織田信長の謎について夜中に考えていたら、会社員の僕がちょっと怖くなった話
歴史の授業で寝ていた僕が、四百年前の男に取り憑かれた夜
ある夜のことでした。 特に予定もなく、ソファに寝転がってスマホを眺めていたときに、たまたま織田信長の動画がおすすめに出てきました。
正直、最初はスルーするつもりだったんです。 僕は学生時代、日本史の授業ではほぼ寝ていた側の人間で、戦国武将の名前なんて桃太郎の登場人物くらいの解像度でしか覚えていません。 織田信長というと、なんとなく「怖い人」「鉄砲が好きだった人」「最後に部下に裏切られた人」くらいのざっくりしたイメージしかありませんでした。
でも、その動画のタイトルが「未だ解明されていない織田信長の謎」みたいな感じで、僕の中のミーハー心がうっかり反応してしまったんです。
そして気づいたら、深夜一時を過ぎていました。 信長の謎にどっぷりハマった僕は、スマホの電池がやばいのに、コンセントを探すことも忘れてスクロールし続けていました。
今日は、そんな僕が眠れなくなった「織田信長の謎」について、勝手に考察した独り言を書いていこうと思います。 歴史の専門家ではありません。 ただの会社員が深夜に考えた、勝手な妄想です。 それを踏まえた上で、お付き合いください。
本能寺の変の黒幕という、四百年続くミステリー
まず一番有名な謎から入りましょう。 本能寺の変の黒幕は誰なのかという話です。
教科書的には「明智光秀の単独犯行」ということになっているんですが、どうもこれがだんだん怪しくなってきているらしいんです。 諸説ある中で、僕が特に気になったのは徳川家康黒幕説、朝廷黒幕説、そして豊臣秀吉黒幕説の三つでした。
ここで僕は読みながらだんだん混乱してきました。 だって、容疑者が多すぎる。
会社の備品が一個なくなっただけで「誰がやったんだ」と大騒ぎになるのに、日本のトップが殺された事件で、四百年経っても犯人の背後関係が確定していない。 これ、冷静に考えて相当ヤバい話です。
僕はこの時点で、信長のことがちょっと気の毒になってきました。 というのも、彼は死に方にすら安らぎを許されていないんです。 現代で言うなら、自分のお葬式の後に「実はあの死因、怪しいんじゃない?」という噂が四百年続いているようなもの。 どれだけ恨まれていたんだ、という話でもあり、どれだけ影響力があったのか、という話でもあります。
僕が一番「これは筋が通る」と思った家康黒幕説
諸説の中で、個人的に一番「うわあ」と思ったのが徳川家康黒幕説でした。
信長は本能寺の変の三年前に、家康に対して「正室と息子の命を奪え」と命じていたそうなんです。 武田氏に内通したという疑惑が理由だったとされていますが、それが本当かどうかは別として、家康にとって自分の妻と息子を殺させた上司というのは、人間としてどう処理すればいいか分からない存在です。
僕はここで一度スマホを置きました。
想像してみてください。 もし僕が上司に「お前の奥さんと子供が会社の機密を漏らしているから、お前の手で処分しろ」と命じられたとしたら。 命じられたとおりに実行した後、その上司に対して、僕はどんな顔をして接すればいいんでしょうか。 笑って「はい、これからもよろしくお願いします」と言えるのか。 言えないと思うんです。
表面上は従順に従っていても、心の奥底には何か、取り返しのつかない黒いものが沈殿していくはずです。 その黒いものが、三年かけて、じわじわ育っていった可能性がある。
そう考えると、家康黒幕説って単なる陰謀論じゃなくて、人間の感情の自然な流れとして十分ありうる話なんです。 むしろ、そういう過去があって何も感じない方がおかしい。
ただ、この説にも反論があって、本能寺の変の直後、家康は必死で自分の領地まで逃げ帰っているんです。 「伊賀越え」と呼ばれる、命がけの撤退戦です。 もし黒幕だったなら、そんな必死に逃げる必要はなかったんじゃないか、という指摘があるわけで。
ここで僕は「ああ、なるほど」と思いました。 でも同時に、家康がうまく芝居を打っていた可能性もゼロではないはずなんです。 「自分が黒幕だとバレないために、あえて必死に逃げる」という演出は、むしろやりそうな人じゃないですか、家康って。
これ以上書くと僕の勝手な想像が暴走しそうなので、ここでいったんやめておきます。
信長の遺体はどこに消えたのか、という不気味な事実
次に僕が衝撃を受けたのが、信長の遺体が見つかっていないという話です。
