「はしご」と停点理論──ネット掲示板に現れた世界線を渡る男の話
あの頃に時間を巻き戻したい。
たぶん、一度もそう思ったことがない人間はいないんじゃないでしょうか。
今の知識と記憶を持ったまま10代に戻れたら。ビットコインを全力で買って、誰よりも早くYouTubeを始めて、GAFAの株を握りしめて──みたいな妄想は、僕も暇なときにやります。だいたい途中で「でも10代の自分に戻ったら、まず期末テストがあるな……」と思って現実に引き戻されるんですけど。
でも、もしそれが本当にできるとしたら。
しかも「できた」と主張する人間が、2008年にネット掲示板に現れていたとしたら。
今回は、ネット都市伝説の中でも屈指の長編エピソードとして語り継がれている「はしご」の物語について、僕なりに掘り下げてみたいと思います。
雨の夜、コンビニで渡された謎のメモ
この話の始まりは2008年9月22日。東京都内に住む26歳の青年が、ネット掲示板にある体験を投稿したことがきっかけでした。
スレッド内で「はしご」と呼ばれることになるこの青年は、ある雨の夜、居酒屋で友人と飲んだ帰りにコンビニに立ち寄ります。
タバコと飲み物を買って外に出ると土砂降り。屋根の下で雨宿りをしていると、隣に俳優の岡田眞澄に似た初老のスーツの男性が立っていた。
世間話から始まって、はしごはなぜかこの初対面の男に自分の身の上話を1時間も語ってしまいます。
両親が中学生の時に亡くなったこと。叔父の家に引き取られたこと。大学を出たものの就職先のトラブルで会社を辞め、今はフリーターをしながら大学院を目指していること。
普通、初対面の人にそこまで話しませんよね。でも、はしごはその男性の「警戒心を解くような柔らかい雰囲気」に引き込まれて、つい話し込んでしまったと言っています。
この「なぜか話してしまった」という感覚、僕はちょっと分かる気がするんです。たまにいるんですよね、初対面なのに妙に安心感がある人って。あれは何なんでしょう。人間のどこかのセンサーが「この人は大丈夫だ」と判断しているのか、あるいは単に相手が聞き上手なだけなのか。
ただ、この場合は後の展開を考えると、その「安心感」自体が意図的に作られたものだった可能性もあるわけです。
予言めいた言葉とピアス
友人からの電話で会話が中断され、タクシーを待つ間にそのスーツの男が奇妙なことを言い始めます。
「君はどんなに勉強して試験に通っても、大学院には戻らないだろう」 「今アルバイトしている会社は2年後になくなる」 「2009年1月2日の13時43分、ある神社である女性と必ず会いなさい」
そしてタクシーのドアが閉まる瞬間、男ははしごにメモ用紙と小さなケースを握らせました。ケースの中にはピアス。メモには暗号のような文章と、その女性の特徴が細かく書かれていた。
ショートの茶髪、ファーのついたベージュのロングコート、茶色が勝った赤のヒールが高いロングブーツ。ピアスを渡して縁を結ばなければならない。13時43分に遅刻してはならない──。
ここまで具体的に書かれると、逆に怖いですよね。
しかもメモには、はしごが話していなかったはずの情報まで含まれていたんです。叔母さんのことや、妹がいること。はしごはスーツの男にそれらを一切話していなかった。
この時点ではしごが取った行動が、個人的にはすごく「らしいな」と思いました。
答えが出ないまま、誰に相談すればいいかも分からず、なんとなくネット掲示板に書き込んだ。
2008年という時代を考えると、この選択は自然です。SNSが今ほど普及していない時代、匿名の掲示板は「誰にも言えないこと」を吐き出せる数少ない場所だった。そしてこの「なんとなくの書き込み」が、ネット上で大きなムーブメントを生み出していくことになります。
迷子の少年と「ありえない写真」
メモの謎を調べ始めたはしごに、さらに奇妙な出来事が起こります。
バイト帰りの夜道で、小学校低学年くらいの迷子の男の子に遭遇。交番に送り届けたはしごは、翌日警察から連絡を受けます。保護者が見つかったという報告と、男の子がはしごに返したいものがあるとのこと。
交番に行くと、貸していたマフラーと一緒に、見覚えのないネームホルダーを渡されました。中には写真が入っている。
その写真に映っていたのは、成人したはしごと妹。そして──中学生の時に亡くなったはずの父と母。
4人家族が笑顔で並んでいる写真。背景も服も見覚えがない。でも合成にしては不自然さがなく、両親は亡くなった時よりも年を取っていた。
僕がはしごの立場だったら、たぶんしばらく動けなくなると思います。
亡くなった家族が生きている写真を見せられるって、どういう感情になるんでしょうか。嬉しいのか、怖いのか、悲しいのか。たぶん全部が同時に押し寄せてきて、処理しきれないんじゃないかと思う。
