ある夜、「幸せ」が分からなくなった
仕事は特別つらいわけでもなく、
生活もそこそこ回っている。
誰かと比べて極端に恵まれていないわけでもないし、
かといって不幸だと叫ぶほどの出来事もない。
ただ、夜になると、
理由もなくモヤっとする日がある。
「このまま生きていって、自分はちゃんと”幸せ”になれるんだろうか」
その問いに明確な答えは出ないまま、
気がつけば「正しさって何なんだろう」「人はなぜ苦しいんだろう」みたいなことを
ぐるぐる考えるようになっていた。
このブログで書いていること
このブログでは、
そんな”答えの出ない夜”に考えたことを書いています。
たとえば、
正しさって、本当に正しいのか? ── 時代や国が変われば簡単にひっくり返る「正しさ」って、そもそも何なのか
宗教や思想は、なぜどこか胡散臭く見えるのか ── 「人間は特別な存在だ」と言い切る物語への違和感
欲望と苦しみの関係 ── 「幸せになりたい」と思えば思うほど苦しくなる、あの構造の正体
「目覚めた人」にならなくていい ── スピリチュアルや自己啓発の”覚醒ムーブ”に乗らない理由
それでも、どう生きるか ── 答えが出なくても、とりあえず明日をどうするかの話
ジャンルで言えば哲学寄りかもしれないけど、
難しい言葉を使いたいわけじゃないし、
何かを教えたいわけでもない。
ただ、自分が夜中に考えたことを、
なるべく嘘なく、なるべく飾らず、書いているだけです。
なぜブログを始めたか
きっかけは、すごく地味だった。
ある夜、SNSを眺めていたら、
誰もが「正しい側」を名乗って誰かを攻撃していた。
政治、宗教、生き方、働き方。
どの話題にも”正義の人”がいて、
その正義が誰かを傷つけていた。
画面をスクロールしながら、ふと思った。
「正しさって、こんなに簡単に人を殴る道具になるんだっけ?」
その違和感を誰かに話したかったけど、
こういう話って、日常会話ではなかなかできない。
「急にどうした?」って顔をされるのがオチだ。
だったら書こう、と思った。
同じような夜を過ごしている誰かが、
たまたまこのブログにたどり着いて、
「あ、同じこと考えてる人いるんだ」と思ってくれたら、
それだけで十分だと思った。
僕のスタンス
一つだけ、このブログで大事にしていることがある。
「分かったフリをしない」ということ。
深いことを考えていると、
たまに「自分は気づいている側だ」という感覚が近づいてくる。
「目覚めた」「真理を知った」「次元が違う」──
そういう言葉は甘くて、弱っているときほど吸い込まれそうになる。
でも、それに乗っかった瞬間、
人は簡単に他人を見下す側に回ってしまう。
だから僕は、分からないままでいることを選んでいる。
答えを持たないまま考え続けること。
自分の正しさを疑い続けること。
それは弱さじゃなくて、
たぶん一番マシな立ち位置だと思っている。
読んでくれているあなたへ
幸せになれない夜があってもいい。
答えが出ないままの人生でもいい。
正しさにも、意味にも、
どこか違和感を覚えてしまう自分を、
無理に否定しなくていい。
このブログは、
何かを教える場所でも、
救いを与える場所でもない。
ただ、
「分からないまま生きている人間が、ここにもう一人いますよ」
ということを伝える場所です。
もし同じような夜を過ごしているなら、
たまに覗きに来てください。
