原子の99%はスカスカなのに、なぜ人間には「重さ」があるのか
僕たちの体は、原子でできている。
これはもう、理科の授業で習った通りだ。水素とか酸素とか炭素とか、そういう原子がレゴブロックみたいに組み合わさって、皮膚になったり骨になったり爪になったりしている。
ここまでは、まあ「知ってるよ」という話だと思う。
でも、こないだ夜中にネットをさまよっていたら、こんな事実にぶつかった。
原子の99.9%以上は、空洞である。
……え?
いやいや、ちょっと待ってほしい。原子の99.9%がスカスカってことは、原子でできている僕たちの体も——ほぼ中身がないってことになる。
よく「中身のない人間になるな」なんて言われるけど、原子レベルで見たら人間は全員もれなく中身スッカスカだったのだ。物理学が証明した。誰も逃れられない。
僕はこの事実を知った瞬間、妙な安心感を覚えた。中身がないのは僕だけじゃなかった。物理的に、人類全員そうだった。上司も部長も社長も、みんな中身はほぼ空っぽだ。なんだか急に親近感が湧く。
でも、ここでひとつ疑問が生まれた。
99.9%が空っぽなのに、なぜ人間には「重さ」があるのか?
体重計に乗るたびに現実を突きつけてくるあの数字は、いったいどこから来ているのか。中身スカスカなのに60kgとか70kgとかあるのは、冷静に考えるとおかしくないだろうか。
気になって調べてみたら、これがとんでもなく深い穴だった。覗き込んだ瞬間に引きずり込まれるタイプの穴。今回は、その穴の底で僕が見つけたものについて書いてみたい。
原子の中身を覗いてみる
まず、原子の構造をざっくり整理しておきたい。
原子は大きく分けて2つのパーツでできている。
- 原子核:中心にあるめちゃくちゃ小さい塊
- 電子:その周りをぐるぐる回っている軽い粒
この2つで「原子」だ。太陽系みたいなイメージが近い。太陽が原子核で、惑星が電子。まあ厳密には電子の動き方は惑星とはだいぶ違うらしいんだけど、ざっくりそんな感じで大丈夫だ。
で、問題はこの原子核と電子のサイズ感だ。
原子の直径は100億分の1メートル。もうこの時点で想像力が追いつかない。1ミリの100万分の1よりさらに小さい。見えるわけがない。
でも原子核はそれよりさらに小さくて、原子全体の1万分の1しかない。
わかりやすく例えると、こうだ。
原子が東京ドームの大きさだとしたら、原子核はパチンコ玉くらい。
東京ドームの真ん中にパチンコ玉がポツンと置いてあって、あとは全部カラッポ。客席もグラウンドもマウンドも、ぜんぶ何もない空間。それが原子の中身だ。
……いや、スカスカすぎないか。
僕はこれを知ったとき、自分の手のひらをじっと見つめてしまった。この手も、原子でできている。つまり、東京ドーム級の空間にパチンコ玉が浮いているような構造が、とんでもない数集まってこの「手」を作っている。
触ると固いし、物も掴める。でもその正体は、ほぼ虚空なのだ。
なんだか人生みたいだなと思った。見た目はそれっぽいのに、中を覗くとスカスカ。いや、それは僕の人生だけかもしれない。すみません。
質量はどこに隠れているのか
さて、本題に入ろう。
中身スカスカの原子に、なぜ「質量」——つまり「重さのもと」があるのか。
まず基本的な事実として、原子の質量のほとんどは原子核に集中している。電子はびっくりするほど軽くて、ほぼ無視できるレベルだ。
つまり、あの東京ドームの真ん中にあるパチンコ玉が、重さのほぼすべてを背負っている。小さいのに重い。なんだか健気だ。部活で一番小さいのにエースだった後輩を思い出す。
じゃあ次の疑問。その原子核は何でできているのか。
原子核は、**陽子(ようし)と中性子(ちゅうせいし)**という2種類の粒で構成されている。名前の通り、陽子はプラスの電荷を持っていて、中性子は電荷を持たない(中性の)粒子だ。
「じゃあ陽子と中性子の重さを足せば、原子の質量がわかるってことでしょ?」
僕も最初はそう思った。足し算で終わるなら楽な話だ。ここで話が終われば、こんな長いブログ記事は書いていない。
ところが科学者たちは、さらに深く掘り進めていた。
というのも、19世紀半ばにロシアのメンデレーエフという科学者が「周期表」を発表したことで、原子にはものすごくたくさんの種類があることがわかったのだ。水素、ヘリウム、リチウム、ベリリウム……。「水兵リーベ僕の船……」と呪文のように覚えさせられたアレだ。僕は結局「僕の船」の先をちゃんと覚えられなかった。テストでは毎回そこで止まっていた。
問題は、この種類の多さだ。物質の基本単位であるはずの原子がこんなにたくさんあるのは、ちょっとおかしい。「基本」ってもっとシンプルであるべきじゃないか。レゴの基本ブロックが100種類以上あったら、もうそれはレゴじゃない。
だから当時の科学者たちは、「原子もさらに小さい要素に分割できるのでは」と考え始めた。そして実際にその通りだった。
マトリョーシカは続く——クォークの発見
19世紀後半から20世紀にかけて、科学者たちはどんどん原子の中身を分解していった。
原子を割ったら原子核と電子が出てきた。原子核を調べたら陽子と中性子が見つかった。
じゃあ陽子と中性子はこれ以上分割できないのか?
