思ったことがあります。

僕らが「これが正しい歴史」「これが正しい世界観」だと思っているものは、誰かが選び取った結果の姿でしかない、ということです。 選ばれなかった側の本も、選ばれなかった側の物語も、そこには確かにあった。 ただ、光が当たらなかっただけ。

そう思うと、自分が今信じているものに対しても、少しだけ謙虚になれる気がするんです。 「これが絶対の正解」と思い込むことの怖さを、エノク書を知った夜にうっすらと感じました。

別に「何も信じるな」と言いたいわけではないんです。 ただ、「信じていることの外側にも、世界はあるのかもしれない」という感覚を、時々取り戻しておきたいだけです。

明日になったら、僕はまた普通の会社員に戻ります。 満員電車に揺られて、上司の機嫌を伺って、冷めた弁当を食べて帰ってくる日常に戻ります。 堕天使のことも、巨人のことも、たぶん半分くらい忘れていると思います。

でも、また別の夜、ふとした瞬間に思い出すんでしょう。 「そういえば、天使が人間の女性にひとめぼれした話があったな」と。 「そういえば、世界中の神話に同じ洪水の話があったな」と。

そういう夜があってもいい。 答えが出ない話を、答えが出ないまま抱えて生きていくのも、悪くないと思うんです。 むしろ、すべてに答えが出てしまった世界の方が、ちょっと退屈な気さえしてきます。

分からないまま、今夜も僕は、遠い昔の天使たちのことを考えています。

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