え、待ってください。 信長のお墓って、修学旅行で見た気がするんですけど。 と、僕は心の中でツッコミました。
でも、どうやら各地にある「信長の墓」とされている場所は、どれも正式に「ここに遺体を埋めました」と確定しているわけではないそうなんです。 本能寺で自害した信長は、寺に火を放ち、自分の遺体を灰にして敵に渡さないようにしたと言われています。 だから光秀が本能寺を制圧した後に首を探しても、見つからなかった。
この話を読んだとき、僕はちょっとゾッとしました。
だって、当時の戦国時代において、大将の首というのは勝利の証明書みたいなものです。 それがないということは、光秀は「信長を殺しました」と言っても、それを信じてもらえない状況に追い込まれたということ。 実際、光秀は味方を集めきれずに山崎の戦いで敗北しています。 遺体がなかったことが、その後の歴史のすべてをねじ曲げていった。
信長は死んだ後でも、物理的に「いない」ということで天下を左右していたわけです。 これは、もはや生きているとか死んでいるとかの話じゃない。 存在そのものが歴史に干渉しているレベルの話で、僕はこの事実に素直に鳥肌が立ちました。
僕が夜中に妄想した、信長生存説
諸説ある中で、一番ロマンがあって、一番信じたくなるけれど一番無理がある説が「信長生存説」です。
本能寺には地下通路があったとか、実は琵琶湖を渡って逃げたとか、後で秀吉に幽閉されていたとか。 いろんなパターンがあるらしいんですが、ここで僕はしばらく天井を見つめて考え込みました。
もしこの説が本当だったら、信長は最後の数年間、どんな気持ちで生きていたんでしょう。
自分が作り上げた政権が、かつての部下によって引き継がれ、どんどん変わっていく様子を、遠くから見ていたことになります。 「あいつ、あんなやり方で統一したのか」とか「俺ならもっとうまくやったのに」とか、色々思うことはあったでしょう。
でも、もう表には出られない。 出たら確実に消される。
この構図、僕はちょっとだけ身に覚えがあります。 会社を退職した先輩が、辞めた後も会社のことをSNSで遠巻きに眺めて、たまに苦々しい投稿をしているのを見たことがあるんです。 あれを国家レベルでやっていたら、と想像すると、もう胃がキリキリしてきます。
たぶん、信長生存説は現実的には無理があるんだと思います。 証拠もないし、説明のつかない部分が多すぎる。 でも、人間は説明のつかない話にこそロマンを感じる生き物なんだということを、僕はこの説を読みながら実感しました。 分かっている話よりも、分からない話の方が、なぜか深夜に刺さる。
桶狭間の戦いは、実は奇跡じゃなかったのかもしれない
信長の話で必ず出てくるのが、桶狭間の戦いです。 二万五千の今川軍を、二千の信長軍が打ち破った、という伝説の戦い。 これがあって、信長は一気に「天才」という称号を得たわけです。
僕も子供の頃、この話が好きでした。 少数精鋭が大軍を破るというのは、少年マンガ的なロマンの極みで、社会に出る前の僕はこういう話に無条件で憧れていました。
でも、調べてみると、最近の研究ではこの話はかなり誇張されている可能性が高いそうなんです。 今川軍の総兵力は二万五千いたかもしれないけれど、信長が直接戦った本隊は五千程度。 そして信長の動員兵力は、諸説あるとしても二千よりは多かった可能性がある。 つまり、実際の戦力差は十倍もなかったかもしれない、ということです。
さらに、戦いの日に突然降ったとされる豪雨も、信長が天候を予測して動いた結果である可能性が指摘されているらしいんです。 当時の武将には「軍配者」という、天気や占いを専門にする役職の人がついていて、経験則で天気を読む技術を持っていた。 信長はそういう情報を使いこなして、綿密に計算した上で動いていた。
ここで僕は、ちょっとしたショックを受けました。
僕は今までずっと「信長は天才的な直感で行動した人」だと思っていたんです。 でも実態は、人並み外れて情報を集めて、冷静に分析して、計算の上で動いていた人だった可能性がある。 それって、天才というより、むしろ「仕事のできる人」に近い気がします。
仕事のできる上司としての信長を想像してみた
ここで僕は、自分の会社の中に信長がいたらどんな感じだろう、と想像してみました。