そしてはしごは、この写真を妹には見せないことを選びます。余計な心配をかけたくなかったから。
この判断が、はしごの人柄をよく表していると思いました。自分が混乱していても、まず妹のことを考える。この兄妹の関係性が、この物語の核になっていきます。
「ドコ」という女性と停点理論
数日後、はしごは街中で突然名前を呼ばれます。振り返ると、シルバーのジュラルミンケースを持ったスーツ姿の女性が立っていた。
「あなたは私に会うのは初めてだけれど、私はあなたのことをよく知っています」
掲示板では「ドコ」と呼ばれることになるこの女性は、はしごを喫茶店に連れ出し、この世界の仕組みについて語り始めます。
ここからが、この物語の核心です。
ドコが語った「停点理論」を、僕なりにかみ砕いて説明してみます。
僕たちが「時間の流れ」と呼んでいるもの──過去から現在、現在から未来へと進むあの感覚。ドコによれば、それは本当の意味では存在しない。
実際に存在しているのは、**数えきれないほどの「停点」**だけ。
停点とは、映画のフィルムの1コマ1コマのようなもの。パラパラ漫画の1ページ1ページ。それぞれは静止した「可能性」で、本来は動かない。でも、それらが特定の順番でつながることで、僕たちは「時間が流れている」と感じる。
たとえば、明治維新が成功した世界と、幕府が勝って江戸幕府が存続する世界。今日の昼にカレーを食べた世界と、ラーメンを食べた世界。そのすべてのパターンの、すべての瞬間が「停点」として同時に存在している。
そして、無数の意識がそれぞれの停点を選択して体験している。その意識の集合体が大きな流れを作り、それが僕たちが「歴史」と呼んでいるものだと。
これ、最初に読んだ時は「何を言っているんだ」と思いました。
でも、じっくり考えると面白いんです。量子力学の「多世界解釈」とも似ているし、仏教の「刹那滅」の考え方にも通じるところがある。この瞬間も、僕たちは無数の可能性の中から「これ」を体験しているに過ぎないという発想は、物理学でも哲学でも昔から議論されてきたテーマです。
ただ、ドコの説明で独特なのは、いわゆる「パラレルワールド」は存在しないと言い切っている点。
本流の歴史から外れた別のパターンからなる世界は、完全に切り離された「虚構の世界」であり、始まりと終わりがあるけれど永遠に完成することのない、不完全な世界だというんです。
証明してみせた瞬間
ドコは停点の理論を説明した後、実際にそれを「見せて」くれました。
ポケットからガラスの板と針のようなものを取り出し、針でガラスを突くと板が2枚に分かれる。その瞬間、はしごの耳にキーンという激しい耳鳴りが響き、視界が何重にも重なって見えた。
気がつくと、さっきまで混雑していたドトールの店内に、はしごとドコだけしかいなかったんです。
「あれも選ばれなかった1つの可能性です。このコーヒーショップに誰もいない可能性もあります」
この場面は、物語全体の中でも特にインパクトがあるシーンだと思います。理論を語るだけじゃなくて、目の前で体験させている。
もちろん、これが創作なら「巧い演出だな」という話です。でも仮にこれが実際に起きた出来事だとしたら、はしごの混乱は想像を絶するものだったでしょう。自分が当たり前だと思っていた「現実」が、実は無数の可能性のうちの一つでしかないと、体で理解させられたわけですから。
はしごの選択と、兄妹の絆
ここから物語は急展開していきます。
ドコによれば、2009年1月2日に神社でブーツの女性がある男性と出会うことが、巡り巡ってドイツの青年による停点理論の発見につながる。そしてその発見が世界を平和な方向に導く。
一方、スーツの男(岡田派)は、はしごをブーツの女性に会わせることで、その出会いを潰そうとしていた。停点理論の発見を阻止し、自分たちに都合のいい世界を作るために。
そしてはしごを引きつけるために使われたのが、あの「両親が生きている写真」だったわけです。
岡田派の言う通りにすれば、妹は両親と暮らせる世界が手に入るかもしれない。ただしそれは虚構の世界であり、はしごと兄妹だった記憶は消えてしまう。
ここではしごは本気で迷います。
世界の平和よりも、妹の幸せを選びたい。亡くなった両親の顔を妹に見せてやりたい。自分が作った下手な料理じゃなくて、母さんの美味しいご飯を食べさせたい。買ってあげられなかった子犬。参加できなかった遠足。全部、妹は我慢していた。
「僕は世界の平和とか知りません」
この台詞、僕はかなりグッときました。世界の命運がかかっている場面で、それでも目の前の大切な人を選ぼうとする。スケールの大きい話の中で、一番人間くさい瞬間です。
でも結局、はしごは妹にすべてを打ち明けます。最初は頭がおかしくなったと泣かれたけど、写真を見せて説明して、やっと信じてもらえた。
そして妹の答えは、はしごの想像とは違っていました。
