舐められた時、僕が「言い返さない」を選んだら人生が変わった話
職場で、露骨に舐められたことがあります。
会議中に僕が意見を言ったら、先輩が鼻で笑って「まあ、君にはまだ早いかな」と言ったんです。しかも周りに人がいる場で。
その瞬間、頭が真っ白になりました。
悔しさと恥ずかしさが同時に込み上げてきて、でも何も言い返せなかった。口を開きかけたけど、言葉が出てこない。結局、黙ってうつむくしかできませんでした。
その夜、布団の中で何度もあの場面を再生しました。「ああ言えばよかった」「こう返せばよかった」と、脳内リハーサルを延々と繰り返す。でも、もう遅い。時間は巻き戻せない。
……こういう夜、ありませんか。
理不尽に軽く扱われて、何も言い返せなくて、悔しくて眠れない夜。あの瞬間のことを何日も引きずって、「次こそは言い返してやる」と拳を握りしめる夜。
僕はその後、この「舐められる問題」についてかなり長い間考えました。そして、あるところに行き着いたんです。
それは、「言い返す」よりもっと強い方法があるんじゃないか、ということでした。
舐めてくる人の正体
まず、僕が気づいたのは「舐めてくる人間の正体」についてでした。
以前の僕は、舐めてくる人のことを「強い人」だと思っていました。自分より上の立場にいて、自信があって、だからこそ他人を見下せるんだ、と。
でも、よく観察してみると、ちょっと違ったんです。
あの先輩、実は社内での評価がそこまで高くなかった。僕にだけじゃなく、他の後輩にもちょくちょく嫌味を言っていた。上司の前ではやたら低姿勢で、飲み会では愚痴ばかり。
ある時ふと思ったんですよね。この人、余裕がないんだって。
本当に自信がある人って、わざわざ他人を貶す必要がないんです。自分の実力で自分を支えられるから、他人を踏み台にする必要がない。
逆に、他人を舐めないと自分の立ち位置を確認できない人は、実は自分に自信がない。他人を下げることで、相対的に自分を上げようとしている。
これって、背が低いことを気にしている人が、周りの人に「座って座って」と言っているようなものだと思いました。本人は立っているつもりだけど、周りから見たら「ああ、気にしてるんだな」とバレている。
そう考えたら、あの先輩のことが少し違って見えてきました。恐ろしい敵だと思っていたのが、なんだか、困っている人に見えてきたんです。
泥のボールを受け取らない
もう一つ、大きな気づきがありました。
ある日、後輩から相談を受けたんです。「先輩に嫌なこと言われて、ずっとモヤモヤしてます」と。
僕は偉そうに「気にしなくていいよ」と言ったんですが、言いながら「お前が一番気にしてるやんけ」と自分にツッコんでいました。
その時に考えたんです。嫌なことを言われた時、僕たちは何をしているんだろう、と。
たとえば、誰かが泥のついたボールを投げてきたとします。
多くの人は、それを正面から受け取ってしまう。受け取ったら手が泥だらけになるのに、反射的にキャッチしてしまう。そして泥だらけの手で相手にボールを投げ返す。お互いがどんどん汚れていく。
でも、冷静に考えたら、別に受け取らなくてもいいんですよね。
ひらりと避けてもいい。目の前でポトリと落ちるのを眺めていてもいい。受け取らなければ、自分は汚れない。
これ、プレゼントの話に似ているなと思いました。どんな豪華なプレゼントでも、「いりません」と断れば、それは贈り主のものです。悪意も同じで、受け取りを拒否すれば、それは投げた本人の元に返っていく。
頭ではわかっていました。でも、実際に嫌なことを言われた瞬間に「受け取らない」を選べるかというと、これがめちゃくちゃ難しかった。
反射的にカチンときて、反射的に受け取ってしまう。そして家に帰ってから「受け取っちゃったよ……」と後悔する。この繰り返しでした。
「ありがとう」という予想外の武器
そんな中で、僕がたどり着いた対処法は、ちょっと意外なものでした。
嫌なことを言われた時に、心の中で**「ありがとう」**と言ってみる。
