愚痴をやめて独り言を変えたら、日常が少しだけ違って見えた話
ある日、気づいたことがあります。
僕は1日のうち、ものすごい量の「ネガティブな独り言」を言っていた。
朝、目覚ましが鳴る。「あー、だるい」。満員電車に乗る。「最悪」。会議が長引く。「早く終われ」。帰り道、「疲れた」。布団に入って、「明日も仕事か……」。
数えてみたら、1日に口にする独り言のうち、ポジティブなものはほぼゼロでした。
別にそれが悪いことだとは思っていなかった。だって事実だから。だるいものはだるいし、疲れたものは疲れている。事実を言っているだけじゃないか、と。
でもある時、ふと思ったんです。事実を実況し続けることに、何の意味があるんだろうって。
「だるい」と言ったところで、だるさは消えない。「疲れた」と呟いたところで、疲労は回復しない。むしろ、口に出すたびに「自分は今しんどい」という認識が強化されて、余計にしんどくなっている気すらする。
これって、自分で自分に呪いをかけているようなものじゃないか、と。
愚痴は「不幸の注文書」だった
独り言よりもっとヤバかったのが、他人への愚痴でした。
嫌なことがあると、すぐに誰かに話したくなる。友達や同僚をつかまえて、「聞いてくれよ、こんなひどいことがあった」と、出来事を詳細に語る。
相手が「それは大変だったね」「わかるよ」と言ってくれると、どこか安心する。自分の辛さを誰かに認めてもらえた気がして、少しだけ気持ちが楽になる。
でも、冷静に振り返ると、愚痴を言った後に人生が良くなったことは一度もなかった。
むしろ、愚痴を言っている間、僕は何をしていたかというと、自分がいかに不幸であるかを、わざわざ言葉にして再確認していたんです。
「僕はこんなにひどい目に遭った」→ 脳が「そうだ、僕は被害者だ」と認識する → ますます被害者意識が強くなる → さらに愚痴を言いたくなる。
このループに気づいた時、ちょっとゾッとしました。
愚痴って、自分への暗示だったんだ、と。「僕は不幸です」「僕は大変です」と繰り返し宣言することで、脳がそれを事実として受け入れてしまう。そして、その「事実」にふさわしい現実ばかりが目につくようになる。
愚痴は共感を得るための手段だと思っていたけど、実はただの「不幸の注文書」だったのかもしれません。
朝の一言を変えてみた
じゃあ、言葉を変えたら何か変わるのか。
半信半疑で、小さな実験を始めてみました。
まず、朝起きた時の一言を変えること。
以前は「だるい」「眠い」「行きたくない」が定番でした。それを、無理やりでもいいから「今日もまあ、なんとかなるか」に変えてみた。
最初は茶番もいいところでした。心の中では全然なんとかなる気がしていない。だるいし眠いし行きたくない。でも、とりあえず口だけ「なんとかなるか」と言ってみる。
面白かったのは、3日目あたりから、ほんの少しだけ朝の気分が違ったことです。
劇的に明るくなったとかじゃないんです。ただ、「だるい」と言ってスタートする朝と、「まあなんとかなるか」と言ってスタートする朝で、最初の30分くらいの体の軽さがちょっとだけ違う。
たぶん、脳は思っている以上に単純で、耳から入ってくる言葉をそのまま信じようとするのかもしれません。「だるい」と聞けば「だるいモード」に入るし、「なんとかなる」と聞けば「なんとかなるモード」に切り替わる。
もちろん、本当にしんどい日は「だるい」が先に出てきます。でも、その直後に「まあ、でもなんとかなるか」と追加するだけでも、少し違う気がしています。
言葉が先で、気分が後。この順番に気づいたのは、僕にとってけっこう大きな発見でした。
ずっと「気分が良くなったらポジティブなことを言おう」と思っていた。でも、それだと永遠にポジティブな言葉は出てこない。だって、何もしなければ気分は勝手にネガティブに向かうから。
先に言葉を変える。すると、ほんの少しだけ気分がついてくる。完璧じゃなくていい。1ミリでも動けば、それでいい。
トラブルの時ほど口を閉じる
言葉の使い方で、もう一つ変えたことがあります。
仕事でトラブルが起きた時の反応です。