できた。
1960年代、ゲルマンという理論物理学者が、陽子や中性子の内部にさらに小さな粒子が存在すると予測した。そしてその予測は後に実験で確認される。
この最小の粒子がクォークだ。名前の由来はジェイムズ・ジョイスの小説に出てくる言葉らしい。物理学者のネーミングセンスが「強い力」「弱い力」だったことを考えると、クォークという名前はだいぶマシだ。むしろオシャレまである。
陽子も中性子も、それぞれクォーク3つで構成されていることがわかった。
原子 → 原子核+電子 → 陽子+中性子 → クォーク。
まるでマトリョーシカだ。開けても開けても、中から小さいやつが出てくる。どこまで続くんだこれ。
ただし、現在の科学ではクォークが「これ以上分割できない最小単位」とされている。いわゆる素粒子だ。マトリョーシカの一番内側の人形。これ以上は開かない(たぶん)。
さて、ここまで来たら話は単純なはずだ。
クォークの質量 × 個数 = 原子核の質量。
そうなるよね? なるはずだよね?
——ならなかった。
クォークの重さでは全然足りなかった
てっきり僕は、クォークの重さを全部足したら原子核の質量になるんだろうと思っていた。
ところがどっこい。
クォークの質量は、原子核の質量のたった1%しかなかった。
……1%?
残りの99%は?
え、じゃあ僕の体重のうち99%は、クォークの重さじゃないってこと?
これを知ったとき、僕は本気で混乱した。夜中の1時に、一人暮らしの部屋で「は?」と声に出してしまった。隣の部屋の人に聞こえていないことを祈る。
だって、物質の最小単位であるクォークの重さが全体の1%しかないなら、残り99%の「重さ」はいったいどこから湧いて出てきたのか。
ちなみに、素粒子に質量を与えるとされるヒッグス粒子というものも存在する。2012年にその存在が実験で確認されて、ニュースでも「質量の起源が見つかった!」みたいに大々的に報道されていた。僕も当時「へー、なんかすごいのが見つかったんだな」と思った記憶がある。
でも実は、ヒッグス粒子が与えているのはクォーク自体の質量であって、それは全体のたった1%の話なのだ。
ヒッグス粒子の仕組みをざっくり言うと、宇宙が始まったビッグバンの直後、素粒子は質量がゼロだった。そこにヒッグス粒子が霧のように空間に満ちて、素粒子にまとわりつくことで質量を与えたという。軽いタオルが水を吸って重くなるイメージに近い。
それ自体はすごいことなんだけど、結局それは全体の1%の話なのだ。
つまりヒッグス粒子は「質量の起源」というより、正確に言えば「質量の1%の起源」だった。ニュースの見出しに騙された感がある。嘘ではないんだけど、なんかこう……99%の謎を残したまま「起源が見つかった!」って言われてもなぁ、という気持ちになる。
期末テストで1問だけ正解して「テスト解けた!」と言ってるようなものだ。いや、それは違うか。
アインシュタインの公式がすべてを変えた
残り99%の質量の正体。
そのヒントは、あの超有名な公式にあった。
E=mc²
アインシュタインの特殊相対性理論から導かれた、世界で一番有名な公式だ。Tシャツに印刷されているのを見たことがある人も多いと思う。カフェのインテリアに使われてるのも見たことがある。
僕もこの公式だけは知っていた。ただし、何がすごいのかはさっぱりわかっていなかった。「なんかエネルギーと質量がイコールなんでしょ?」くらいの認識だった。テスト前に公式だけ丸暗記するタイプの学生だったから。
この公式が言っていることを超ざっくり訳すと、こうなる。
「エネルギーと質量は、本質的に同じものである」
Eがエネルギー、mが質量、cが光の速度だ。エネルギーは質量に変わるし、質量はエネルギーに変わる。
これがなぜすごいかというと、「重さ」というのは物質そのものの性質だけじゃなくて、そこに蓄えられたエネルギーも「重さ」として現れるということを意味しているからだ。
ここで僕の頭の中で、パズルのピースがカチッとはまった。
原子核の質量の99%がクォーク自体の重さじゃないなら——それはエネルギーが「質量」として現れたものなんじゃないか。
