自分をごまかさない生き方|「知っている」と「できている」は全然違った話
日曜の夜、ベッドに転がりながらスマホで自己啓発系の動画を見ていた。
「毎朝5時に起きろ」「習慣が人生を変える」「行動しないやつは一生変わらない」
画面の中の人はすごく自信に満ちた顔で語っていて、コメント欄には「今日から変わります!」「刺さりました!」という声が並んでいた。
僕もちょっとだけ「よし、明日から頑張ろう」と思った。
で、翌朝どうなったかというと、普通にアラームを止めて二度寝した。
いつもの月曜日だった。
昨夜の「よし、変わるぞ」は完全に蒸発していて、起きた時にはもう跡形もない。
これ、お酒の翌日の「もう二度と飲まない」と同じ構造だと思うんですよ。あの決意の賞味期限、だいたい12時間くらいじゃないですか。
「分かっている」のに「できない」。
これ、僕の人生のテーマソングみたいなものだと思う。もう何回このパターンを繰り返しているか数えたくもない。
運動したほうがいいのは分かっている。早寝したほうがいいのは分かっている。だらだらスマホを見る時間を減らしたほうがいいのも分かっている。
全部分かっている。
全部できていない。
で、ある夜、またベッドの中でぼんやり天井を見つめながら、ふと思ったんです。
「知っている」と「できている」って、もしかして全然別のことなんじゃないか。
当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれない。でも、僕にとってはけっこう大きな気づきだった。
今日はその夜から考え続けていることを、なるべく正直に書いてみようと思います。
知識が増えるほど「分かった気」になる罠
僕は読書が好きで、とくに生き方とか考え方に関する本をけっこう読んできました。
哲学とか心理学とか、ちょっと難しめの本を読むと、なんだか自分が賢くなった気がする。
「なるほど、人間ってこういう仕組みで苦しむのか」
「この考え方いいな。取り入れよう」
本を閉じた瞬間はすごくクリアな気分になる。世界の見え方が変わったような錯覚がある。
でも、翌日の僕は何も変わっていない。
相変わらず満員電車でイライラするし、上司の一言にカチンとくるし、夜になればスマホをだらだら見て夜更かしする。
本の中の「理想の自分」と、現実の自分のギャップがどんどん広がっていく。
それがまた苦しくなって、じゃあもっと学ぼうと思ってまた本を買う。読む。「なるほど」と思う。でも翌日は何も変わらない。
このループ、けっこう長いこと回っていました。
しかも厄介なのは、知識が増えるほど「自分は分かっている側だ」という気持ちが育ってしまうこと。
飲み会で誰かが悩みを話していると、頭の中で「ああ、それはつまりこういうことだよ」と分析している自分がいた。
口に出さなかったけど、心の中では完全に「教える側」に立っていた。
でもさ、待ってくれよと。
お前、今朝も二度寝して、昨日やると決めたことを全部サボったじゃないか。
人の悩みを分析できるくせに、自分の怠けは分析すらしていない。
これに気づいた時、かなり恥ずかしかった。
知識って、下手に増えると、自分の弱さを隠す言い訳の道具になるんだなと思いました。
「分かっている」という感覚が、「できていない」という事実から目を逸らさせてくれる。
なんなら、「分かっている自分」にちょっと酔ってすらいた。
これ、すごく怖いことだと思うんです。
知識がなければ、自分が無知だと自覚できる。「分からないから教えて」と素直に言える。
でも、中途半端に知識があると、「分かっている」という鎧を着てしまう。その鎧が、本当に向き合うべき自分の弱さを隠してくれる。
自分は分かっている。理解している。知っている。
その感覚は、一種の麻薬みたいなものだったのかもしれない。
本を一冊読むたびに、現実の自分は何も変わっていないのに、「成長した気分」だけが積み上がっていく。
気づいた時には、「知っている自分」と「実際の自分」の間にものすごい溝ができていた。
その溝を見たくないから、さらに本を読む。知識を増やす。でも溝は埋まらない。