……いや、正気かと思いますよね。僕も最初は思いました。舐められてるのに感謝?ドMの発想じゃないか、と。
でも、試しにやってみたんです。
会議で嫌味を言われた時、心の中で「ありがとう、おかげで僕のメンタルがまた少し鍛えられたわ」と呟いてみた。
最初は完全に嘘でした。心の中では全然感謝なんてしていない。むしろ腹が立っている。でも、口の中で小さく「ありがとう」と唱えた瞬間、不思議なことが起きたんです。
怒りのピークが、ほんの少しだけ下がった。
怒りが消えたわけじゃないです。ムカついてはいる。でも、「ありがとう」と言った瞬間に、脳が一瞬「え?」と混乱するんですよね。怒りモード全開のところに、真逆の言葉が入ってくるから、感情の歯車がほんの一瞬だけ空回りする。
その一瞬の隙に、少しだけ冷静になれる。「あ、今自分はカチンときてるな」と気づける。気づけると、「受け取るか受け取らないか」を選ぶ余裕がほんの少しだけ生まれる。
これは、ものすごく小さな変化でした。でも、この小さな変化が、僕にとっては大きかった。
怒りで返すと自分が燃える
なぜ「ありがとう」なのか。なぜ「言い返す」じゃダメなのか。
以前、実際に言い返したことがあるんです。ある人に理不尽なことを言われて、その場でキレて、かなり強い言葉で反論しました。
結果、相手は黙りました。一見、僕の「勝ち」です。
でも、その後がひどかった。
帰り道、心臓がバクバクして、手が震えていた。家に帰ってからも興奮が収まらなくて、何度もあの場面を思い出しては「もっとこう言えばよかった」とか「言いすぎたかな」とか、延々と反芻していた。
勝ったはずなのに、全然すっきりしなかったんです。
むしろ、怒りのエネルギーを出した分だけ、自分が消耗していた。火を消そうとしてガソリンをかけたようなもので、火は大きくなるし、自分も火傷する。
あの時に思ったんですよね。怒りで返すと、一番ダメージを受けるのは自分だって。
相手に嫌味を言われて腹が立つ。それ自体は自然な感情です。でも、その怒りをそのまま相手にぶつけると、自分の中の怒りがさらに増幅される。怒鳴った後にすっきりするどころか、もっと興奮してしまう。
心の中で「ありがとう」と唱えるのは、この怒りの連鎖を断ち切るためのブレーキなのかもしれません。怒りのエネルギーを、ほんの少しだけ別の方向に逸らす。それだけで、自分が燃え尽きるのを防げる。
過去をほじくり返してくる人への処方箋
舐めてくる人にも色々なタイプがいますが、個人的に一番厄介だと思うのは「過去を持ち出してくる人」です。
「前にもこういうミスしたよね」「昔の君はもっとひどかったけどね」みたいなやつ。
まるで、こちらを過去という牢屋に閉じ込めておきたいかのような言い方をする人がいます。
これ、最初はけっこう効くんですよ。言われた瞬間、「確かにあの時はそうだったな……」と一気に自信が萎む。過去の失敗を突きつけられると、今の自分まで否定されたような気持ちになる。
でも、ある時こう思ったんです。
昨日の僕と今日の僕は、厳密に言えば別人じゃないか、と。
大げさに聞こえるかもしれないけど、体の細胞だって日々入れ替わっている。去年の失敗から学んだことは山ほどあるし、その経験があるから今の自分がいる。過去の失敗は、いわば成長するために払った授業料みたいなものです。
その授業料を「お前、昔はこんなに払ったよな」とネチネチ言ってくる人って、よく考えたらおかしい。授業料のおかげで今のスキルがあるんだから、むしろ「元は取れてますけど?」と思っていい。
こういう人がなぜ過去にこだわるのか、僕なりに考えてみました。たぶん、その人自身が変化を恐れているんだと思います。こちらが成長して変わっていくのが怖いから、「お前は昔のまま」でいてほしい。そうじゃないと、自分だけ取り残される気がするから。
そう考えると、ここでも「ありがとう」が使えるんですよね。「過去の失敗を思い出させてくれてありがとう。おかげで自分がどれだけ成長したか再確認できた」と。