以前の僕は、何か問題が起きると真っ先に「やばい」「どうしよう」「終わった」と叫んでいました。そして周りの人に「どうしよう」と相談しまくって、不安を撒き散らしていた。
でも、ある時気づいたんです。「やばい」と叫べば叫ぶほど、本当にやばい気がしてくる。パニック状態になると、脳が固まって解決策が見えなくなる。
そこで試してみたのが、トラブルが起きた瞬間に、まず黙るということでした。
口を閉じて、深呼吸を一つする。そして心の中で「大丈夫。なんとかなる。まず状況を整理しよう」と言う。
これだけで、パニックの波が少しだけ小さくなるんです。
もちろん、トラブル自体は消えません。でも、「やばい!」と叫んだ状態で対処するのと、一拍置いて冷静になってから対処するのでは、判断の質がかなり違う。
脳って不思議なもので、「大丈夫」と言うと解決策を探し始めるし、「やばい」と言うと問題をさらに大きく見せようとする。同じ状況なのに、最初に発する言葉一つで、その後の展開が変わってくる。
体にも言葉は届いているらしい
言葉の影響は、メンタルだけじゃなくて体にも出るんだなと感じた経験があります。
以前、胃の調子が悪い時期がありました。で、僕がやっていたのは、朝起きるたびに「今日も胃が痛い」と確認すること。食事のたびに「これ食べたらまた痛くなるかな」と不安になること。
つまり、1日中「自分の胃は弱い」というメッセージを自分に送り続けていたんです。
ある日、ちょっとバカバカしいと思いつつ、逆のことを試してみました。胃が痛い時に、心の中で「まあ、大丈夫。治るよ」と言ってみる。食事の時に「美味しいな。ちゃんと消化してくれよ」と思ってみる。
もちろん、言葉だけで病気が治るなんて思っていません。本当に調子が悪ければ病院に行くべきです。
でも、「痛い痛い」と言い続ける日と、「まあ大丈夫」と思える日とでは、体の緊張感が違ったんです。「痛い」と思っている時は体がこわばって、余計に胃が締め付けられる感じがする。「大丈夫」と思えた時は、少しだけ力が抜けて、痛みも和らぐ気がした。
プラシーボかもしれません。でも、プラシーボだとしても、楽になるならそれでいいんじゃないかと思っています。
ネガティブは「癖」だった
言葉を変える実験をしていて気づいたのは、ネガティブな言葉って「性格」じゃなくて「癖」なんだということです。
僕はずっと「自分はネガティブな性格だから」と思っていました。生まれつきそういう人間だから、仕方ない、と。
でも、赤ちゃんの時から「だるい」「最悪」「もう無理」と言っていたわけがない。これは何十年かけて身についた言葉の癖であって、性格じゃない。
癖だとしたら、時間はかかるかもしれないけど、変えられる可能性がある。
実際、「だるい」を「まあなんとかなるか」に置き換える練習を続けていたら、1ヶ月くらいで「まあなんとかなるか」の方が先に出てくる日が増えてきました。まだ半々くらいですけどね。
長年かけて脳に作られた「ネガティブの高速道路」は、簡単には壊せない。でも、その横に「まあなんとかなる道」を少しずつ作っていくことはできる。最初は砂利道でも、毎日通れば少しずつ舗装されていく。そんな感覚です。
一人の時間は寂しいものじゃなかった
言葉を変える実験をしていく中で、一人の時間の過ごし方も変わりました。
以前の僕は、一人でいることが苦手でした。静かな部屋にいると、なんだか落ち着かない。すぐにスマホを開いてSNSをチェックしたり、誰かにLINEしたりして、「誰かと繋がっている感覚」を求めていた。
でも、冷静に考えると、その「繋がり」の中身って何だったんだろう。
タイムラインを眺めて他人の生活と自分を比べる。どうでもいいグループLINEの通知に反応する。誰かの愚痴に「わかるー」と返す。
これって「繋がり」というより、ノイズじゃないかと思ったんです。
試しに、寝る前の30分だけスマホを触らない時間を作ってみました。部屋の照明を少し落として、ただぼーっとする。もしくは、その日あった「まあ悪くなかったこと」を思い出してみる。