たぶん、超絶詰めてくる上司です。 根拠のない報告は即座に却下されます。 「お前、その数字の根拠は?」「その判断、他の可能性は検討したのか?」「なぜ俺に先に相談しなかった?」みたいな質問が、会議のたびに飛んでくるタイプです。
僕は三日で体調を崩すと思います。
ただ、そういう上司の下で働いている人は、実は成長が早いということを、社会人を数年やってみて分かってきました。 厳しく詰められる環境で鍛えられると、自分の甘さに気づかされる。 気づかされた分だけ、強くなる。 光秀も秀吉も家康も、信長の下で鍛えられた結果、あれだけの人物になっていった側面は間違いなくあると思うんです。
だからこそ、部下たちは信長を尊敬もしていたし、同時に恐れてもいた。 その二つの感情が同居していた結果、誰か一人が限界を迎えた瞬間、本能寺の変が起きた。 そんなふうに想像すると、この事件は「裏切り」というより「感情のダムが決壊した事故」のようにも見えてきます。
安土城が数日で燃えたという、切ない後日談
最後にどうしても書いておきたいのが、安土城が本能寺の変の直後に燃えたという話です。
安土城というのは、信長が贅を尽くして建てた当時最先端の城で、日本で初めての本格的な天守を持っていたらしいんです。 宣教師のルイス・フロイスが「まばゆいほどに美しい」と書き残すほどの、信長の美意識の結晶でした。
それが、信長の死からわずか数日後に燃えた。
犯人は誰なのか、これもまた諸説あって確定していません。 明智の残党説、織田信雄(信長の次男)説、野盗説など、いろんな可能性が出ては消えています。
ただ、僕が気になったのはそこじゃないんです。 僕が気になったのは、信長がこの城を建てるのに注ぎ込んだ時間とエネルギーが、本人が死んだ瞬間からものすごい速さで無に帰っていったという事実でした。
信長は、この城に自分の権威の全てを込めようとしていたはずです。 建築に関わる職人を集めて、金に糸目をつけず、何年もかけて作った夢の城。 そこに住んで、天下統一の最終段階を指揮するつもりだったはず。
それが、本人が一人倒れただけで、数日で全部燃えてしまう。
これを読んだとき、僕は妙にしんみりしてしまいました。 どれだけ権力を握っていても、どれだけ美しいものを作っても、それを守り続けるのは本人の存在そのものでしかないんだな、と思ったんです。 信長がいなくなった瞬間、安土城は急に「ただの木と石の建物」に戻ってしまった。
朝廷が黒幕という説を読んで、ゾッとした理由
家康説、秀吉説の他に、実はもう一つ気になった説があります。 朝廷黒幕説です。
これは、信長が天皇や朝廷の権威を脅かす存在になっていたから、朝廷側が光秀を動かしたのではないか、という話です。 信長は暦を自分の都合のいいものに変えようとしたり、自分を神として祀らせようとしたり、天皇に譲位を迫ったりしていた形跡があるそうで。 個人が国家の仕組みそのものを書き換えようとしていたということになります。
この話を読んだとき、僕は素直に背筋が寒くなりました。
暦や神の位置づけって、普段の生活では意識しないほど深いところで僕らの世界観を支えている仕組みです。 そこに手を突っ込もうとした人が、誰にも恨まれずに済むはずがない。 しかも相手は、表には出てこないけれど何百年も続いてきた本物の権威です。 戦国大名を相手に戦うのとは、まったく質の違う戦いが水面下で起きていた可能性がある。
僕はここで、現代の会社のことをまた考えてしまいました。 どんな会社にも、表向きの組織図とは別に、誰もが感じ取っている「暗黙の力関係」というものがあります。 新入社員の頃、それが分からずに先輩の領域に無邪気に踏み込んで、後から先輩方が冷たくなった経験が、僕には何度もあります。 あれがもし戦国時代で、しかも相手が朝廷だったと想像したら、もう何世代にもわたる根回しの濃度が違いすぎて、立ち向かえる気がしません。
信長はそういう見えない力に対して、無邪気にぶつかっていったのかもしれない。 あるいは、見えていたけれど敢えて気にしなかったのかもしれない。 どちらにしても、見えない敵を相手にして勝てる人はいないんじゃないかと、夜中の僕はぼんやりと思いました。
秀吉黒幕説を読んで、僕が思わず口に出した感想
朝廷説の後に読んだのが秀吉黒幕説でした。 こちらもなかなか強烈です。