……まあ、実際に言えたことは一度もないんですが。心の中で思うだけでも、ダメージはだいぶ減ります。
筋トレだと思えば腹も立たない……こともない
最近は、嫌なことを言われた時に「これは心の筋トレだ」と思うようにしています。
ジムで重いバーベルを持ち上げる時、「重い!嫌だ!」とは思っても、バーベルに怒る人はいないですよね。重いからこそ筋肉がつく。嫌な負荷がなければ成長もない。
人間関係も同じだとしたら、面倒な人は僕のメンタルを鍛えてくれるパーソナルトレーナーみたいなものなのかもしれません。こっちは頼んでないんですけどね。勝手にトレーニングメニューを組んでくる迷惑なトレーナーです。
でも、そう思えると、ほんの少しだけ気が楽になるんです。
「あ、今日もトレーニングの時間か」と思えれば、嫌味を言われても「はいはい、今日のメニューはそれね」くらいの距離感で受け止められる。……受け止められる日もある、くらいが正直なところですが。
黙ることは負けじゃなかった
もう一つ、大事なことに気づきました。
以前の僕は、「言い返せない=負け」だと思っていました。黙ってしまう自分が弱くて情けなくて仕方がなかった。
でも今は、少し違う見方をしています。
言い返さないのと、言い返せないのは、似ているようで全く違う。
言い返せないのは、恐怖で口が動かない状態。言い返さないのは、自分で選んだ沈黙。
相手の土俵に上がらないと決めること。泥のボールを受け取らないと選ぶこと。それは弱さじゃなくて、むしろ強さなんじゃないかと思うようになりました。
ただし、これは「何をされても黙って耐えろ」という意味じゃないです。本当に理不尽なことに対しては、きちんと声を上げるべき場面もある。パワハラやいじめは、個人の心の持ちようで解決する問題じゃない。
僕が言いたいのは、「日常レベルの小さな嫌味や見下し」に対して、いちいち全力で反応しなくてもいいんじゃないか、ということです。相手の一言に自分の感情を支配されるのは、相手に自分のリモコンを渡しているようなものだと思うので。
実際、僕が反応しなくなったら、あの先輩の嫌味は少しずつ減っていきました。
考えてみれば当然かもしれません。嫌味って、相手がダメージを受けてこそ面白いんですよね。こっちが動じなければ、嫌味を言う側も張り合いがなくなる。壁に向かってボールを投げても、壁が何も反応しなければ、そのうち飽きて別のことを始める。
もちろん、僕が完全に動じなかったかというと、そんなことはないです。表面上は平静を装いつつ、家に帰ったら枕に顔をうずめていたこともあります。でも、「反応しない」を続けていたら、相手の態度が変わったのは事実でした。
まだ全然できていない
ここまで書いておいてなんですが、僕はまだ全然この「受け取らない技術」を使いこなせていません。
相変わらず嫌味を言われたらカチンときるし、帰り道に悔しくなるし、布団の中で脳内リハーサルをやることもあります。「ありがとう」と唱えようとしたのに、心の中では「このやろう」が先に出てくることの方が圧倒的に多いです。
でも、以前との違いが一つだけあるとすれば、「あ、今受け取っちゃったな」と気づけるようになったことです。
気づいたからといって、すぐに手放せるわけじゃない。でも、気づけるだけで、泥のボールを握りしめている時間が少しだけ短くなった気がします。
たぶん、これは一朝一夕でできることじゃなくて、毎日の小さな練習の積み重ねなんだと思います。嫌なことがあるたびに、「受け取らない」を少しずつ練習していく。最初は形だけでもいい。心が追いつかなくてもいい。
いつか、本当に心の底から「ありがとう、おかげで鍛えられた」と思える日が来るのかどうかは、正直わかりません。
でも、少なくとも「言い返してやる」と拳を握りしめていた頃より、今の方が夜はよく眠れています。
……まあ、たまに脳内リハーサルで夜更かしする日はありますけどね。人間、そう簡単には変われないものです。



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