最初は落ち着かなかった。手が勝手にスマホに伸びそうになる。でも、1週間くらい続けたら、この静かな時間がけっこう心地よくなってきたんです。
一人の時間は、寂しい時間じゃなかった。自分と向き合える時間だった。
普段はノイズに埋もれて聞こえない自分の本音が、静寂の中だと少しだけ聞こえてくる。「本当は何がしたいんだろう」「何に疲れているんだろう」「何が嬉しかったんだろう」。
そういう問いに、一人の静けさの中でゆっくり向き合う。誰に話すわけでもない、自分の中だけの対話。これが意外と、心を整えてくれる気がしています。
寝る前の「注文」を変える
一番効果を感じているのが、寝る前の過ごし方を変えたことです。
以前の僕は、布団の中で「反省会」と「心配会」を同時開催していました。
今日のミスを反芻し、明日の不安を先取りし、来月の支払いを心配し、将来の漠然とした恐怖に震える。これをフルコースで味わってから眠りにつくのが日課でした。
でも、これって考えてみたら、寝る前に「明日も不安で嫌な1日にしてください」と注文しているようなものなんですよね。
意識がぼんやりしている寝際に、ネガティブな思考を流し込む。すると、そのまま潜在意識に染み込んで、翌朝の気分に直結する。
そこで、寝る前の「注文内容」を変えることにしました。
その日にあった嫌なことを思い出しそうになったら、「はい、キャンセル」と心の中で言って、意識を切り替える。そして、できるだけ「まあ、今日も無事に終わったな。ありがたいな」と思ってから目を閉じる。
大げさな感謝じゃなくていいんです。「布団が温かいな」でもいい。「今日の夕飯は美味しかったな」でもいい。小さなことでいいから、ポジティブなことを最後に思って眠る。
これを続けていたら、朝の目覚めが少しだけ変わりました。以前は目覚ましが鳴った瞬間に「うわ、朝か……」と絶望していたのが、「まあ、起きるか」くらいになった。微差ですが、僕にとっては大きな変化です。
出すものが入ってくる、のかもしれない
ここまでやってきて、僕なりに感じていることがあります。
それは、**「出すものが入ってくる」**というシンプルな法則です。
愚痴を出せば、愚痴りたくなることが入ってくる。不安を出せば、不安になることが入ってくる。逆に、「まあなんとかなる」を出せば、なんとかなる展開が入ってくる。
……と書くと、ちょっとオカルトっぽく聞こえるかもしれません。
でも、僕はこれをもう少し現実的に捉えています。
たぶん、起きている出来事自体はそんなに変わっていないんです。変わったのは、僕の「フィルター」の方。
ネガティブな言葉を使い続けていると、脳がネガティブなものを優先的に拾うようになる。逆に、ポジティブな言葉を意識すると、脳がポジティブなものに気づきやすくなる。
同じ1日を過ごしても、何に注目するかで見える景色は全然違う。言葉を変えるということは、この「注目のフィルター」を取り替えることなのかもしれません。
まだ実験中です
ここまで書いてきましたが、僕はまだこの「言葉を変える実験」の途中にいます。
相変わらず愚痴は出るし、朝の一言が「だるい」になる日もある。トラブルが起きた時に「やばい」と叫んでしまうことだってある。
でも、以前との違いが一つだけあるとすれば、「あ、今ネガティブな注文をしてしまったな」と気づけるようになったことです。
気づいたら、その直後に「まあ、でもなんとかなるか」と上書きする。最初は嘘でもいい。形だけでもいい。言葉を変えれば、ほんの少しだけ心の向きが変わる。
たぶん、これは一生かけてやっていく実験なんだと思います。正解にたどり着くためじゃなくて、毎日の小さな言葉を、ほんの少しだけ良い方向に調整し続けるための実験。
今夜も寝る前に、小さな「ありがたいな」を一つだけ見つけてから眠ろうと思います。
……その前にスマホでSNSを1時間見てしまう可能性が高いですが、まあ、それも含めて実験中ということで。完璧を目指したら続かないですからね。



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