そして実際、その通りだった。
ちなみにこのE=mc²は、教科書でおなじみの質量保存の法則にも修正を迫ることになった。18世紀にラヴォアジエが発見した「化学反応の前後で質量は変わらない」という法則だ。
エネルギーと質量が相互に変換可能である以上、厳密に保存されるのは「質量」単体ではなく**「質量+エネルギーの合計」**だったのだ。ただ、日常レベルの化学反応ではエネルギーの変化がごくわずかなので、当時の実験精度では測定できなかったという。
教科書で習ったことが後から修正されるの、ちょっと切ない。でも科学ってそういうものなんだろう。「今の正解」は、いつか「昔の正解」になる。
ちなみにE=mc²の「c」は光の速度なんだけど、光の速度は秒速約30万キロメートルだ。それを2乗するわけだから、とんでもなく大きな数字になる。つまり、ほんのわずかな質量からでも、莫大なエネルギーが取り出せるということになる。
これを実際に応用したのが原子力発電であり、悲しいことに原子爆弾でもある。ほんの少しの物質から、街ひとつを消し飛ばすエネルギーが生まれる。E=mc²は、良くも悪くも世界を変えた公式だ。
Tシャツに印刷するにはちょっと重たすぎる背景を持っている。
質量の正体は「強い力」だった
さて、ここまでの流れを整理しよう。
原子の質量は、ほぼ原子核の質量。原子核は陽子と中性子でできていて、それぞれクォーク3つで構成されている。でもクォーク自体の質量は全体の1%。残りの99%は、E=mc²に従って「エネルギーが質量に変換されたもの」。
じゃあ、その「エネルギー」の正体は何なのか。
結論から言うと、クォーク同士を結びつけている力のエネルギーだった。
原子核の内部では、さまざまな力が働いている。プラスの陽子同士が反発しないように抑え込む「核力」とか、プラスの原子核とマイナスの電子を引きつける「電磁気力」とか。
でも、それらの力のエネルギーを全部足しても、99%の質量には到底届かないらしい。核力のエネルギーは原子爆弾に使われるほど莫大なものなのに、それでも全体の1%にも満たないというから驚きだ。
じゃあ何が99%を占めているのかというと——クォークを陽子や中性子の中に閉じ込めている力のエネルギーだった。
この力の名前がまた面白い。その名も——
「強い力」。
……そのまんまだ。
もうちょっとカッコいい名前はなかったのかと思うけど、物理学者のネーミングセンスには期待してはいけないらしい。ちなみに**「弱い力」**というのも別に存在する。重力、電磁気力、強い力、弱い力。自然界の4つの基本的な力のうち2つが「強い」と「弱い」。小学生の語彙力かと突っ込みたくなるけど、まあ物理学者は命名よりも研究で忙しいのだろう。
この「強い力」は、クォークを陽子や中性子の中から絶対に出さないように閉じ込めている、いわば最強の接着剤だ。クォークを無理やり引き離そうとすると、距離が離れるほど力が強くなるという、ちょっと理不尽な特性を持っている。ゴムを引っ張れば引っ張るほど戻ろうとする力が強くなるのに似ている。
そしてこの接着剤のエネルギーが、E=mc²に従って「質量」として現れている。
スーパーコンピュータでこの強い力によるエネルギーを計算したところ、実験で測定された原子核の質量と見事に一致したという。長年の謎がついに解けた瞬間だ。
つまり、こういうことになる。
僕たちの体重の99%は、体を構成する物質そのものの重さではなく、粒と粒を結びつける「力」のエネルギーが質量として現れたものだったのだ。
僕たちの「重さ」は、つながりの重さだった
ここからは完全に僕の個人的な感想だ。科学的な正確さは保証しない。
でも、なんだかすごいことだなと思った。
僕たちの体重のほとんどが、粒そのものの重さじゃなくて、粒と粒をつなぐ力のエネルギーから来ている。
ちょっと大げさに言うと——僕たちの「存在」の重みは、「つながり」から生まれているということにならないだろうか。
一個一個のクォークは、全体の1%の質量しか持っていない。単体では、ほとんど「軽い」存在だ。