この悪循環を断ち切るには、「自分はできていない」と正面から認めるしかなかったんです。
……いやほんと、今書いていても恥ずかしいんですけど、正直に書くと決めたので書きます。
「できていないこと」を数える練習
それからちょっとだけ、意識を変えてみた。
「自分ができていること」じゃなくて、「できていないこと」を見るようにした。
これがまた、かなりキツい。
今日やると決めたのにやらなかったこと。見て見ぬふりをしたこと。面倒で後回しにしたこと。ちょっとだけ嘘をついたこと。
リストにすると、毎日けっこうな量になる。
最初はヘコみました。「俺って、こんなにダメなのか」と。
でも、しばらく続けていると、不思議な感覚が出てきた。
自分のダメなところを正面から見ている時のほうが、なんか落ち着くんです。
「できていない」と認めたうえで、「じゃあ明日はこれだけやろう」と思えると、頭の中のノイズが減る。
逆に、「自分はまあまあできているほうだ」と思い込もうとしている時のほうが、心の奥はざわざわしていた。
たぶん、ごまかしている自覚があるからだと思う。
自分に嘘をついている時って、他人にバレなくても、自分の中では分かっている。
その小さな嘘の積み重ねが、じわじわと心を重くしていく。
僕は別に修行僧でもなんでもないし、毎日反省日記をつけているわけでもない。
ただ、夜ベッドに入った時に、「今日の自分、逃げてなかったかな」とちょっとだけ振り返るようにしただけ。
それだけで、少しだけ翌朝の自分がマシになった気がする。
気がするだけかもしれないけど。
一つ発見だったのは、感情って天気みたいなものだということ。
朝は元気でも、昼過ぎにはなんとなく落ち込んでいたりする。理由なんてないことも多い。
以前の僕は、落ち込んだら「なぜ落ち込んでいるのか」を必死に考えていた。原因を見つけて解決しないと気が済まなかった。
でも、原因なんてないことのほうが多い。
天気が曇っているのに「なぜ曇っているのか」と怒っても意味がないのと同じで、心が曇っている時は「ああ、今日は曇りだな」と認めるだけでいいのかもしれない。
晴れの日もある。雨の日もある。心が乱れた時にすぐ結論を出そうとすると、だいたいロクなことにならない。
静まるまで待つ。判断を急がない。
これだけで、後悔する回数がちょっと減った気がします。
怠け心は「敵」じゃなかった
ここで一つ、ずっと勘違いしていたことがあります。
僕はずっと、怠ける自分がダメだと思っていた。
「怠けたい」と思うこと自体が悪いことで、それを根性で押さえつけるのが正しいことだと。
でも、これがうまくいった試しがない。
「今日は絶対にサボらない!」と気合を入れた日ほど、夕方にはぐったりしている。
無理やりやる気を出そうとすると、その反動がすごい。三日間頑張って、四日目に完全に燃え尽きて、一週間何もしない。
このパターン、もう人生で何百回と繰り返してきた。
で、あるとき気づいたんです。
怠け心って、消せないんだ。
抑え込もうとしても、形を変えて戻ってくる。「今日は疲れてるから」「もう少し準備してから」「来週からちゃんとやろう」。
言い訳のバリエーションが無限にある。しかも、どれもそれなりにもっともらしい。
だから、僕は考え方を変えた。
怠け心を「倒すべき敵」として扱うのをやめて、「そういう性質の自分」として観察することにした。
「あ、今サボりたくなってるな」
「この言い訳、前も使ったやつだな」
「不安な時ほど怠けたくなるな」
こうやって眺めているだけで、不思議と怠け心に飲み込まれにくくなった。
完全にはなくならない。たぶん一生なくならない。
でも、「怠けたい気持ちがあるまま、それでもちょっとだけ動く」ということはできるようになった。
やる気が出るのを待ってから動くんじゃなくて、やる気がないまま、最小限の一歩だけ踏み出す。
筋トレでいえば、「今日は腕立て一回だけでいい」と自分に言い聞かせる。
一回やると、なぜか二回目もやれたりする。五回目くらいで「もういいか」と止めても、ゼロとは全然違う。
