人生うまくいかない時に試した「逆をやる」という選択

人生 生き方・考え方

努力しても報われない夜に気づいた「全部、逆だった」という話

あるとき、ふと気づいたことがあります。

僕がずっとやってきたことは、全部逆だったんじゃないか、と。

きっかけは些細なことでした。仕事で評価されたくて、毎日遅くまで残業していた時期があったんです。誰よりも頑張っている自負があった。でも評価されたのは、定時で帰って涼しい顔をしている同僚の方だった。

「なんで?」と思いました。僕の方が頑張っているのに。僕の方が時間を使っているのに。

でも、冷静に振り返ると、僕が必死に残業していた時の自分って、たぶんものすごく余裕のない顔をしていたと思うんです。眉間にシワを寄せて、肩をガチガチにして、「評価してくれ」というオーラを全身から出していた。

一方で同僚は、力が抜けていた。楽しそうだった。周りにも余裕を分けられる雰囲気があった。

その時に思ったんですよね。もしかして、「欲しい」と追いかけるほど、逃げていくものがあるんじゃないかって。

鏡の前で気づいた、間抜けな話

この「逆なんじゃないか」という感覚が決定的になったのは、ある朝のことでした。

寝起きで洗面台に立って、鏡を見た。そこには、まあひどい顔がありました。疲れて、不機嫌で、眉間にシワが寄っていて、口角が完全に下がっている。

で、ぼーっとした頭で、なんとなくこう思ったんです。

「この鏡の中の顔に『笑え』って命令しても、絶対笑わないよな」と。

当たり前のことです。鏡は僕の顔を映しているだけだから、僕が先に笑わない限り、鏡の中の僕は一生不機嫌なままです。

でも、これって日常でもやっていないかと思ったんです。

「いいことが起きたら笑おう」「状況が良くなったら前向きになろう」「評価されたら自信を持とう」

全部、外側が先に変わるのを待っている。鏡の中の顔に向かって「お前が先に笑え」と言っているのと同じことを、僕はずっとやっていた気がします。

なんだか、ものすごく間抜けな構図に見えてきて、洗面台の前で一人で笑ってしまいました。そしたら鏡の中の僕も笑っていて、「ああ、こういうことか」と妙に腑に落ちたんですよね。

「足りない」を数える天才だった僕

振り返ってみると、僕はずっと「足りないもの」を数えるのが得意でした。

給料が足りない。時間が足りない。スキルが足りない。人脈が足りない。自信が足りない。

これだけ並べると、まるで何も持っていない人間みたいですが、実際はそうでもない。屋根のある部屋で寝ていて、毎日ご飯が食べられて、健康で、仕事もある。客観的に見れば、十分恵まれている方だと思います。

でも、「足りない」を探すモードに入ると、あるものが見えなくなるんですよね。

これ、冷蔵庫の中身に似ているなと思ったことがあります。「何もない」と言いながら冷蔵庫を開けると、卵はあるし、豆腐はあるし、ネギもある。でも「今日は唐揚げが食べたい」という気持ちが先にあると、鶏肉がないという事実だけが目に入って、「何もない」という結論になる。

足りないものに意識を向けていると、あるものが透明になる。

ある日、試しに逆をやってみたんです。寝る前に、その日あった「ありがたいこと」を3つだけ思い浮かべる。大げさなことじゃなくていい。昼に食べたラーメンが美味しかったとか、電車で座れたとか、同僚がコーヒーをおごってくれたとか。

正直、最初はピンときませんでした。「だから何?」という感じ。

でも、1週間くらい続けたあたりから、日中にも「あ、これは今日の3つに入れよう」と思う瞬間が出てきたんです。つまり、良いことを探すアンテナが勝手に立ち始めた。

日常は何も変わっていないのに、見え方だけが変わった。これは不思議な体験でした。

体調不良と戦って負けた話

もう一つ、「逆だった」と思った体験があります。

去年、原因不明の体調不良が続いた時期がありました。だるくて、頭が重くて、なんとなく調子が悪い。病院に行っても「特に異常なし」と言われる。

で、僕がやったのは、毎朝起きるたびに自分の体調を細かくチェックすることでした。

今日は頭痛はあるか。胃のあたりは重くないか。肩こりはどうか。

まるで自分の体の悪いところを探すパトロールです。そして見つけたら「やっぱり今日もダメだ」と落ち込む。完全に趣味が「体調の悪い部分を発見すること」になっていました。