「ねじ曲げられた未来なんかいらない。今まで過ごしてきた日々は幸せだった」
はしごが「妹のため」と思っていたことは、実は自分のエゴだった。妹にとっての幸せは、両親がいる世界ではなく、兄と一緒に生きてきたこの日々だった。
この兄妹のやり取りは、この物語で一番大事なパートだと僕は思っています。時間とか世界線とか停点とか、そういう壮大な概念を全部吹き飛ばして、最後に残るのは「目の前の人が何を望んでいるか」という、ものすごくシンプルな問いなんですよね。
失敗、そして世界の変容
結局、事態は最悪の方向に転がります。
はしごがピアスの調査を頼んでいた知り合いが、岡田派に取り込まれていた。知り合いは自分がブーツの女性に会おうとし、それを止めようとしたはしごが女性と知り合いの間に割り込んだ結果、女性は不審がってその場を去ってしまった。
ブーツの女性は、本来会うべき人と会えなかった。
停点理論の発見につながるはずだった出来事は、起こらなかった。
はしごは掲示板にこう書き込んでいます。「自分のせいで不幸な世界になってしまう」と。
この後、はしごの身にはさらに不可解な出来事が起こります。
目が覚めると、今まで「妹」だったはずの存在が、記憶の中では「姉」だった。掲示板の書き込みも含めて、世界中の記憶が書き換えられていて、はしごだけが「本来は姉だったはずだ」と覚えている。
世界線が変わるというのは、こういうことなのかもしれません。周りの全員にとっての現実が変わっていて、自分だけが「前の世界」の記憶を持っている。それは孤独なんてものじゃない。自分の正気を疑うレベルの恐怖だと思います。
2028年への跳躍と、神社の女
さらに物語は飛躍します。
はしごが掲示板に書き込んでエンターキーを押した瞬間、意識が途切れる。目が覚めると、そこは2028年の夏。46歳のはしごは妻と2人の子供がいる4人家族で、この世界には姉も妹もいなかった。
2028年の正月、メモに導かれて神社を訪れたはしごは、突然周囲から人が消える体験をします。そこに現れた「人間離れした美しい女性」は、はしごにこう問いかけました。
「今、幸せか」
そして意味深な言葉を残して消えます。
「魂で考えろ。そして選べ」
この場面は正直、物語の中でも最も解釈が難しいパートです。
ただ僕が気になったのは、「幸せか」という問いの重さです。2028年のはしごは、客観的に見れば幸せな生活を送っていたはず。妻がいて、子供がいて、家がある。でもその世界は「自分で選んだ」ものではなく、停点の組み合わせとして用意されたものかもしれない。
「幸せかどうかを自分で決められない」という状態は、考えれば考えるほど不気味です。
この物語をどう受け取るか
はしごの物語は2022年にも続きがあり、最終的に彼は2009年の世界に戻ったとされています。その間に「姉がいた世界」も経験したという。
掲示板には、約束の日に実際に神社に行ってはしごやブーツの女性を見たという書き込みもあり、神社も東京都杉並区の大宮八幡宮と特定されている。はしごもそれを認めています。
もちろん、これが壮大な創作である可能性は十分にあります。
でも僕は、この話が「作り話かどうか」よりも、この物語が投げかけているテーマの方に興味があるんです。
たとえば「停点」という概念。僕たちが経験している「今」は、無数の可能性の中からたまたま選ばれた一つに過ぎない。選ばれなかった可能性も、どこかに静かに存在し続けている。
この発想は、日常のちょっとした場面でも感じることがあります。あの時あっちの道を曲がっていたら。あの時あの人に声をかけていたら。そういう「もしも」の先にも、一つの世界が広がっているかもしれないという感覚。
そして、はしごと妹のやり取りが突きつけてくるテーマ。
「大切な人のために」と思ってやっていることが、実は自分のエゴだったという気づき。これは停点理論とか世界線とか関係なく、僕たちの日常にそのまま当てはまる話です。
相手の幸せを勝手に定義して、それを押し付けてしまうこと。僕にも覚えがあります。良かれと思ってやったことが、実は相手が全然望んでいなかったという経験。あれは結構キツいんですよね。自分の優しさだと思っていたものが、ただの自己満足だったと気づく瞬間は。
はしごの物語は、壮大なSF的設定の中に、こういう等身大の痛みを丁寧に織り込んでいる。だからこそ、十数年経った今でもネットで語り継がれているんだと思います。
この話が事実なのかフィクションなのか、正直僕には判断できません。でも「よくできた嘘は、真実よりも真実に近い」という言葉がある通り、この物語には確かに人の心を揺さぶる「本当のこと」が含まれていると、僕はそう感じています。



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