本能寺の変のとき、秀吉は遠く離れた中国地方で毛利軍と戦っていたはずなんですが、信長の死を聞いた直後、ありえないスピードで京都方面に戻ってきたという話があります。 通称「中国大返し」と呼ばれる移動で、当時の軍隊の一日あたりの標準移動距離が二十キロだったのに対して、秀吉は一日三十キロ以上のペースで進んだとされているそうです。
この話を読んだとき、僕は思わず「早すぎない?」と口に出してしまいました。 いや、普通に早すぎるんです。 現代の感覚で言うなら、地方出張中の部長が本社の社長が死んだ連絡を受けた瞬間、新幹線を三本乗り継いでその日のうちに本社に戻ってくるレベルの速度感です。
もちろん、秀吉は有能な人だったから、緊急時に動きが早かっただけという説明も可能です。 でも、あまりにも用意が良すぎるという印象は拭えません。 まるで最初からこうなることを知っていて、移動ルートまで下準備していたかのような動き方です。
ただ、僕はここで一度立ち止まって考えました。 結果から犯人を推定するというのは、推理小説のテクニックではあるけれど、現実では危険な思考法でもあります。 「得をした人が犯人に違いない」という論理で人を疑い始めたら、会社で昇進した人全員が前任者を蹴落とした容疑者になってしまう。 それはさすがに人間関係がしんどすぎる。
だから僕は秀吉黒幕説についても、「可能性はゼロじゃないけど、即断はできない」という、一番つまらない結論に落ち着きました。 でも、この「結論が出せないからこそ、何度も考えてしまう」という状態こそが、歴史の面白さなのかもしれません。
僕の会社のデスクのことを、なぜか考えてしまった
ここでなぜか、自分の会社のデスクのことを考えてしまいました。
僕のデスクには、自分なりに使いやすく並べた文具とか、お気に入りのマグカップとか、効率化のために貼ったメモとか、細々としたものが並んでいます。 毎日ちょっとずつ整えて、自分の作業環境として育ててきたものです。
でも、もし明日、僕が急に会社を辞めることになったら。 あのデスクは、たぶん一週間以内に空っぽになります。 誰かが僕の並べたものを箱に入れて、机を拭いて、次の人がそこに座る。
安土城と僕のデスクを同列に並べるのはあまりにもスケールが違いすぎるんですが、本質は同じような気がしたんです。 人が築き上げたものは、その人がいなくなった瞬間から急速に色褪せていく。 どれだけ情熱を注いでも、その情熱を維持しているのは本人の存在だけで、本人が消えれば、情熱の残り香はすぐに風に散っていく。
これを思うと、ちょっと怖くなります。 でも同時に、だからこそ「今ここで生きていること」そのものに意味があるような気もしてきます。 信長の安土城が数日で燃えたという事実は、歴史のロマンであると同時に、僕ら全員がいずれ直面する風化のリハーサルでもあるんじゃないかと思いました。
分からないまま、今夜も僕は四百年前の男のことを考えている
ここまで長々と書いてきましたが、結局、僕は何一つ答えを出せていません。 本能寺の変の黒幕が誰だったのか、信長の遺体がどこに行ったのか、桶狭間が本当に奇跡だったのか、安土城を誰が焼いたのか。 全部、「分からないまま」です。
でも、今夜僕は、信長という人間のことを少しだけ身近に感じています。 英雄でも怪物でもなく、情報を集めて計算して動いていたただの有能な人間として。 部下に詰めすぎて、いつか誰かが耐えきれなくなる瞬間を、自分では予測できなかった一人の男として。 死んだ後すら、自分の遺体も、自分の城も、自分の手の中に残せなかった、ある意味で不器用な人間として。
そう思うと、「怖い人」というざっくりした子供の頃のイメージが、少しだけ溶けていく気がしました。 教科書の中の顔写真と名前のセットではなく、同じように悩んで、同じように計算して、同じように限界を抱えていた一人の人間だったんだな、と。
四百年経っても彼の謎について夜中に僕みたいな会社員が考えているという事実自体が、ある意味で信長の影響力の証明のような気もします。 僕は明日もたぶん普通に会社に行って、普通に仕事をして、普通に帰ってきます。 でもその合間のどこかで、ふと「あの本能寺の黒幕、結局誰だったんだろう」と思い出すんでしょう。
そういう夜があってもいい。 答えの出ない謎を、答えの出ないまま抱えて生きていくことには、不思議な豊かさがあると最近は思っています。
分からないまま、今夜も僕は、四百年前の本能寺のことを考えています。



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