でもある時、忙しすぎて体調のことを考える暇がない日があったんです。朝から晩までバタバタして、気づいたら夜になっていた。

その日、僕はけっこう元気だったんですよね。

「あれ?」と思いました。体調が良くなったのか、それとも体調のことを考えなかっただけなのか。正直、よくわかりません。でも、少なくとも「今日はダメだ」と思い込んでいなかった分、体がいつもより軽く感じたのは確かでした。

もちろん、本当に体調が悪い時は病院に行くべきだし、無理に元気なフリをする必要はないと思います。でも、僕の場合は「悪いところ探し」をやめただけで、ずいぶん楽になった。心配しすぎることが、余計に体を重くしていたのかもしれません。

それ以来、朝の「体調パトロール」をやめました。起きた瞬間に体の不調を探すのではなく、とりあえず顔を洗って、コーヒーを入れる。体の声を聞くのは大事だけど、聞きすぎると今度はノイズまで拾ってしまう。ラジオの音量を上げすぎると雑音だらけになるのと同じで、自分の体に注意を向けすぎると、普段なら気にならない小さな違和感まで「不調」に変換してしまうんだなと思います。

相手を変えようとしてドツボにハマった話

人間関係でも「逆だった」と思うことがありました。

以前、どうしても馬が合わない先輩がいたんです。仕事の指示が曖昧で、でも結果にはうるさくて、こっちがミスすると嫌味を言ってくる。

僕は最初、「この人を変えたい」と思っていました。もっと分かりやすく指示してくれれば。もっと優しく言ってくれれば。もっとちゃんとしてくれれば。

で、やったのは、不機嫌な態度を見せたり、メールの返信を遅らせたり、飲み会で他の人に愚痴を言ったりすることでした。要するに「あなたのやり方は間違っている」という無言の圧力をかけていたんです。

結果どうなったか。関係はさらに悪化しました。そりゃそうですよね。北風を吹かせているんだから、コートを脱ぐわけがない。

あるとき、もう疲れ果てて、「この人を変えるのは無理だ」と諦めたんです。諦めたというか、もうどうでもよくなった。で、せめて自分の気持ちだけでも楽にしたくて、その先輩の良いところを無理やり探してみることにしました。

探すのは大変でした。顕微鏡レベルで探す必要がありました。

でも、見つかったんです。この人、資料の誤字脱字を見つけるのだけは天才的にうまい。あと、後輩の体調不良には意外と敏感で、「顔色悪いけど大丈夫?」と聞いてくれることがある。

そこを意識し始めたら、ほんの少しだけ、接し方が変わりました。僕の方が力が抜けたのかもしれません。

不思議なことに、先輩の態度も少しずつ変わっていったんです。劇的にではないけれど、嫌味の頻度が減り、たまに雑談をしてくれるようになった。

相手を変えようとしていた時は何も変わらなかったのに、自分の見方を変えたら相手も変わった。これも「逆」だったんだなと思います。

口から先に変える実験

最近やっている実験があります。

心がしんどい時に、あえて口では反対のことを言ってみる、という実験です。

仕事で失敗して落ち込んでいる時に、「まあ、いい経験になったな」と言ってみる。

疲れて帰ってきた時に、「今日もよくやったな」と言ってみる。

将来が不安になった夜に、「なんとかなるだろ」と呟いてみる。

最初は完全に嘘です。心の中では全然そう思っていない。自分で自分を騙している感覚がすごくて、ちょっと恥ずかしい。一人暮らしの部屋で独り言を言っている姿を誰かに見られたら、確実に心配されます。