でも、それが3つ集まって陽子や中性子を作り、その間に「強い力」が生まれることで、突然99%もの質量が出現する。
バラバラでは軽い。でも、つながることで重くなる。
なんだろう、これ。人間関係みたいだなと思ってしまった。
一人でいるときは身軽で、でもどこか頼りない。誰かとつながると面倒ごとも増えるけど、そこに確かな「重み」が生まれる。いい意味でも悪い意味でも、人と関わることで自分の存在感が変わっていく。
もちろん、クォークの物理法則と人間関係を直接結びつけるのは、科学的にはまったくのナンセンスだ。物理学者に怒られる。「そういうポエムはXでやってくれ」と言われるかもしれない。
でも、夜中にこういうことを考えてしまうのだ。仕方ない。一人暮らしの夜は長い。
ふと思い出したんだけど、大学時代に一人暮らしを始めたとき、最初の数ヶ月は本当に身軽だった。誰にも気を使わなくていい。好きな時間に寝て、好きな時間に起きて、カップ麺だけで3日過ごしても誰にも文句を言われない。
でも、半年くらい経ったころから、なんとなく「自分が軽くなっていく」感覚があった。物理的な体重の話じゃない(むしろカップ麺生活で増えていた)。存在としての「軽さ」みたいなものだ。
誰かと話す。友達と飯に行く。バイト先の先輩に怒られる。そういう他人との接点が増えるにつれて、自分の中に「重み」が戻ってくる感じがした。面倒くさいことも増えるけど、それと引き換えに、自分がここにいるという実感が濃くなっていく。
クォークが一個だと軽い。3つ集まると、強い力が生まれて重くなる。
人間もたぶん、似たようなところがある。一人だと身軽だけど、誰かと関わると重くなる。そしてその「重さ」こそが、存在の実感なのかもしれない。
……急にポエムっぽくなってしまった。物理の話だったのに。こういうところが「急にどうした?」って言われる原因なのだと思う。
結局、僕たちの「存在」ってなんだろう
ここまでの話をまとめてみる。
原子の99.9%は空洞で、質量の99%はクォーク自体の重さじゃない。
つまり僕たちは、中身はほぼ空っぽで、重さのほとんどは目に見えない力のエネルギーでできているということになる。
これってすごく不思議だ。
毎朝鏡を見て、「自分」がそこにいると思っている。手を握れば固い感触がある。体重計に乗れば数字が出る。隣の人にぶつかれば「すみません」と言う。
でもその実態は、スカスカの空間に浮かぶ極小の粒が、目に見えない力で結びつけられて、そのエネルギーが「重さ」として現れているだけ——なのだ。
なんだか、存在って思っていたよりずっと儚くて、ずっと不思議なものだなと思う。
確かに存在しているのに、中身はほぼ何もない。重さはあるのに、その重さの正体は「力」という目に見えないもの。触れるのに、触れているもの同士の間にはとんでもない空白がある。
よく考えたら、これって相当すごいことだ。僕がコーヒーカップを持ち上げるとき、僕の手の原子とカップの原子が「触れている」ように感じるけど、実際には原子同士が接触しているわけではない。電子同士の電磁気力による反発で、ギリギリ触れないまま押しているだけだ。つまり、僕たちは何かに「触れた」ことが一度もないのかもしれない。
そして同時に、こうも思う。
これだけスカスカで曖昧な存在のくせに、人間は毎日悩んだり笑ったり怒ったり泣いたりしている。中身ほぼ空っぽの原子の集合体が、夜中に「自分とは何か」なんて考えている。
宇宙で一番おかしな存在は、たぶん原子でも素粒子でもなく——それについて考えている僕たち自身なのだ。
まあ、そんなことを言っても明日の朝はちゃんとアラームで起きなきゃいけないし、会社に行かなきゃいけない。スカスカの体を満員電車に押し込んで、1%の質量しかないクォークを運びながら、99%のエネルギーで今日も生きていくのだ。
「人間の重さの正体はつながりのエネルギーだった」とか、飲み会で言ったら絶対に「急にどうした?」って顔される。だからここに書いておく。
分からないまま、でも知れてよかったなと、僕はなんとなくそう思っている。



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