完璧にやろうとするから動けなくなる。「ちょっとだけ」を毎日続けるほうが、結局は遠くに行ける。
……と言いながら、先週は三日間筋トレをサボりました。説得力ゼロですけど、まあ正直に書きます。
でも四日目にまたやった。そこが大事なんだと、自分に言い聞かせています。
あと、怠け心を観察していて気づいたのは、不安な時ほど怠けたくなるということ。
先が見えない時、自信がない時、失敗するかもしれない時。そういう時に限って、怠け心がもっともらしい理由を並べ始める。
「もう少し調べてからにしよう」「準備が足りないから今日じゃなくていい」「そもそもこのやり方で合ってるのかな」。
一見すると慎重に見えるけど、実態はただの先延ばしだったりする。
完璧な準備が整ってから始めようとすると、永遠に始まらない。
だって、完璧な準備なんて存在しないから。
「できるかどうか」じゃなくて「やるかどうか」。
判断基準をそこに絞ると、ちょっとだけ動きやすくなる。結果は動いたあとについてくるものだと、最近はなんとなく思っています。
他人と比べる心の正体
もう一つ、自分の中で長年厄介だったのが、他人と比べる癖です。
SNSを開けば、同世代のやつが昇進していたり、結婚していたり、何かの賞を取っていたりする。
頭では「比べても意味がない」と分かっている。
でも、心は勝手に比べてしまう。
「あいつは同じ年なのに、もうあんなに……」
そして比べた後に残るのは、いつも同じ感覚。
自分って、大したことないな。
これ、地味にキツいんですよね。
大事件が起きたわけじゃない。誰かに何か言われたわけでもない。ただスマホを見ていただけなのに、なんとなく自分が小さくなったような気がする。
で、僕はある時から、比べたくなった瞬間に自分に一つだけ問いかけるようにした。
「この比較は、今日の自分の行動を良くしてくれるか?」
答えはだいたい「ノー」です。
あいつが昇進したことと、今日の僕がやるべきことは何の関係もない。
比べた結果、やる気が出るならまだいい。でも、たいていは逆で、比べるほど手が止まる。
「どうせ俺なんか」モードに入って、何もする気が失せる。
そもそも、他人の結果って、その人の環境やタイミングや運も全部含まれた複合的なものじゃないですか。
そこだけ切り取って「あいつはすごい、俺はダメだ」と言うのは、あまりにも雑な比較だと思う。
僕に分かるのは、昨日の自分と比べて今日の自分がどうだったか、それだけです。
逃げてないか。サボってないか。自分との約束を破ってないか。
そこだけ見ていればいい。他人の道を僕が歩くことはできないのだから。
それに、比べるなら結果じゃなくて姿勢を見たほうがいいんじゃないかと、最近は思う。
肩書きとか年収とかフォロワー数とか、そういう数字は分かりやすい。でも、それはその人の人生のほんの一面でしかない。
本当にすごいなと思う人は、結果を出している人じゃなくて、毎日淡々とやるべきことをやっている人だと、僕は思うようになった。
派手な成果がなくても、自分の仕事に誠実に向き合っている同僚とか。文句を言わずに家族のために早起きしている近所のおじさんとか。
そういう人の「姿勢」のほうが、SNSでバズっている成功者の「結果」よりも、僕にとってはずっと尊い。
……と分かってはいるんですけど、今もSNS開くと一瞬で比較モードに入りますけどね。人間の心って本当に頑固だなと思います。
「続ける」ことだけが残る
最近、僕が一番大事だなと思っているのは、「続ける」ことです。
地味な話ですけど。
世の中には才能がある人はたくさんいる。頭がいい人、センスがある人、要領がいい人。
でも、何かを淡々と続けられる人は、びっくりするくらい少ない。
ほとんどの人は、三日で飽きるか、一週間で疑い始めるか、一ヶ月で「これ意味あるのかな」と立ち止まる。
僕自身、これまでの人生で何を続けられたかと聞かれると、正直言って胸を張れるものがほとんどない。
ブログだって、何度も「もうやめようかな」と思ったことがある。
でも、やめなかった。それだけです。
続けられなかった時の理由を振り返ると、たいてい期待が大きすぎただけだったと思う。