でも、面白いことに、口に出した言葉って、少しだけ心に影響を与えるみたいなんです。

「なんとかなる」と声に出すと、本当になんとかなる気がしてくる。気がしてくるだけかもしれないけど、その「気がする」だけで、体の力の入り方が変わる。

逆に、「もうダメだ」と口にすると、本当にダメな気がしてくる。言葉って、思った以上に自分自身に跳ね返ってくるものなんだなと実感しています。

特に寝る前が大事だなと感じています。以前の僕は、布団の中でその日の反省会をやるのが習慣でした。あの時ああ言えばよかった、あの判断は間違いだった、と。

でもこれって、ゴミ袋を枕にして寝ているようなものだったんじゃないかと思います。翌朝の目覚めが悪いのは当然です。

今は、寝る前にできるだけ「まあ、今日も生きてたし、いいか」と思うようにしています。大げさなポジティブじゃなくていい。ただ、嫌な気分のまま眠らないようにする。それだけで朝がちょっと違う気がするんです。

「もらう」より「出す」が先だった

もう一つ、「逆だった」と感じていることがあります。

お金でも、好意でも、感謝でも、僕はずっと「もらう側」でいようとしていました。誰かが先に親切にしてくれたら、お返しをする。給料が上がったら、ちょっといいものを買う。余裕ができたら、人に優しくする。

全部、「まず受け取ってから」が前提になっていたんです。

でもある時、ふと思ったことがあります。呼吸って、「吸う」より「吐く」方が先じゃないか、と。

深呼吸する時、まず息を吐きますよね。吐き切ってから、新しい空気が入ってくる。吸って吸って吸い続けることはできない。出すから入るのであって、入れるから出すんじゃない。

「出入り口」とは言うけど、「入出口」とは言わないな、と。どうでもいい言葉遊びかもしれないけど、妙に引っかかりました。

試しに、小さなことから「先に出す」をやってみることにしました。

コンビニで店員さんに「ありがとうございます」と少しだけ丁寧に言ってみる。同僚が忙しそうにしていたら、頼まれる前に手伝ってみる。後輩にコーヒーをおごってみる。

たかだか百数十円のコーヒーですが、おごった後の自分の気分が妙に良かったんです。「ああ、僕はコーヒーをおごれる程度には余裕があるんだな」と思えた。金額の問題じゃなくて、「出せる側にいる」という感覚が、心を少しだけ豊かにしてくれた気がします。

これは発見でした。もらうことで満たされるんじゃなくて、出すことで「自分には出せるだけのものがある」と実感できる。順番が逆だったんです。

もちろん、無理して大盤振る舞いする必要はないと思います。自分が苦しくなるレベルで人に与えても、それは自己犠牲であって循環じゃない。あくまで「出せる範囲で、先に出してみる」くらいの軽さでいいんだと思います。

逆をやるのは、けっこう怖い

ここまで書いてきて思うのは、「逆をやる」って、言葉にすると簡単だけど、実際にやるのはけっこう怖いということです。

「足りない」を数える方が安心する。なぜなら、足りないことを自覚していれば、それに備えられる気がするから。

他人を変えようとする方が楽。なぜなら、自分は変わらなくて済むから。

心がしんどい時にしんどい顔をする方が自然。なぜなら、無理に笑うのは嘘をついている気がするから。

逆をやるというのは、これまでの自分のやり方を手放すということでもある。慣れ親しんだ不幸の方が、未知の幸福より安心するという、人間のおかしな性質がそこにはあるんだと思います。

僕も、全然できていません。相変わらず「足りない」を数える夜もあるし、他人を変えたくなることもある。寝る前に反省会を開催してしまう日もあります。

でも、「あ、また順番が逆になってるな」と気づけるようになっただけで、少しは前進しているのかもしれません。

気づいたからといって、すぐに直せるわけじゃない。でも、気づけるだけで、ほんの少しだけハンドルを切る余地が生まれる。

たぶん、これは一生かけてやっていく練習なんだと思います。正解にたどり着くためじゃなくて、少しずつ力を抜いていくための練習。

鏡の中の自分が笑ってほしいなら、まず自分が笑う。

それだけのことなのに、なかなか難しい。でも、だからこそ面白いのかもしれないなと、最近は思っています。

……まあ、朝起きて鏡を見た瞬間の寝ぐせを見ると、笑う前に絶望するんですけどね。そこは先に髪を直した方がいいのかもしれません。順番って、やっぱり大事です。

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