「一ヶ月で変わるはず」「半年で結果が出るはず」。
その期待が裏切られたとき、人はやめる。
でも、心って、そんなに早く変わらない。
体もそうだけど、心はもっとゆっくりだ。
僕は「変わろう」と思うのをやめて、ただ**「同じことを丁寧に繰り返す」**ことにした。
毎日、ちょっとだけ自分を振り返る。できなかった日があっても、またやる。乱れたら戻す。
劇的な変化はない。
でも、気づいたら、前よりも迷う時間がちょっと短くなっていた。以前なら三日間モヤモヤしていたことが、一日で「まあいいか」と思えるようになっていた。
それは目に見える成果じゃないけど、たしかに違う。
続けるって、強い意志を持ち続けることじゃなくて、やめてもまた戻ってくることなんだと思う。
一回途切れたからって全部ダメになるわけじゃない。やめた時にだけ、積み重ねが止まる。
だから、途切れてもいい。また始めればいい。
これだけは、僕の中でかなり確かな感覚です。
あと、続けるために大事だなと思ったのは、気分に頼らないことです。
「やる気が出たらやろう」は、言い換えれば「やる気が出なければやらない」ということ。
でもやる気って、待っていてもなかなか来ない。来たと思ったらすぐ帰る。あいつ、めちゃくちゃ気まぐれなんですよ。
だから僕は「やる気があるかどうか」を判断基準にするのをやめた。
やる気がなくても、とりあえず手を動かす。パソコンを開く。靴を履く。
動き始めると、不思議なことに、後からやる気がついてくることがある。
「やるからやる気が出る」。これ、順番が逆なんだなと気づいた時はちょっと感動しました。
まあ、それでも動けない日はある。そういう日は、もう諦めて寝ます。明日またやればいい。
それでも、分からないまま
ここまで書いてきたけど、最後に正直に言っておきたいことがある。
僕は全然「できている」人間じゃないです。
今日だって、やると決めたことの半分くらいしかやれてない。
朝は二度寝したし、昼休みにSNSを見て他人と比べたし、夜になって「今日もサボったな」と小さく落ち込んでいる。
こんなブログを書いておいて、自分自身がこの有り様なので、ちょっと申し訳ない気持ちすらある。
でも、だからこそ思うんです。
大事なのは「できている」ことじゃなくて、「ごまかさない」ことなんじゃないかと。
できなかった日に、「まあしょうがない」と流すのは簡単だ。
でも、「今日はサボった。それは事実だ」と認めたうえで、明日またやろうと思えるかどうか。
自分に嘘をつかないこと。言い訳で自分を守らないこと。
心は放っておくと、すぐに都合のいい物語を作り始める。「忙しかったから仕方ない」「環境が悪いだけだ」「今はタイミングじゃない」。
その物語はどれも優しくて、聞き心地がいい。でも、その優しさに甘え続けると、気がついた時には自分が何を大切にしていたかすら分からなくなっている。
口で言っている理想と、実際にやっていることが食い違っていくのに、その矛盾を見ないふりをする。
僕はそれが一番怖い。
だから、せめて「見ないふり」だけはしたくない。
立派なことをする必要はない。ただ、自分から逃げないでいること。
これがたぶん、僕が今の時点で一番大事だと思っていることです。
合っているかどうかは分からない。
もしかしたら、もっと楽な生き方があるのかもしれないし、こんなに自分と向き合わなくても幸せに生きている人はたくさんいる。
それでも、僕はこのやり方しか知らない。
自分をごまかさずに生きようとすること。それが正しいのかどうかすら、実は分からない。
ただ、夜寝る前に「今日の自分は、まあ逃げなかったかな」と思えた日は、ちょっとだけ眠りが深い気がする。
それくらいの、小さな手応えだけを頼りに、明日も生きていくんだと思います。
答えは出ていない。
たぶんこの先も出ない。
でも、分からないまま、それでもごまかさないで生きてみる。
その練習を、もう少しだけ続けてみようと思います。



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